今日はレコード会社の
話からスタートしたいと思います。


トーマス・エジソンが
蓄音機を発明したのは
1877(明治10)年。


それから約20年後に
横浜の貿易商が蓄音機を輸入。


フレデリック・ホイットニー・ホーンという
そのアメリカ人が
国産の円盤レコードと蓄音器の製造を目指して
1907(明治40)年に設立したのが日米蓄音機製造。


当時レコードは
「平円盤」と呼ばれていたそうです。


場所は当時の神奈川県橘樹郡川崎町、
現在の川崎市川崎区港町。


1909(明治42)年には
国産第1号となるレコードを発売しました。


その翌年1910(明治43)年に同じ場所で
設立されたのが日本蓄音機商会。


これが日本最初の
レコード会社といわれています。


創業当初からアメリカの
コロムビア・レコードと
提携関係にあり、
その後日本コロムビア
(現コロムビアミュージックエンタテインメント)に改称。


ご存知の方も多いかと思いますが、
日本コロムビアの看板歌手であった
美空ひばりが1957(昭和32)年に発売した
「港町十三番地」は


会社の発祥地であり
本社・工場があった川崎市の港町を
タイトルにつけた楽曲といわれています。


もう工場はありませんが
京急大師線の港町駅には、
「港町十三番地」の歌碑を
建てられています。


その後1927年(昭和2)年に
横浜市神奈川区守屋町に設立されたのが
日本ビクター蓄音器
(現ビクターエンタテインメント)。


レコードの歴史は
私が住む場所に近い
川崎・横浜から
はじまっています。


テイチク、キング、クラウンなど
その後もレコード会社が
つくられてゆく中、


1965(昭和40)年に
8社目のレコード会社として
住宅メーカーの会社社長が
自費で立ち上げたのが
ミノルフォンレコード。


コロムビア専属の作曲家から
独立した形で参画した遠藤実の
「実」から命名した「ミノルフォン」は
他のレコード会社とは
一味違った雰囲気が漂い


三船和子、千昌夫、山本リンダ
津山洋子&大木英夫など
ヒット曲が生まれました。


五木ひろしも三谷謙名義で
「雨のヨコハマ」を出しています。


話が長くなりましたが
このミノルフォンレコードを
設立した社長の住宅メーカーに
勤務していた父親を持つ歌手が、
まつざき幸介さんです。


その関係で
自宅にミノルフォンレコードの
レコードが沢山あり
幼少期から歌謡曲や
演歌に親しんでいたそうです。


ポプコンやフォーク系の曲などにも
幅広く親しんでこられたようで

最近はごぶさたしていますが
お互い歌好きですから
レコード談義をはじめると止まらない。


2006(平成18)年に
松崎英樹名義でシングル「SAKE」でデビュー。


2008年2月5日セカンドシングル「君すむ街」から
まつざき幸介に改名。


このブログでも
何回か記事にしてきましたが
最新曲を遅ればせながら
ご紹介します。


2013(平成25)年
レコード会社を日本クラウンに移籍して
男の哀愁歌謡
「酒よおまえは」をリリース。


まつざき幸介に改名以来
ずっと書下ろし曲を提供している
小田純平の作曲、
かず翼作詞のこの曲は
まつざき幸介の楽曲の中でも
かなり演歌寄り。


酒をテーマに
演歌独特の情念や哀感を感じさせながら
それでも泥くささがないのは


詞にあるメロディを
素直に呼び起こす小田純平ならではの
曲の雰囲気とまつざき幸介の
爽やかな歌唱によるものでしょう。


♪ 鴎が一羽啼く声か
   汽笛が遠く咽ぶのか
   港夜雨がそぼ降る町で
   夢に今夜も 倒れ込む~


鴎、港、汽笛、雨、
そして一人で呑む酒と
演歌の舞台は整っていますが、


家族への想いや、
苦い恋への自責の念、望郷などが
1曲に盛り込まれていて


♪ 酔いどれながら
   今夜もひとり
   明日へ向かって 拳を握る
   酒よおまえは
   俺に勇気を くれる水



と、自分自身の応援歌にもなっています。


さて、この「酒よおまえは」ですが、
カラオケ愛好家を中心に
じわじわと人気上昇しはじめ、


先月5日に
「酒よおまえは(リミックス・バージョン)」が

発売されました。


コーラスパートを抑え、
メインボーカルを

いっそう際立てていて


より魅力的な作品となり
歌い心地もよくなりました。


まつざき幸介自身が
「心底惚れた作品」というだけあって
魂を込めた歌唱で
その意気込みも伝わってきます。


前作の「落葉樹」、
今作の「さよならは言えない」


どちらのカップリング曲も
カラオケで楽しめます。


それも含めておススメします。