乳がん宣告から4年経過

乳がん宣告から4年経過

乳がん診断後5年経過中。
現在の治療は、ゾラデックス注とアナストロゾール錠服用です。
頑張ったからって気合いをいれたからって、治るとは限らない癌に対して、どう向き合っていくかの自分の思い等々。

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夏が来たら、ガン宣告から丸5年
8月からはガン6年生になる

私の中で、ガンは慢性疾患になってる
薬を飲んで注射して付き合ってく疾患

低血圧とか、花粉症とかと同じように付き合っていくのが当たり前と考えれば
ガンも怖い病気なんかじゃない

食事など気をつけれることはやっていくけど、それをやらなければと必死こいてると、またガンにとらわれてしまう


ガンを治すために私のできることは
自分の生き方を見つめなおすことじゃないかと思ってる

先日、土橋博士の著書を読み、気になっていたことが確信になった

医者に治してもらうんじゃなくて
私が自分で治すという意識を持つことなんだろうな



5年目にしてやっとそう思えた



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今日は診察デー

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病院に行くのは何となく楽しいです。

あ、検査結果を聞く時は違うケド


緩やかな下降線で体重が減り続け、いいことですと言葉をいただけて嬉しい気分。

もうちょい減って前の体重に戻って欲しいけど、ここは焦らずに行きたいところ。


まだ花粉症の薬は手放せません
アレグラ処方してもらいました。



金魚さん、水温上がって動きが活発。
桜の花びらが水面を彩ってる。
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今日のゾラ注も痛くなかった。




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私の癌に対する過剰な恐怖は、何十年も前の母親の闘病からきてる、と思う。

子どもの私にとってかなりの恐怖で負担だったのに、それを吐き出せずに心の奥に押し込めたまま今になってる。


大嫌いだったお母さん

いなくなってほしいと思ってたお母さん


嫌いな母親がいなくなって私はせいせいしていた。

 それなのに母親が死んだ歳には自分もしぬんじゃないかと、その一年は怯えて過ごしていた。


痛い痛いと叫んで仰け反っていたあの女。

そんな姿みたくなかった。

どうしていいかわからない。

そんなことで悩んでいたことを周りの大人の誰にも言ってこなかった。

というより、言おうという感覚を持っていなかった。


私は感情を無くしてたんだね。


嫌だったこと、いっぱいあるはずなのに嫌だという感覚がなかった。

いつも黙って暗い表情でいるのが楽ちんだったよ。


あの頃のこと、少しずつ書いていけるかな。



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自分が楽しさの中にいるのなら

癌であることを考える暇はないだろう。


好きなことをして夢中になっていたら癌が消滅したって話

聞いたことあるけど


そうなんだろうなって思う。


だって癌の居場所ないもんね。


そこにいたって、増殖できないしつまんないもんね。

癌は賢いから、自分がいられる場所にい続けてるのかもね。



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乙武氏の不倫騒動を見て思ったのだけど

彼は普通の人なんだなということ。

女好きのエロい普通のオッサン。


そこに四肢が欠損しているとか障がいを抱えてるとか関係ない。


四肢の欠損を特別に捉えていない。

そこに悲観さはない。


ないのが自分にとって当たり前なことで、そこに嬉しいも悲しいもない。

悲しいからと嘆いたところで四肢は生えてこない。

事実として、ただ無い。それだけのこと。




私も癌を特別に捉えていないだろうか。

癌は、ただそこにあるだけ。


そこに嘆いても悲しんでも、ただいるだけ。
もしかしたら嘆くほどに免疫力が落ちて良くない方向に進むかも。



がんばって治したいってのは執着を強めるだけで

癌の存在を認めれば怖い存在じゃなくなるような気がする。


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