蒲柳というのは|楊柳《かわやなぎ》のことで、蒲柳の質とは、唐国の南北朝時代、梁の簡文帝が同年の顧悦が若い頃から白髪であったことを尋ねた故事からの成語です。

『世説新語』 巻之三 にある一文で、

蒲柳之姿 望秋而落 蒲柳の姿は秋に望みて落ち
松柏之質 凌霜猶茂 松柏の質は霜を凌いで猶お茂る

 自分を川柳に例え、皇帝を松柏に|擬《なぞら》えて顧悦が答えたことに因みます。


全文はこちら。


 顧悦與簡文同年而髪蚤白。簡文曰、卿何以先白。對曰、蒲柳之姿、望秋而落、松栢之質、經霜彌茂。

 簡文帝というのは南朝梁の皇帝で、蕭綱が本名です。

 二代皇帝であり、始祖武帝の子供です。

 

 文才に優れていた人物ですが、政治の実権は侯景に握られており、最終的には廃されて土嚢によって圧死させられるという結末を迎えています。

 

 日本では「蒲柳の質」と言いますが、原語では「蒲柳之姿」として使われています。

 

 柳の道具などに「顧悦」と銘を付けたいところですが、ここまでご存知の方はあまりおられますまいねぇ。