月曜日ですが、花見山に行ってきました。

例年は、全国からの花見山観光のバスで、地元の人間は混雑で、足が遠くなります。

今年は、原発事故による放射能により、キャンセルが相次ぎました。

しかし、花は例年以上に、咲き乱れています。

 折角咲いてくれた花に悪いと思い、マスクをしながら1時間の小遠足。

 あまりいいカメラではないのですが、何枚かを添付します。



dankeのブログ-花見山(1)


dankeのブログ-花見山(2)
dankeのブログ-花見山(3)

dankeのブログ-花見山(4)


dankeのブログ-花見山(5)


dankeのブログ-花見山(6)


どうして、花見山に行きたくなったか?

この前、女川に行った同僚が、ブログでこんなことを書いていました。


「今朝、花見山に行ったのには、もう一つの理由があります。昨日、津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町に行き、現実とは思えない光景を目の当たりにしました。このままでは自分の精神のバランスが崩れてしまいそうな気がして、花見山に足を延ばしてきたのです。そこには、原発事故がまるでなかったかのように、写真家の故・秋山正太郎氏が「福島に桃源郷あり」と形容した美しい光景が今年も拡がっていました。

 地震・津波も桃源郷もどちらも自然のちからです。安住宣孝女川町長は、『私たちは、99%は自然から恵みを受けてきたが、1%欠けているところで地震や津波に遇ったのだ』と話していました。東日本大震災に関して、東北人(日本人)の忍耐強さが美徳として語られています。東北にルーツをもつ一人として、個人的には強い違和感を覚えるのですが、自然のちからに対する畏怖・畏敬の念が底流にあることは確かであるように思います。

これから、私たちは自然のちからに寄り添いながら生きていくことができるのでしょうか?」


 私は、女川は3回行き、瓦礫の山が見慣れてきました。しかし、こどもたちの気持ちを考えると、避難所の周りにでも、花を咲かせたいような気もしますが。