みなし仮設のお茶会に参加して来ました!12月3日 | Dandeらいおんの活動ブログ

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今日は‥
12月4日の報告です(^^ゞ


登米市中田町の『みなし仮設』に住む皆さんの集まりにお邪魔して来ました


前回、津山町の『みなし仮設』を訪問した際にも簡単に紹介しましたが

もう一度『みなし仮設』について説明したいと思います


そうすることで「なぜ私たちがそこを支援したいと思うのか」「なぜそこに支援が必要なのか」を

ご理解いただけると思うんです




まず一般的な仮設住宅の場合ですと、学校のグランドや公園などの広い敷地にプレハブを並べて建てられた物が多いです


何十世帯、大きな所では百世帯、二百世帯以上の仮設住宅もあり

外観を見ただけで仮設住宅であることが判ると思います


それに対し『みなし仮設』は、既存のアパート等を国や県が借り上げ、避難された被災者に提供している住宅です


見た目は普通のアパートや住宅なのですから、そこが被災者の住んでいる仮設住宅だとはわかりませんよね?


アパートの1棟の場合もあれば、1室だけを借り上げている場合もあったり


どうしてそうなったのかは私たちの知るところではありませんが

例えば仮設住宅の数が足りなかったのかもしれませんし、一刻も早く住居を提供するためだったのかもしれません


いずれにせよ諸事情があったのだと思います



見ただけで仮設住宅とわかる所には、早くから多くのボランティア団体が訪れて支援をして来ました

たくさんの方が入居されているので、支援物資も定期的に纏まった数が届けられ、大きなイベントなども行われてきました



でも、見た目ではわかり辛い『みなし仮設』には支援はおろか、仮設であることすら気付いてもらえない‥


仮に、その存在を知って支援しようと思っても

個人情報の保護などの問題もあり、どこにどなたが避難されているか教えていただけないんです



私たちが支援してきた仙台市南小泉の仮設もまた『みなし仮設』でした

市の職員の方から紹介を受け、支援の相談をもちかけられて初めてその存在を知ったんです


JRの社宅だったアパートに、仙台市の、主に荒浜地区で被災された方が避難されていました

見た目はアパート団地なので、当初はやはりボランティアの手が行き届いていませんでした


でも今では
そこが仮設住宅であると広く知られたのか

毎月の様にボランティアの方々が訪れ、ある程度は支援が行き届くようになりました



ただ、この南小泉のようなみなし仮設の形態は、少し特殊なパターンだと言えます


南小泉はもともとは社宅に使われていたアパート団地‥つまり集合住宅だったため、避難して来られた多くの世帯が一緒に生活されていたんです


でも、一般的に『みなし仮設』と呼ばれる借り上げ住宅の方々は‥

例えば前回訪れた登米市津山町、そして今回の中田町など

南三陸町から避難して来られた方々は一緒に生活されているわけではないんです

既存する建物の空室を借り上げただけですから、当然ながら固まって建っているわけではありません


もしかしたら同じアパートの住人でも、その部屋に被災して避難されて来られた方が住んでいることを知らない場合もあるでしょうね


私たちがその方々のことを知ったのは本当に偶然でした


横山の仮設に社協にお勤めの方が入居されてて


『みなし仮設の方々へも支援をお願いできないか?』とのお話をいただいたんです



これまで他のボランティア団体からも知られることはなく


一度も支援を受けていない‥仮設


入居されている方々は、大きな仮設に避難された皆さんと同じように

被災され、家を流されて避難して来られたのに‥





当日‥


12月に入って寒さもいっそう厳しくなっていました





小雪の舞う寒さの中、社協の皆さんにお手伝いしていただき、みなし仮設の皆様へ僅かばかりの差し入れを運び込みました


今回も私は、住民の皆さんとは直接お話はできませんでした


今回の交流会を主宰された社協の方々からお話を伺ったり、今後の相談など‥


住民の皆さんとの交流は愛ちゃんが頑張ってくれました


皆さんがこれまで体験されたご苦労や現在の様子

みなし仮設に住む皆さんの生の声を聞いて来てくれましたので、愛ちゃんのレポートをもとにお伝えしたいと思います




愛ちゃんレポートより


みなし仮設の方々との交流会に参加してきました

前回の津山町に続き今回の中田町

南三陸町の方々が色んな場所に散り散りなってしまわれた事を改めて実感させられました






南三陸町の社会福祉協議会主宰により、みなし仮設の方々の集いが行われるのは実は今回が初めてだそうです

震災から1年9ヶ月が経とうとする今!?というのが正直な感想でした

他の仮設住宅には、これまで多くのボランティア団体が訪れ

物資の配布やイベント、交流会もたくさん行われてきたのに‥




みなし仮設の方々は、他の仮設住宅とは違い、既存のアパートの一室などに住まわれています

突然知らない土地に住むことになり、周囲に知人もなく

同郷の方とお話をする機会もなかったのです



ご近所で催しや集まりなどがあっても、周りは知らない方々ばかりなので参加しにくい‥そう仰られる方もいました

どこにも行かず、1日中家の中で過ごしているお年寄りもいるそうです





なぜこんなに支援が遅れてしまったのか‥

それは、南三陸町が『町』としての機能を失ってしまっているからでした


町の職員をはじめ、社会福祉協議会の方々‥

ほとんどの方々が被災され、今回この集まりを紹介して下さった方もまた仮設住宅に住まわれています






町の職員や社協の方々もまた被災者なんですから

被災された方が、被災された方々をサポートしているという現実



ご自身が厳しい生活を強いられる中で、みなし仮設の方々のお話を聞いたりするのは辛いだろうな‥


複雑な気持ちになりました




みなし仮設の皆様の輪の中にお邪魔して、直接お話を伺いました


「みんなで集まって、手仕事なんかしながら話ができるといいんだよなぁ」


「話したり、聞いてもらうだけで気持ちが違うんだよね‥」


南三陸のご自分の土地の売却や、復興公営住宅の家賃など‥

不安な問題も多く、将来の見通しがたたないと訴えてらっしゃる方もいました



「志津川の町‥なぐなるんでねが‥」と
涙ぐんでらっしゃる方も‥



「戦争の時よりはず~っといいんだよ‥住める家があるしな‥」と
辛い過去を乗り越えてこられたお爺ちゃんの言葉



今もなお、厳しい生活をされてらっしゃる方

1年9ヶ月が経った今も、ご近所との交流もなく寂しく生活されているご高齢の方






皆さんに笑顔になってもらいたい

ご支援できることがあれば、必要とされるなら‥力になりたい

思いは強くなりました




今回、みなし仮設で生活されている皆様の現状を知ることができました

参加しなければ知らなかったことも多々ありました


正直‥ショックもありましたが、悲しむのではなく笑顔で触れあえるように

強くなろう

そう思いました

















今回、冬物衣料などをお渡ししてきました

喜んでいただけたようで本当に良かった(*^_^*)