災害対策基本法の改正案が18日の閣議で決定された。


 その中に、「市町村が被害状況を報告できなくなった場合、都道府県が自ら情報収集のための必要な措置を講じなければならない。」また自治体から物資要請が届かない事態も想定。県と国は、被災地からの要請を待たず、自らの判断で物資を供給できる。運送事業者に物資を運ぶよう要請できるとしている。


 震災後、郷里・女川で生き延びた多くの方々の話を聞いて、心が痛んだ。7-8割が流失したところで、ほぼ3日間、「人間は水だけで生きれるんですね」という話に絶句した。どうして県はすぐに助けてくれなかったのか、恨めしい気持ちを持っていた。


 経験談は誇張ではないことが、東京で開かれた「女川に元気を送る会」で講演してくれた前教育長(震災対策副本部長)の遠藤先生の話でも、行政の責任者の言葉で語られていた。「食べ物がない」、震災後50時間が経た。安住前町長は、ガレキを徒歩で通り、車が動く地点までたどり着き、米の買い出しに向かう。隣の市のJAを訪問。倉庫には米俵があったが、すべてその市と契約しているとのことで断念。さらに内陸に入り、米の買い付けが実現。


 現職の町長までもが、米の買い出しに行かざるを得ないとは・・・。「水だけで3日間生き延びた」との証言を根拠づける。多分、県も大変だったのだろうが、他県も含め、救援等の業務で都道府県の役割の不明確さが気になっていたが、今度の改正案は、そうした問題意識を反映したものであろう。詳細はわからないが、十分な規定なのか、判断の資料はないが、この時こそ、自治体の責任者だけでなく、自治体の職員・住民も、自らの経験を踏まえ、発信をしていくべきと考えている。今後、災害があっても、同じことの繰り返しのないように。


 それこそ、被災地に住む者の責任ではなかろうか。支援をしてくれている全国の皆さんに対する義務ではなかろうか。


 人的被害として、死亡・行方不明・負傷が前面に出るが、生き延びた者への支援がどうだったのか、これも人的被害の一つである。東北の住民は、「我慢強い」といわれるが、「我慢」を前提とする体制をそのままにしてはいけないのではなかろうか。