告白します>「0歳娘を殴り死なせた24歳母 SNSで虐待批判していた」 | 底なしの穴をうめる魔法(を模索中)

底なしの穴をうめる魔法(を模索中)

長文注意 

魔法はまだ使えません
だから「模索中」

こちらのブログは基本的に青木無常のブログ・サイトの更新情報を掲載します。

ご訪問、コメント、ありがとうございます。
青木無常です。


ひさしぶりに、どんぞこブログらしい、
暗黒な内容になりました。
読んだらきっと、イヤな気分になります。
ここで読むのをやめた方が、身のためですよ。

私は、読んでほしいですけどね。

私が何を思っているか。
私がどんな人間なのか。
私がどんな人間になりたいのか。

私が、どんな人間になりたかったのかを。





むかし住んでいたアパートの近くに、
三毛のノラ猫がいました。

あまり活発ではないけど、
警戒心のあまりない、
近づいても、なでてもおとなしく
気持ちよさげにしている猫でした。

でも、ずいぶん年だったんでしょうね。

ある冬を境に姿を見かけなくなっちゃった。


で、その三毛と入れ替わりのように、
黒猫を見かけるようになりました。
最初は赤ちゃんといってもいいほど小さかったけど、
みるみる成長しました。

猫って、大人になるの早いんですね。

それはそれとして、
その黒猫は前いた三毛猫とはちがって、
警戒心がかなり強い猫でした。

アパートの周辺の住民や関係者に、
猫をいじめるような人間はおそらくいなかったので、
たぶんどこかから流れてきて、
あのあたりに落ち着いた猫だったんでしょうね。

それでも、冬は寒いのか、
ドアの前で鳴いていたことがあったので、
部屋に入れてみたことがありました。

前の三毛も、冬はよく、
時間限定でしたが暖をとらせたことがあり、
まあ人なつっこい穏やかな猫だったので、
比べてしまってはかわいそうだったのですが。

黒猫は、部屋に入れて「あげて」も、
なついてこなかった。
ストーブやコタツは利用しても、
私には近づいてきませんでした。

腹が立ちましたが、それならそれで、と、
私は私でキーボードを叩きはじめたのですが。

猫のことなど忘れたころに、
突然、黒猫は
私の手に飛びかかってきた。

ジャンプしてポンと叩いた程度だったのですが、
ディスプレイに意識が集中力していた私は、
そりゃもう。しましたよ。びっくり。
死ぬほどびっくりしました。

で、つぎの瞬間。

なつかないくせに、こっちが存在を忘れると
無視するなとでもいいたげに突然、
ある意味暴力的な感じでじゃれついてきた黒猫に
抑えようのない怒りを覚えました。

反射的に、蹴飛ばしてやりたくなっていた。

実際に蹴飛ばしゃしませんがね。
反撃くらうのがイヤだし。
めんどうでもあったし、いろいろ。

来歴を想像するだに、
黒猫に悪意は特にないでしょう。

ただ、じゃれついただけ。
そのやり方が、単に突然で激しかっただけ。
元気があった、と言い換えてもいいくらいの、
おそらくは無邪気な行動に過ぎなかったのでしょう。

でも、私がその瞬間感じたのは、
憎悪でした。

そっちがこっちを避けていたくせに、
自分が無視されると、
寂しくなって「かまってちゃん」してくるのか。

言葉にすると、こんな感情の動きでした。

そして、そんな自分の感情の動きに、
戦慄もしました。

これは鏡だ。
そう感じました。

また、蹴飛ばしたくなった衝動にも、
驚愕と、恐怖を感じた。
自分は、そういう人間だったのだな、と
突きつけられたような感覚でした。

そこで反省して、猫ちゃんにやさしくしてあげるような
人間でもありませんでした。
私は。

警戒心の強い黒猫でしたが、
猫じゃらしには反応するので
(つれこむ時も、猫じゃらしを利用しました)
それを使って。

外に追い出しました。

猫に対しては、自分にすら隠していた
「本当の私」の姿も、遠慮なく出てくるわけですね。

血も涙もない。
自分になつかない相手に対しては、
冷酷きわまる仕打ちをしでかす人間が
私です。

中国で継子を殺した母親とおんなじ。

黒猫は、しばらくはドアの前にいたようでしたが、
やがて去りました。

そして、二度と私には近づいてきませんでした。




私はこのブログで、いじめや虐待について
いろいろ語ってきました。

世に蔓延するパーチクどもの所業を嘆き、
糾弾してきました。

でも、その根底には、ある恐怖がありました。

正直にいいます。

彼らは、私の鏡像に過ぎません。



イザ! 2012/11/03 の記事
0歳娘を殴り死なせた24歳母 SNSで虐待批判していた

この記事の母親は、子どもを虐待していながら、
フェイスブックでは、そういう親を批判していたということです。

背筋が凍りました。

いじめの記事、虐待の記事を書きながら、
いつも思っていたこと。

いや、全部の記事に当てはまることかもしれない。

自分のことを棚に上げている。

私は子どももいないし結婚したこともないので、
虐待もしたことはありません。

ですが、結婚し、子どもができたら、
かなりの高確率で、虐待をしてしまうのではないか、
と思っています。

だから、この先も結婚したり家族を持ったりすることは、
絶対にするつもりはない。

だからどうだ、とかいうつもりもないし、
何より自分の闇をさらけ出すことに
やっぱりためらいがあったのかもしれません。

今まで記事を書きながら、そういうことは口にしなかった。


今回のニュースの母親もそうだったのかもしれませんが、
虐待やいじめを批判する記事を書いていた時、
私は、なかば自分への批判を、口にしていたのかもしれない。


私は、じゃれついてきた黒猫を
思いっきり蹴り飛ばしたくなる人間です。

警戒心の強い、自分への親しみを示そうとしない黒猫を
寒空の下に追い出してしまう人間です。

そんな自分に、苦しんでいる人間です。



ニュースの母親は、子どもを虐待しながら、
何を思っていたのか。

そこには、感情のままに爆発して、
思うさま発散している姿が、
はたからはみられたことでしょう。

いつも思ったままを口にできて、
いいねえ、とか皮肉をいう輩もいたかもしれない。

私のまわりには、そういうやつらがたくさんいました。

でも、自分で自分の感情を制御できないことに、
一番苦しんでいるのは……。

……死んだ子どもでしょうね。
母親本人は、その次の次くらいでしょう。


では、なつかない黒猫に
冷酷な気持ちしか抱けない人間は、
どうすればよいのでしょうね。

気持ちは、
知識で身につけることはできないんですよ。

かわいくないものは、かわいくない。

子どもをかわいいと思ったことなんて
一度もない――そんな言葉を口にする母親もいます。

背筋も凍る人非人のセリフですが、
正直なひとでもあると思います。
こんなセリフ、冗談ででも口にしたら、
社会的に抹殺されかねない。

言えないですよ、ふつう。

言えないだけでなく、
そんな感情を意識に昇らせることすら、
抑圧してしまうでしょう。
自分自身を、だましてしまうのですよ。

そういう、口にしない、自分自身をだましている親が、
たくさんいるのではないかと
私は強く疑っています。

疑う、ということは、自分がそういう人間だからでしょう。

黒猫を追い出してしまったこと。
子どもを殺してしまったこと。

それに対して、
ぬぐいようのない苦しみを感じるのは、
社会的な抑止力が働いているからに
過ぎないのではないか。

そういう恐怖すら、あります。

法律で罰せられたり、
だれかに後ろ指さされたりする怖れがないのなら。

そういう苦しみすら、
感じない人間なのではないだろうか。
自分は。

そういう恐怖。



私は。

あなたは。

だれかのために、生きることができるのでしょうか。

そしてもし、それができたとしても、
心の底から望んだのではない行動は。

決して、われわれを幸せには
しないのではないでしょうか。



だとすれば、私の行っているすべての行為は、






ただの徒労だ。






本日は、以上です。