釣り釜や 今は昔と なりぬるも
炉風炉を不問 釜を懸けりて 道舜

【口語訳】
釣り釜というと、今は昔のこととなってしまいましたが、炉風炉を問わず釜を懸けていました。

 釣り釜は現在、新暦3月〜4月(旧暦二月〜三月)に懸けられるものとして定着していますが、利休以前では炉でも、風炉でも行われていたものでした。

 炉の時期、旅箪笥と共に用いられることの多い釣り釜ですが、小田原征伐において利休が始めたとされていますが、実はそれ以前から箪笥物と置き合わせて用いられていることが分かりました。

 その当時の箪笥物は、唐物箪笥であり、銭屋宗納が所持したものが有名ですが、それ以外のものもあったのか、小田原征伐前の茶会記にも度々登場しています。

 桐木地の旅箪笥は利休好で、利休箪笥とも呼ばれ、先にあった小田原征伐で初めて点前に用いられました。流派によっては風炉でも用いるそうですが、多くの流派では炉用です。

 釣り釜というと、不白が不時の茶事にした釣り釜の話があります。不白が早々に炉を閉めてしまって、まだ風炉には早いという時期に、寒の戻りがあり、不意に訪れた客を饗すのに、面取風炉を出し、自在で釣り釜をした――のだそうです。この逸話は武家茶道の磐城平藩安藤家御家流に遺されていたそうで、一度、その点前を拝見したことがあります。

「和漢の間を紛らかす」の話でもそうでしたが、先入観を持たず、臨機応変をするということの妙を見せてもらった気がいたしました。

 私は臨機応変が苦手で、どちらかというと杓子定規なので、多くのことを知り貯えて、その場になったら先達がどうしていたかを流儀に拘らず行っていきたいものです。