オー雑把でいいぢゃない!

オー雑把でいいぢゃない!

典型的O型の私が、日々の何でもない出来事や、育児の事、尻に敷いてしまっている旦那との事などを明け透けに綴ります。

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必死に病室で激しい痛みと耐え続けた
29日AM2:00頃。
病室に助産師さんが来て内診をした。
助産師さんが言った。
看護師よし、もう分娩室に行こうか。」

この言葉を聞いて、私は「もうすぐ終わる!」と思った。
痛みと痛みの合間に、分娩室へ急ぎ足で歩いた。


分娩室では助産師さんと看護師さんが手際よくお産の準備。
私も分娩台の上に上がり、助産師さんの言われるがままに行動した。
しかしその間にも襲いかかる激しい痛み。
分娩台の上で半泣きだった。

もうこの分娩台の上に乗るのは3度目。乗りなれた感のある分娩台だったけど、でもいつも私はそこにビビりながら乗り、ビビりながら言われるがままに行動していた気がする。


そして準備が整い、助産師さんに「看護師次の痛みが来たら、いきんでいいよ。」と言われた。
そして私は言われたとおりに思いっきり力を振り絞っていきんだ。
何度かいきんだ後、助産師さんが「看護師 ハマクしま~す。」と言う。
「ハマク」とは恐らく『破膜』だろうかと思う。

私は破水をこの時点でまだしていなかった。
赤ちゃんが産まれるには、卵膜が破れる(破水する)必要があるのだけれど、私はいつまでたっても破水しないので、お産がなかなか進まない。なので、助産師さんが卵膜を破く作業をしてくれたようだった。
(ちなみに、私は助産師さんによる人工破膜は『ぬけさく先生』に続き二度目。
結局、自然に破水したのは『のんつぁん』だけだった。)

その後も痛みが来る度にいきんだ。またいきみを二度三度繰り返した後、助産師さんが言った。
看護師赤ちゃんの顔が横を向いていて、イマイチ上手く下りて来れないみたいなので、ちょっと赤ちゃんのお顔を正しい位置へ向けま~す。」
そういうと助産師さんは手を入れて、ぐいぐいと赤ちゃんの頭を動かしている模様。
赤ちゃんの体が、私のお腹の中で動くのがよく分かった。

そしてまた、次の痛みでいきむよう促され、私は思いっきりいきんだ。
本当に渾身の力を振り絞っていきんだ。
腰全体が、砕けてしまうんじゃないかと思うほど痛かった。
痛みが去る度に、私は呼吸を整えるのが大変だった。
そんな様子を見て、助産師さんは看護師さんに私に酸素マスクを着けるよう指示した。
私は酸素マスクを着け、また痛みが来る度に思いっきりいきんだ。

そして何度かいきんだ後、助産師さんに「看護師力を抜いて~!」と言われた。
そうすると、お股に強烈な痛みを感じ、そして間もなく赤ちゃんの頭→胴体→下半身と出て来た。

AM2:50
3340gの男の子。
大きな声で次男坊は泣いていた。
私も何だか今回ばかりは涙が出た。
「はー、疲れた!」
「かわいい~!」
確かこの二言ばかりを連呼していた気がする。
連呼しながら、涙を流した。
泣くつもりは無かったけど、涙が出た。

相方が写真を撮っていた。
後で見たら、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている次男坊と共に、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている私が写っていた。
次男坊も私もなかなかの不細工顔だった。

ちなみに、出産に立ち会っていた相方が、産まれたての赤ちゃんを見て最初に発した言葉は、
「ちんちんデカっ!」
だったははっ… 

厳密に言うと次男坊はオチンチンの袋が大きい。
平均値がよく解らないけれど、『ぬけさく先生』の赤ちゃんの時よりも明らかに大きい。
でも、だからと言ってそれがいいのか悪いのか私にはよく解らない。
でも相方は興奮気味に「ちんちんデカっ!」を言っていた。
羨ましかったのかもしれない。

そんなこんなで三人目の分娩は終わった。

胎盤もすんなり出て来てくれた。

今回は会陰切開もしなかった。
でも、少しだけ会陰が裂けてしまった。
その傷の縫合の時、麻酔が効いてない個所があって、No麻酔で縫い合わせた部分があった。
『明らかにそこ、麻酔効いてないんだけどなー』と思いながら私もされるがままになっていたんだけど、それよりも出産の痛みの方が上回っていたので、何も言わずにその痛みに耐えた。

それよりも後陣痛はやっぱりきつかった。
「痛い、痛い。」そればかりを言っていた。
でも、今回は『のんつぁん』の時ほどではなかった。
『のんつぁん』の時は、痛みどめを飲んでも何をしても痛く、丸二日眠れなかったけど、今回は痛み止めを飲めば痛みが引いてくれた。
でもその代わり、少しの痛みがダラダラと続いた。
退院の日も急激に痛みに襲われたりした。
きっと年をとった分、身体の反応が鈍くなっているのではないかと思う。
だからだらだらといつまでも痛みが長引いたりするのだろう。
それはそれで面倒臭い話だ。



今回も書く。
『お産は十人十色』

全く同じお産は無いと痛感した。

今回もお産が近付くにつれてかなり恐怖心でナーバスになったけれども、結局その日になれば受け入れるしかないし、分娩台の上の私はまさに『まな板の鯉』。
もうじたばたしてもどうしようもないのだ。
三人目にしてようやくその事を悟った。

しかーし!
悟ったところでもう私のお産は終わり。
今回が最後である。(きっと)
入院中、やっぱり身体がしんどくて、一人考えた。
『もうお産は最後にして、これからは家族5人でどう楽しく過ごすかを考えて暮らしたい。』
と。
いろんな所へ旅行にも行きたい。
『ぬけさく先生』ももう数年もすれば、家族と行動を共にする時間も減って来るだろう。
その事を考えればもう家族全員で過ごせる時間は短いのかも…と思ったら、これからはこのメンバーでどう過ごすかを考えて暮らしていきたい…と思ったのだ。

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正直、まさか私が三人の子の親になるとは思っていなかった。
ありがたい事です。
二男と一女を授かる事が出来て、本当に感謝している。
これからは、全力で褒めたり全力で叱ったりしながらこの三人の子達を守って行こうと思っています。



長い文章を読んでくれて、ありがとうございました。









 










「5~6分で行けます。」

そういうタクシー会社の配車センターの人の言葉をもとに、迎えのタクシーを待ったけども、なかなかタクシーは来ず。
その間にも襲いかかる子宮の収縮による痛み。
3月の下旬と言えども夜の空気は冷たく。

結局20分くらい待ったか。
やっとこさタクシーが来た。
私は相方に「じゃぁ、後で。」と言い残し一人でタクシーに乗り込んだ。

タクシーのドライバーは50代後半くらいの女性だった。
大きなお腹をしている私の姿を見てドライバーさんが言う。
「お腹に赤ちゃんがいるんですか?今日はどうしたんですか?え!?陣痛?何人目?三人目!?そりゃ大変!私も三人産んだけど、三人目なんてあっという間で、病院に着く頃には頭が出ちゃっててね…。急がなくちゃね。待たせちゃってごめんなさいね~。」

とマシンガントークをされた。

でもこれでいくらか気分が紛れた。タクシーに乗っている間も何回か痛みがあったけど、この間はそんなに怖くなかった。

そして産婦人科へ間もなく到着。
玄関には、『のんつぁん』を取り上げてくれた顔馴染みの助産師さんが待機してくれていた。

病院に着くと陣痛室に通され、早速内診。
この時子宮口は3cmくらいしか開いていないとのこと。
今夜このままお産になるかもしれないし、でもまだ3cmしか開いていないので、ただの前駆陣痛かもしれない。このまま痛みが増さなければお産にはならないかもしれないし、お産に繋がったとしても、産まれるのは明け方くらいかなー?との助産師さんの診断だった。

3cmと聞いた時、『まだそんなもんか~。』と思ったので、今日産まれるとしてもまだまだ何時間も先だなー、と察しがついたので、長い道のりになるのかとちょっとげんなりしてしまった。
あと何時間この痛みに耐えればいいのだろう?と…。
『のんつぁん』の時は病院に到着してから、2時間半で産まれたけれど、『のんつぁん』の時は破水してからの陣痛だったので、あっと言う間だった。
しかし、今回はまだ破水もしていないので、長くなるんだろうなーと思うとまた身体が恐怖と緊張でこわばった。

それからNSTを1時間ぐらいした。この間に相方が病院へ到着。
「まだ産まれるまでには時間かかるみたいよー。」と相方に告げた。

1時間のNSTのその後は病室へ移動。様子を見る事に…。時間は既に23時をまわっていた。
病室ではTVを付けて、たまに来る痛みを逃していた。
最初はTVの内容について相方といろいろ会話が出来た。
しかし、仕事から帰って来たばかりの相方は疲れてとても眠たそう。
「とりあえず、まだ痛みに余裕がある内に寝ておいて。」と私は相方に指示した。
だって、痛みが絶頂の時に横で相方にうとうとされたらムカつくやん。
『ぬけさく先生』の時なんかは、相方は夜勤明けで尚且つ陣痛が長丁場だったので、相方は私が陣痛でもがいている時にうとうと居眠りをしていたという感じだった。あの時私は何度も心の中で『コノヤロウ。』と思った。
その時の事を思い出しての今回の私の指示。
相方もすぐのその指示を受け入れ仮眠に入った。


相方が仮眠に入って間もなく、痛みが2分間隔になった。
そしてその痛みがだんだん増して来た。
もうTVをきちんと観る余裕も無くなって来た。
相方が寝息を立てている傍で、私は必死に増してくる痛みに耐える。
何度か相方を起こそうかと思ったけど、『まだ耐えられる。』『もう少し耐えられるんじゃないか。』と、お得意のヤセ我慢をしながら必死に痛みを逃し続けた。

そして、気付けば日付が変わって29日。
AM0:00過ぎ頃か、看護師さんがお腹の張り具合や、赤ちゃんの心音を確認に来た。
そして看護師さんが「看護師 いい陣痛がついてきているようだね。もしかしたら、2時過ぎには産まれるかもしれないね。」と言った。

私は心の中で、思った。
『あと2時間以上かかるのかよー。泣き2


それから2時間、私は必死に痛みに耐えた。
痛みと痛みの間隔は1分半くらいになっていた。
痛み自体の長さは40秒ほど。
波のように押し寄せる。
痛みがどんどん強くなり、それまでは立って痛みに耐えていたけれど、もう立つ余裕も無くベッドで横になり必死に痛みに耐えた。
あまりの痛さに相方を起こし、腰をさするように指示。
別に腰をさすってもらったからと言って、劇的に痛みが軽減する訳ではない。
はっきり言ってそんなに痛みは変わらない。
でも、少しだけ軽くなるような気がする。
それが大事。
そして、一緒に痛みに耐えてくれているような気持ちがする。
それが大事。

私と相方は何度も何度も襲いかかる痛みと闘った。


~つづく~











2012年3月29日に私は3番目の子である次男を出産しました。
記憶が残っているうちに出産の記録を綴ります。


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3月28日(水) 予定日当日。
朝起きても特に何の兆候も無し。
まぁいつもよりお腹が重いかなーとは感じていた。

この日も春休みで『ぬけさく先生』も家にいたし、『のんつぁん』ももちろん在宅。
春休み中、ほとんど外へ遊びに行けていなかったので、重いお腹を抱えつつ家の周りで少し遊んだ。
その後も基本的にずっと家にいたけど、お腹の重さがいつの間にか不快感に変わっていった。
お腹が『重い』から『微妙に痛い?』と感じる。
夕方、夕飯の支度中も不快感は取れず『微妙に痛いなー』な感じのまま夕飯を食べる。

18時半頃に入浴し、19時過ぎにお風呂から上がると間もなく結構きつめの痛みが押し寄せて来た。

うわー、なんか嫌な感じだね。

そう直感で思った私は、『ぬけさく先生』に一言伝えた。
「赤ちゃんが産まれたら、お母さんはしばらく病院にいなくちゃだから、その間おじいちゃんちで『のんつぁん』と一緒にいい子にしてるんだよ。」と。

そうすると『ぬけさく先生』は「うん。分かった。」と言った。


その後、19時半には寝室へ行き二人の子供を寝かしつけへ。この間にも6~8分置きくらいで痛みが来る。
『もしかすると、これ陣痛かもしれんなー。』と思いながらこの日は1時間くらいかけて子供達を寝かしつけた。
その後20時半過ぎにリビングへ戻って来た所で相方から『仕事終わったよ電話』が掛って来た。
そこで相方に「なんか微妙に痛みが来ているからもしかしたらもしかするかもしれない。でもまだ間隔がバラバラだから違うかもしれない。(どっちやねん!)とりあえずチョコレート食べたいから買って来て。」と伝えた。

それから相方が帰って来るまでの間にも痛みが襲って来た。
間隔が3分くらいしか空かない時もあったし、10分くらい空く時もあった。
痛みがわりときつくなってきたので、相方に早く帰って来て欲しかった。
だけども、相方はなかなか帰って来なかった。
それもそのはず。私に頼まれたチョコレートを買う為に、スーパーに寄っていたから。
結局相方が帰って来たのは22時前で、私がトイレで用を足し終えてトイレから出たのとほぼ同時だった。

帰って来た相方を見るなり私は相方に言った。

「もしかしたらお産になるかもしれない。出血したから。」

そう。私は用を足しに入ったトイレで、”おしるし”を確認していた。
結構きつめの痛み+出血=お産だな、というのは、さすがに三人目ともなると容易に想像出来た。
とりあえずすぐに産婦人科に電話をしたら、「看護師3人目なのですぐに来て下さい。」との事だったので、すぐに準備をしようと思ったが、もう寝てしまった子供達を置いていく訳にはいかないし、かといって叩き起こして病院に連れて行くのも大変だったので、母親に家に来てもらい子供をみてもらう事に。しかし、実家は車で30~40分かかる場所にあり、そこから来る母親を待つのも時間がかかり過ぎるので、とりあえずタクシーを呼び、私一人で先に産婦人科入りをする事に。
そして母親が到着し、子供を託した後で相方には産婦人科入りしてもらう事にした。

タクシー会社に電話すると、5~6分後には出来るという事だったので、寝間着姿だった私は急いで洋服に着替えようと身支度を始めたのだけれど、それと同時に一気に緊張感が私を襲いかかって来た。

陣痛怖い!
この気持ちが急激に現実のものとなって私を襲って来て、私は身支度をスムーズにしたかったのに、身体が言う事をきかなかった。からだがガチガチに硬くなって、小刻みに震えた。
暖房も効いて、暖かいはずの部屋の中にいたのに、寒気がした。
完全にビビっていた。
これから間違いなく来る、激しい痛みを受け入れる勇気が無かった。

そして身体を半分こうちょくさせながら、やっとの思いで着替え、玄関前でタクシーを待ったが、10分以上待ってもタクシーは来なかった。
その間にも襲い来るお腹の痛み。
私は一体どうなってしまうんだろう?という漠然とした不安に包まれた。


-つづく-



















新しいキーケースが欲しい…。
欲しいやつは高くて自分では買えません。





Android携帯からの投稿
今日、退院しました。
今は自宅に私と次男坊の二人きり…。
何だかえらい嵐が数時間前に来て、その時は心細かったぁー。

『ぬけさく先生』と『のんつぁん』は実家におります。
明日二人には会える予定。
家が静かすぎて淋しいのです。
さっきまで、『ぬけさく先生』と『のんつぁん』の小さな頃の画像を見返してしみじみしていました。
早く会いたいよー。
28日の夜に入院して、何回か産婦人科に来てくれたけどあまり長い時間過ごせていないので、何だか淋しいのです。
毎日毎日やかましい!と思っているけれど、一緒に過ごせないと淋し過ぎて…。
最近は心底『子育てから解放されたい!』とは思わなくなってきたなー。
本当にあっと言う間に子供が大きくなってしまうんだって事を知ってしまったから。
子供達が母ちゃん、母ちゃん、って言ってくれるのも本当に限られた時間なんだって思うと…。

ヤバい、またおセンチなDaRiちゃんが登場してしまった…。

とにかく、私は子供達に囲まれて「やかましー!」って言ったり思ったりしているくらいの方が性に合っている気がします。

私の可愛いベイビーが登場しました!


つうか、後陣痛が痛すぎて眠れましぇん。ショック!



放置されぎみのブログですが。

今月はいろいろと忙しく。
何が何やら自分でも頭の中の整理がつかずです。

そんな中で今週は『ぬけさく先生』の卒園式がありました。
とにかく出産予定日と近かったので、出られるのかどうか心配だったんだけど、出席する事が出来て嬉しかったです。
どうしても出席したかったんです。
どうしても。
『ぬけさく先生』が頑張った証をこの目で見たかったから…。

皆勤賞
『ぬけさく先生』本人が、初めてやる気を見せた「皆勤賞を取る!」という目標。
小さな目標かもしれないけれど、本人が取る気満々だったので応援してあげたかった。
皆勤賞取る取らないなんて、親はハッキリ言ってどうする事も出来ないと言うか、応援してあげる事しか出来ないからねー。
もし『ぬけさく先生』が風邪をひいてしまっても、代わりに私が出席する訳にはいかないですし。
『ぬけさく先生』の予防をする気持ちと、あとは運が良かった事。
『ぬけさく先生』の皆勤賞、一度危ぶまれましたよ。ノロになって。
でも、丁度休みかなんかとかぶって、切りぬける事が出来た。
これは本当に運が良かったんですね。あとは、『ぬけさく先生』自身が強くなったという事ですね。風邪を引きずらなくなった。
本当に、本当に強くなった。
小さい頃、下痢&嘔吐&発熱を繰り返していたあの息子だとは思えないほど。
過去の写真を見て見ても、出てくる出て来る『冷えピタ熱』をおでこに貼った仏頂面の『ぬけさく先生』の画像が…。
そのくらいすぐに体調不良に陥っていた息子が、まさか皆勤賞を取れる日が来ようとは思いもしなかったので、私も感慨深いものがありました。

卒園式

卒園式で皆勤賞の名前を呼ばれ起立した時。



賞状授与
教室で先生から直接賞状を頂いた時。

特にこの2つの場面では、私自身大粒の涙が止まらんでした。
本当によく頑張った。
取り立ててものすごい特技がある訳でもない息子ですが、心から誇らしいと思いました。

クラス27人中、皆勤賞は男子2名 女子4名。(相変わらず女子は強い!)

本人は、幼稚園が大好きだったので、卒園式の日はメソメソ泣いていました。
もうこれで最後だと言うのをひしひしと感じてしまったのでしょう。
先生と言葉を交わした後は、涙を必死にこらえている表情が伺えて…。

ああいう表情を見ると、こちらもちと心配になってしまうのですが、何とか新たなステップを踏むべく新しい未来に向かって頑張って欲しいものです。


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さて、最近妊娠経過についてはほとんど触れていませんでしたが、現在39週と3日。
来週の水曜日は予定日です。

昨日検診に行き、内診をした所、
医者 赤ちゃんがものすごく下がっている訳でもないですねぇ。」
医者 子宮口は1cm…ん~2cm開いているかな?って感じですかね。」と言われました。

要するにそんなに今すぐどうのこうの、って感じじゃ無さげな感じ…。
子宮口が1~2cm開いているってのも、この時期の経産婦さんならごく普通の事だそう。

私自身もいつもと異変は感じないし。
やっぱり今回も予定日を超えそうですな。
まぁ上二人とも予定日より遅めで産まれて来たので、自分もそのつもりでいるから、逆に早まったらビビるのですよ。
如何せん怖くてね。陣痛が。痛いから。
本当にビビってますから、私。

出来れば何とか穏便に済ませてくれませんか?お願い

と、お腹の赤ちゃんに願いたい所です。

何が嫌だって、いつも吐き気がするほどの痛みが襲ってくる訳ですよ。MAX時は。
日常でそんなに吐き気って感じないけど、陣痛はもう痛過ぎて吐き気を感じるんです。
オエ。ってなるんです。普通に。
もうそれが辛くて嫌なのです。
そして、あの波のように襲ってくる痛みが余計恐怖心を煽る訳です。
まぁ、ずーーっとあの痛みが持続されても困りますけど、あの波打つような痛みも恐怖です。
「来るぞ来るぞ。」ってなんか分かるので、それが怖いのですよ。余計。

あー、やだ。

思い出すだけで恐怖。

毎回「無痛分娩にしたら良かった。」って後悔するのです。
まぁ、うちの産婦人科は無痛分娩はやってないんだけどもね…。


ここで「怖い。怖い。」って吐き出さないとやってらんないほど怖い。

陣痛中は相方に対して、ちょっとイラッとする事もなきにしもあらず。
『おぬしのせいでこんなに痛い目に遭っとるんじゃ!ゴルァ
と思わずにはいられないのです。えぇ。

とりあえずね、何が言いたいかと言いますと、

「痛いの嫌だ!怖い!何とかしてくれ!」

という他の人が言われてもどうしようもない事なんですねー。

とりあえず、何とか頑張りますー。(泣)










 もう3月。
ここのところワサワサしていて、ブログを更新する気になれなかった。
もうこのブログも潮時かな…と思う事もしばしば。
今、いろいろ考え中です。


さて、ここの所、何にワサワサしていたのかと言うと、
大きく分類すると
1またオカマ掘られた
2幼稚園絡みの用事が多過ぎて毎日時間が無い
3 産婦人科の注射へも行かなきゃイケナイ上に、検診回数も増えるので脳ミソが破裂しそうだ

というこの3点。


1の『またオカマ掘られた』に関して。
まぁ、読んで字の如く。
2008年の年末に引き続きまた運転中に後ろから追突されました。
新車購入から3ヶ月とちょっとで愛車は他人の手により傷付けられました。 
もう残念無念です。
でも、同乗していた家族全員怪我が無かったので良かったです。
何が腹が立つって、ぶつけた張本人が逃げた事です。
所謂『当て逃げ』ですよ。
車はぶつけてしまったら、速やかに交通の妨げにならない場所へ移動し、警察へ報告しましょう。という根本をどこかへぶん投げて、逃げるとは…。
私も開いた口が塞がらないというか、びっくりでした。
でも、逃げた事で私の闘争心に火が付いたのも事実。

ぜってー、逃がさん。
という気持ちがふつふつと沸いてきた訳ね。
私ね、へび年で蠍座の女よ?聞くからに粘着質っぽいでしょ。

ナンバーをばっちり記憶しましたよ。バッチリ。

まぁ、間もなく加害者は出頭する運びとなった訳ですが、本当に何をやっているのだと思いますよ。
その場ですみやかに停まって、事故処理すれば単なる物損事故で済むものをね。

今、そして愛車は修理中です。
早く帰って来ておくれ…。


そして23について。
もうすぐ『ぬけさく先生』も卒園という事で、幼稚園絡みの用事で幼稚園に行く事が多いのなんのって…。
今週も3日連続で私は幼稚園へ行きました。
明日は行かないけど、また明後日行事があります。
どないやねん。

来週も、再来週も、その次も行かねばならぬ。
そしてその合間を縫って産婦人科へ貧血の注射と、もう臨月なので妊婦検診が週1になるって事で行かなくてはならず…。
今日も、産婦人科へ検診&貧血検査をしに行ったら看護師さんに「看護師もうDaRiさんは上のお子さんの時から、注射のエキスパートですね。」と、褒め言葉なのかその逆なのか分からない言葉を頂きました。
注射を打つエキスパートならまだ医療従事者に対する称賛の言葉かもしれませんが、打たれるエキスパートって、やっぱりあんまり喜ばしい話じゃない事は確かね。

まぁ、そうですよね。
人生で、こんなに集中して注射する事ってそうありませんし。
もう腕が青アザがずっと消えて、また出来て…の繰り返しですよ。

もうね、今回は数値が回復しないままお産に突入するんじゃないかと思います。
だって数値がちょっとでも上がればいいのに、まったくその兆しがないんだもの。
しかも、今日の検診で驚愕の事実。
お腹の赤ちゃんが、2週間前より700gも大きくなってる!
デカい!
デカ過ぎないか?
これだと益々わたしの貧血の値は回復しそうにない気がする。
まぁ、それもこれもどれも子供に害が無ければいいと言えば良いんだけど、あまり大きくなり過ぎると、分娩が本気で心配です。
長引きませんように。痛過ぎませんように。
すべてほどほどにお願いします。
というのが私の今の願いです。




もう関東は花粉シーズン突入だとか言われているけれど、とりあえず今のところ私はまだ大丈夫。
去年施したレーザー治療のお陰なのか?
もともと今年は飛散量が少なめだという話なので、アレルギー薬が飲めない今年の私にとってはありがたい話。それプラス、レーザーの効果がまだあるのだとすれば今年はまだ乗り切れそうな予感がするんだけども…。
とにもかくにもまだこの寒さで花粉自体が飛んでないだけかも、という思いはあるので油断は出来ない。

しかし寒い。
今年は寒い。
今日はマジ寒い。

今日も朝から原因不明の腹痛に襲われ。
軽く吐き気もするし。
今は大分治まったけどね。

今日履いているマタニティ用のパンツ。
確か「暖かい」という触れ込みで買ったはずなのに寒い…。
このパンツを履くと寒く感じる。
履かない方がマシなんじゃないか?と思うほど寒い。
さっきネットで裏起毛のパンツとか探したけど、もう時期的にほとんど売ってない。
寒い…。
とにかく寒い。
足元に掛けた毛布は娘に奪われた…。

寒い…。

私は今、週に何度か病院に行ったりしないといけないので、『のんつぁん』を家から近い距離にある家庭保育室に預けて行ったりしています。
自分の体調が悪くて病院に行く時等も。

いつもお世話になっているその家庭保育室は心強い子育ての味方だったのですが、今回室長さんの旦那さんの体調が芳しくないと言う事で、急きょ閉鎖になってしまいました。

本当に本当に困った。

これから下の子も産まれるので、益々来年度はお世話になろうかと思っていたのに…。

例えば下の子の検診の時や具合が悪くなった時等…。


電話で「今から預かってもらえますか?」と直前に言っても時間内であれば嫌な顔をせずに子供を見てくれるので、私にとっては本当に有り難い存在だったのに…。

もの凄くがっかり。

これからどうしようか。

本当に困った。

うちの母親は、あまりアテにならん。こういう言い方をすると、アレかもしれないけどさ。
うちの母親は基本的にもちろん『孫は可愛い』んだけども、自分の時間や自分の体力などを犠牲にしてまで孫に時間を割こうとはしないタイプ。
あくまでも自分優先なので、急に「今日、子供の面倒見てくれない?」と言っても見てくれない事が多々。かなり前もって予約が必要。
なので、やっぱりそんなにはアテにはならん。
私はそれでも仕方ないかなとは思っている。まぁ母ちゃんには母ちゃんの人生があるから、私は「何が何でも面倒見ろ!」とは言えない。
でも、結局具合が悪くなったりとかは急になるので、困った時にすぐに預かってくれる家庭保育室は強い味方だったのだ。
もちろん、預かってもらっている時間は料金はかかる。
でも、1時間400円で子供を嫌な顔をせず預かって面倒を見てくれるのならありがたい。
そんな強い味方が私の目の前から姿を消す…。

これは辛いです。

ポイっと放り出されてしまったような。

本当に子育ての路頭に迷ってしまった感じ。
これからどうしよー。
普通に泣きそう。


なーんでこうなっちゃうんだろう。
相方だって、仕事の休みが融通が利く仕事ならいいんだけど、全くもってそうではなく、むしろその逆。
「休み」と聞かされていた所が急遽出勤になったりする事が多々。

本当に、世の中の孤独なママさん達、他にもいるだろうけどどうしているんだろうなー?
鬱になったりしないのかなー?

私なんか、どんどん暗い暗い闇の中に入り込んで行っているような気分しかしないよ。