藤田和日郎漫画における『死の原則』はどうなる? | 日々だらくだるく

藤田和日郎漫画における『死の原則』はどうなる?

今週(08年4月2日発売号)の月光条例にて新たな設定放出

「『月打』された『おとぎばなし』の住人が正気に戻れば、その者のした悪事はなかったことになります。」


正気にもどらなかったっときは「<読み手>の世界で壊れたもの、傷つきし人はそのまま・・・そして、登場人物が不在のままの『おとぎばなし』はまもなく消滅してしまうのです。」(ほぼ原文まま)



うちの弟に言われて気がついたのですが、この設定は藤田先生の漫画にあるまじきものです。



ポイントは「死者」について


藤田先生の漫画では『死んだ人は生き返らない』というのが原則恒例となっています。(『原則』は言い過ぎと指摘されたので変えました)

これはからくりサーカスのガイドブックにも記されております。

理由はキャラに花道を作るためだそうな。



サーカスのすべて からくりサーカス公式ファンブック/藤田 和日郎
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そういうわけで上の新設定のうち上のほう


「『月打』された『おとぎばなし』の住人が正気に戻れば、その者のした悪事はなかったことになります。」


「死んだ人も生き返ってしまう(?)」という点において結構問題ありといえる設定です。



下手したらドラゴンボール状態になってしまうこの設定。

とんでもないものを出してきましたが、藤田先生がこのようなものを許すはずがございません!



ということで、この設定の欠点を藤田先生がどう回避するかについて考察。


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1、『死』はなかったことにならない


上の設定において『死』については触れられていません。

ゆえに『死』については例外という可能性があります。


しかし、さすがに『悪事』というくくりに入ることであるので、ちょっと苦しいか。

ただ、『死者が生き返らない』という原則を守ろうとするとこれしか残らない。



2、おとぎばなしの住人が元に戻せなくなる


上の設定どおりですが、『おとぎばなしの住人を元に戻せない状態』という状態が現状では把握できていません。

『おとぎばなし』が消滅してしまうことなのか、はたまた執行者以外によって殺害されることなのか。


後付設定でまかなえるので可能性が高いですが、『死者が生き返る』という事態が回避できないのも事実。

『死』に重みがなくなってしまうので、回避してほしいところ。


この設定になる場合は、『おとぎばなし』が消滅してから藤田先生が本気になると思っていただいたほうがいいでしょう。



3、新条例の制定


藤田先生の漫画では、話が終盤に入ってからキャラがばたばた死にはじめます。恒例行事です。

このときにあわせて新しい条例が制定されるかも。

・・・ないですねそんなものは。




おそらくは2なのでしょうが、死者が生き返ってしまうのが避けられないのでちょっとまずくないかという話。


「死んでもドラゴンボールで生き返らせればいい」ならぬ

「死んでも『おとぎばなし』の住人を正気に戻せばいい」になったらちょっと興ざめです。


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ドラゴンボールのあのせりふは、漫画史にのこる外道なせりふベスト5に入ると思うのですがどうでしょう?

残りの4つはドラえもんが占める気がします。



変ドラページ「なんだこりゃ?」 (アフィリエイトじゃないよ!単なるリンク)

ドラえもんの魅力の半分はそこはかとない黒さでできています。



追記

今週の場合、子豚の一匹が狼に食べられてしまいましたが、これは元に戻るのでしょうか?

国会議事堂にいた人の何人かは死んでしまったと思うのですが、生き返るのでしょうか?


ここで一気にいろんな設定が提示されそうです。


さらに追記

答え1.生き返っちゃいましたwどうすんのこれw


09年2月5日追記

これが回答のようです

ドラゴンボールVS月光条例