本光寺住職のダラブログ

これからのお寺は変わらなければ。「人間ダラといわれて一人前」を掲げる住職の、御門徒さんとのふれあいブログ、略して「ダラブロ」


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 今ふと、私の幼い時分のことを思い出しています。それは私の何歳の時か、多分5歳位の頃だろうと思います。私の目に浮かぶその光景とは、朝、祖母(昭和34年没)が私に朝食の前に仏間に行ってお参りにするよう促がしています。当時、家族一人一人に箸箱が持たされていて、朝には必ずその箸箱がお内仏に置かれてありました。祖母はいつの頃からか朝食の前に孫たちにお内仏で手を合わせることを習慣付けようと、このような仕掛けを考えたのでした。このような子供の仕付けが我が家ではいつ頃まで続いたのか、私にその覚えがありませんが、ただ、今になってみれば祖母のこの仕掛けは妙案だったと、感じ入ってます。

ところで、私の家には結婚以来、手作りの小さなお内仏があります。木の切れ端に自分で「南無阿弥陀仏」と書いたものと、捨ててあった燭台と香炉と華瓶を拝借して部屋の一部に場を作り、そこに並べ置き、我が家のお内仏としています。それは仏壇のような箱物の体裁ではないので、それらしくはありませんが、それでも今まで一度も華瓶に挿した花を枯らしたままにしておくことはありませんでした。

女房は毎日このお内仏に仏飯を備え、いつも何かしら「ムニャ、ムニャ」と、唱えています。感心なことに人から物を頂戴すると直ぐにそこにお供えし、近頃は図々しいことに宝くじ券までがそこに置かれてあります。子供たちは仕事に出掛ける前に、手を合わせて「行ってきます!」と声を掛けて行きます。一銭もかけないで作ったこのお内仏、見掛けは悪いがこの25年間、4回の引越しにも私たちと共にしてきましたから、私たち家族にはとても愛着があるのです。
お内仏

人はよく仏壇を持たない理由に「我が家では、まだ死んだ者がいないから」と言います。何れ、そのような不幸な事態になってからと、それを理由に仏壇を備えない人が案外と多いので、日常の家庭生活の中に手を合わせる場があることが如何に大切なことだと気付いている人は、まだまだ少ないように思います。

日本の何処かの学校で、生徒たちに食前の合掌をさせないで、先生の「始め!」の号令で食べさせるという話を聞いたことがありますが、このようなことを聞くと、私は〝あぁ~、どうして〟と、ため息が出てしまいます。

住職の口癖  
読経の前に、その儀式の軽重・場所の大小・人数の多少を心得ておくこと。
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 3年前の春に私の住職在任20周年を記念して、『本光寺108の謎』 と題した本を出版していただきました。この本は288㌻からなり、厚い表紙がつけられた立派な装丁の本に仕上がりました。私が住職になってこれまで辿ってきた20年間の歩みを「謎解き」と形で著し、字体も大きく読者に読み易く配慮されていています。
108の謎
 そして、一つ一つの謎に関係した写真がふんだんに載せてあり、写真を見る楽しみもあり、読み出すと大概一気に読み切ってしまう人も多いようです。
先だって、ある門徒の方が「うちでは、あの本をトイレに置いてあって、毎日しゃがむ度に一つずつの謎を読むことにしています。このやり方だと家族の間で回し読みするのと違い、家族の者皆に読んでもらえると思ったんですよ」と、笑いながら私に話して下さいました。よく考えたものです。恐れ入りました。

 この本は本光寺全門徒と、他にこの寺に多少なりとも関わりのある人たちにもすべて無料で頒布したのですが、それでも中には「この本は幾らだ」と、懸念がって問い合わせてくる人がありました。そこで、「無料です」と言うと、決まって‘意外だ’という反応なのです。このような反応もこれまで寺というと、兎角‘取りがち(おねだり癖)’だと反感を持たれているように、矢張り寺と云えば寄付、というイメージが根強くあるからなのでしょう。

 イメージといえば、この本のお陰で寺の印象も少し変わったようです。「寺では日常何をしているのか」「住職をはじめ僧侶はどのような人物なのか、また、どのような考えをしているのか」などの謎にこの本が十分答えてくれたと思います。
さて、その年の7月26日に市内の某ホテルで“円満パーティー”と称して、この本の出版祝いをしました。このパーティーには、319名もの人たちが集まり、誠に賑やかな、そして、色々なアイディアを凝らした型破りの楽しいパーティーでした。その一つを紹介すると、この本の中から11のテーマを選び出し、パネルディスカッションがあって、多くの方々が次から次と証言台に立って楽しい話をして下さいました。

 丁度「ミニ公園 とは」というテーマの話の時、突然ある人から「謎掛けが出来ましたので披露させて下さい」と発言があり、「ミニ公園と掛けて、住職と解く」「その心は、間に合わないようで、間に合う」。私は何と上手く言い当てたものだと感心しながら、このような人間関係ができたことを嬉しく思いました。
ミニ公園2

住職の口癖  親の辛抱で、子が育つ。

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 今から21年前、その年の9月中旬、小学6年生の男の子が学校のプールの排水口に吸い込まれて溺死をするという誠に痛ましい事故がありました。この事故を聞いて葬儀に集まった人たちは誰もが驚きの様子を隠せず、周りの人とそのことを語り合い、涙して悲しみ、当然のことながら重苦しい空気が式場全体を包んでおりました。

そうした中、葬儀が始まり、同級生で一番仲良しの友だちの弔辞によって、堰を切るようにそこに居た全ての人たちの涙を誘ってしまったのです。それは子供の飾らない素直な表現の数々が全ての人たちに共感をもたらし、感動を与えました。ところが、弔辞も終わり読経が始まるところで、‘始め’の合図に打つキンの音が鳴らないのです。そのキンを打つ筈の伴僧が、どうも貰い泣きをしている様子なのです。

私は困りました。それでも、どうにかキンが鳴って、私が調声(ちょうしょう)を執りましたが、その後に続いて唱えてくれる筈の伴僧二人が年甲斐も無く鼻をすすりながら、押し黙ったままで後に続いてこないのです。
そう言う私も、その場に居ながら居たたまれない程の辛い想いをしていましたが、心を鬼にしようと自分に言い聞かせて、努めてご両親の顔を見ないよう、弔辞の文言を思い出さないようにと、一人正面の一点を見つめて読経を止めぬよう頑張っておりました。

 さて、今日、子供が死亡する場合、生来不治の重い病気に罹っていた者や、不慮の事故に遭った者以外、その死亡の原因は大半が親の不注意によるものだ、と云われるくらい子供の死亡数は減少しました。そこで、私は今年100回忌に当たる明治37年の過去帳(本光寺門徒の死亡記録台帳)で、当時のその辺の状況を調べてみることにしました。
その年の死亡数は269人で、その内10歳未満で死亡した子供は124人にも上りました。この数は何と全体の46%にもなるのです。更にこの年の平均年齢はと計算してみると27歳になります。今日の日本は世界で最も平均年齢が高いとされていて、恰も誰でも長生きできるような錯覚を持ちがちですが、これは言うまでもなく子供の死亡率が低いことに他なりません。

 我が子が亡くなるということは、親が亡くなること以上に辛いことです。特にその時の母親の心中を察した時、身を分けた我が子が死ぬという耐え難い苦難を生き抜いてきたこれまでの母親の逞しさに、只々女性の偉大さを思います。

住職の口癖  何事も、やる前からダメだと決めつけないこと。

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ご愁傷さま


私は、これまでにどれほどの数の葬式に出たでしょうか。30年間として、ざっと単純に計算しても5000回位になるでしょうか。以前にもこのだらメルで、張り詰めた儀式では、紙一重で喜劇になる、と書きましたが、これがまた逆に悲劇を生み出すこともあります。


それは、ある町の公民館で葬式があった時のこと。葬式の次第も先に進み、一般焼香になり、呼び出された人たちが順に祭壇前の香炉の前に立ち、焼香をしていました。祭壇に向って右手の直ぐ脇には遺族の方々が座って揃って内側に向き、次々と焼香を済ました人たち一人一人に、会葬の礼にと一々頭を下げて丁重に応えています。そこへ30歳代位の女性が焼香を終え、踵を返して右に向き、そのまま座り、喪主に向って深々と頭を下げて何か言葉を掛けていました。


ところが、この女性の後に焼香をしていた男性が一歩足を下げ、此方に振り向こうとしたその時、一歩下げたその足が女性の長いふわふわとしたレースのスカートの裾を踏み、そこへ立とうとした女性と同時になり、ジャーと音がして腰の辺りからスカートが縦に裂けてしまいました。それを運良く見ていた私は、その光景を見て思わず息を呑み、読経の声が一瞬止まり、目を覆うのも忘れ、そのまま見ていいものか、悪いのかの判断も付かず、その成り行きを見守っておりましたら、この女性は大層憤慨してその場を足早に立ち去って行きました。


この話の序に申し添えておきますと、葬儀の時の遺族への挨拶は式中にはせず、式の前後にした方がよいでしょう。


次は、これまた嘘のような本当の話なのですが、ある門徒宅での葬式で、その家の手次寺の住職が、温泉で遊び明かし、一睡もせずに葬式に出て来たのでした。葬式が始まり一番最初の調声「帰命無量寿如来」と発声した途端、一気に寝てしまい、次の調声の箇所で何も言わないものですから、後に居た伴僧がその気配を察知して起こそうとキンの撥で住職の背中を突付いてみました。


すると、夢心地で居たその住職は前日の宴会で唄った得意の民謡『関の五本松 』を唄い出したのでした。これは何ということでしょう。大事な葬式はブチ壊しになり、その場にいた遺族は大いに怒り、「この坊主、表に放り出せ!」と叫び、遂に取り返しのつかない、悲惨な葬式になってしまいました。

後本末

住職の口癖  夢は大きく、行動は大胆に。

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 私の高校2年生の新学期に、風変わりな男の先生が赴任してきました。普段の風采は短髪で白いワイシャツにノーネクタイ、下駄履きといういでたちでした。私はこの先生に、いつの日からか部活が終わってから晩に友だちと押し掛けて、英語と国語を習っていました。場所はいつも不特定で先生の都合に合わせ、学校の時もあれば、小松の先生の下宿ですることもありました。

私は学校まで8kmの距離を自転車で通っていましたが、その都度学校で、今日は何処でするのか訊ねるのですが、これが全く当てにならないのです。「今日は下宿でする」と先生が言っても、大概居ないことが多かった。そんな時、私は学校に電話をしてみると「今日は学校に変更だ」と言われ、また8kmの道のりを自転車で学校へ行くのです。すると、いつものように数人の先生と酒盛りの真っ最中です。そこに来た私を見て「おぉ、よく来たな。今日から暫く古語で日記を書いてみろ。書いたら見せろ」と言いつけて、また楽しそうに呑んでいます。時には「マコ!酒、買ってきてくれ。おい、このことはおとっちゃんに言うなよ」(当時私の父はこの学校の理事長でした)と口止めをされたこともありました。

こんな時私は先生と共通の秘密が持てたことがうれしかったのですから、私もやっぱり変です。破天荒で、だらしなく、自由奔放で、乱暴な人でしたが、なぜか私はこの呑んべぇの先生が好きでした。こんな具合だから、もし、先生が「今日は京都でする」とでも言ったとしたら、あの時の私はきっと自転車で京都まで行っただろうと思います。

こんな先生が私に卒業する頃に言ってくれた言葉に、「マコよ、だらであれ。このだらと云うのは、謙虚であれ、と云う意味だ」と。先生は小松に来て、短い間にこの“だら”という方言をこのように解釈したのです。恐らく、この言葉に込められた私に対する願いは、<お前は、何れ否応なく、座れば上座に、喋れば高座に立つ身分になることだろうが、決してその身分に甘んじるなよ>ということだろうと受け取って、今でもこの言葉を肝に銘じています。

5年前、この先生が25年ぶりに鈴鹿高校から北陸大谷高校の校長 として招聘されました。私にとって何と35年ぶりの再会でした。こんな長い年月を経ても忘れられない昔の自分を、一途と云うか、目出度いと云うか、だらと云うか、これが今とちっとも変わっていません。

住職の口癖  
呑みに誘われても、断る勇気を持ちなさい。(実はこれ女房の口癖)
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