ネコ裁判で投稿が拒否されました。17
みなさんお気づきかもしれませんが、私、理屈っぽいです。
で、結構疑い深い、らしい。
「らしい」というのは、14年間付き合った「ツレ」が言ったからなんですが、その「ツレ」。自然科学の仕事をしていたんだけど、こいつもその自然科学の分野に関しては、もう疑い深いんだよね。「あるある大辞典」なんか見てると殆ど愚痴。ずーっと、この検証の仕方がおかしいとか、こういう説明は厳密には正しくない、とかずーっと聞かされる。私が「○○は、××の時にはいいらしいよ。△△だから」と言うと「そんなことはない」と言下に否定なんだけど、「NHKで言ってたよ」と言うと、ちょっと考える。そういう人でした。
何を書こうとしたんだっけ。こういうときは、直前の書き込みを見るといい。
>次は、ネコ裁判に繋がる話と、タロウ氏の書き込みの騙しのテクニック、を書くことにしましょう、いつか。
うーん。何を書こうとしたのかなぁ。あ。
わかった、わかった。えーと。
タロウ氏の「ネコ裁判」の間の行動と「ネコ裁判」後の行動を見ると、御本人が言っていた「自分は影響されやすい」という言葉が正しかったんだ、ということがわかります。この点では、御自身の認識は正しいんだけどね。
タロウ氏が、他人に影響されやすく、私の文章で指摘したんだけど、その自信の拠り所が、賛同してくれる「他人」にある人だとすると、最初に裁判を受けて立つ立場になった時には、不安だったんだと思う。その感覚は普通。
で、ここでブログにまとめはじめた頃も、まだまともかなぁ。ただ、ここで信者を集め、あるいはカワバタが裁判上劣勢だと思い始めた頃から、ちょっと踏み外しているよね。少なくとも、裁判上ではかなり強く出ても構わないと思っているし、ブログ上でもカワバタは何をされても構わないくらいの感覚になっていたと思う。判決が出るまででもね。
その感覚は、他人に伝わっている。相談した弁護士の話も、ブログでも書かれた「それは行き過ぎなんじゃないの」という書き込みが出てきたのもブレーキにならなかった。応援メッセージに気分がよくなったんだね。で、結局、勝訴判決。
勝訴という結果は、おそらく誰もが疑問を持たないと思う。勝訴すべき事案。でも、だからといって、勝った側の人間の価値観がすべて受け入れられるものだ、という方向での考え方は、多分
大きく間違い
だと思う。「その人が勝訴したということ」と「その人が人徳がある」ということはまったく無関係。その区別がついていない、か
すり替えている。
・・・・うーん。今日はここまで。
年度末で忙しいんです。あ。でも、明日何を書くか、自分のために書いておきます。
「身近な専門家は・・・」「タロウ氏はヒーロー・・・」
ここら辺で。
でも、このヒントで思い出せるかなぁ>明日の自分