自分の面倒を見てくれた人間との別れは2回目。

4.5才の時に母さんが亡くなって約20年たっているから、あまりそのときの記憶は無いけど断片的に何個か覚えてる。


亡くなった瞬間に泣きながら叫んでた自分と兄貴とか、葬儀の時に弔辞読んでる父さんとか。


生きているときの記憶も曖昧で、ソファに寝たきりのただれた片目に眼帯つけている母さんしか自分は知らんし、
母さんの元気な時の顔は遺影でしか知らん。


母さんの死後、俺と兄貴には母親の存在が必要だと父さんは相当こんつめていたと思う。
再婚に躍起になっているように自分には見えてた。
実際お母さんって呼んでいいよって言ってくれた人は何人かいたのは覚えてる。(顔は覚えてない)


日中は父さんが仕事だったから父方母方のばあちゃんが交互に自分の面倒を見てくれてた。


母さんが亡くなった3年後ぐらいに父さんは今の母親と再婚した。
2人の兄妹と母親が増え、6人家族となって佐々木家は再スタートになった。

これが1回目の話。

この一連の流れは本来かなりショッキングな出来事のはずなんだけど、
幸いだったのが自分が5-7才のときの話のわけで、思春期前に起きた出来事であったっていうこと。
正直産みの母親と育ての母親が別と言うことに特段ショックもなければ、母さんが死んだことがトラウマになってる訳でもない。

どっちの母親も同じぐらい愛しているし、どちらかに偏った思い入れもない。








そんでさっきばあちゃんが亡くなったって連絡が入った。
時世的に死に目には立ち会えなかった。
身の回り以外の世の中の出来事にあんまり関心が無いから、特段なんの感情ももってなかったコロナだけど、初めてムカついた。


母さんが死んでからの、幼稚園の送り迎えやお弁当づくりとか、面倒を見てくれてたばあちゃんの死に25歳になって直面した。


正直精神的にはかなりまずい。実際明日朝早いのに寝れないから少しでも落ち着くためにこれを書いてるわけだし。


親族が死ぬときはいっつも少しの後悔と多くの情けなさでいっぱいいっぱいになってる気がする。


父さんは、親族への顔合わせや挨拶回りをかなりめんどくさがる人だったから、
自分も何となく顔色を伺って、親戚に会いに行くこと自体が少なかった。
だから、単独で会いに行くのは照れくさいし、何を話してよいかわからないから気まずさみたいなものがあって段々疎遠になってた。


そしてばあちゃんやじいちゃんが大病を患った話を聞いて駆け込んでお見舞いにいく。その繰り返し。


もっと会っておけばよかった、や、恥も外聞もなく好きなときに顔出せばよかったって心の底から毎回思って、その自責の念みたいなものに毎回押し潰されそうになる。


本当に毎度その繰り返し。


最近自殺のニュースがすごい多いけど、理由は違えど衝動的に首をつりたくなったりする気持ちは正直わかってしまう。
精神的にもろい方なのか。知らんけど。


自分の突発的な自殺衝動は、育ての母さんがよくいってた言葉で全て抑えられてると思う。

「子供の親孝行は、親より長生きすることだけ」らしい。

必ず長生きします。何があっても。
全親へ感謝しながら。





なんてカッコつけて思ってます。これからも。