私に任せてもらえたアイスクリーム屋さんがオープンすると、
生活は一変しました
4勤3休などという、ぬるま湯もぬるま湯な生活と別れ、
店のオープン当初は、
無休1日15時間労働・・・・など激務が待っていました
まだまだ仕事に慣れないオープニングスタッフと、
社員は私1人でしたので、
ドタバタドタバタと本当に忙しい毎日。
オープン当初は店のこと以外に、他のことを考える余裕など全くありませんでした。
しかし、ほどなくお店の色々なものが、
色々なところに落ち着いてくると、
忙しいながらも、充実した毎日がはじまります。
雇われ店長の身とはいえ、
お店のほとんどの決定は私に任せてもらえていましたので、
お店のキャンペーンを考えたり、ディスプレイを作ったり、
自分の店・・・という愛着もどんどん沸いてきましてた。
激務の夏は確かに忙しく、
月に1日も休めなかったりということもありましたが、
それ以外の季節には、
オーナーが約束どおり、長めの休暇にも快く送り出してくれました。
仲良しの叔母と出かけたトルコ旅行。
パムッカレにて。
温泉に見せかけて、足元は雪解け水です
この写真のために凍えかけました・・・。
思いの他快適だった寝台車。アンカラエキスプレス。
世界遺産で寝る猫。@トルコ・イスタンブール
薬膳粥@韓国
小籠包@台湾
空に浮いてるみたいなレストラン
お部屋で食べる朝食@バリ・ウブド
二つのアンコールワット(本物&水面)
木の根に包まれた寺院@カンボジア
ざっとこんな具合に、
暇を見ては出歩かせていただいていました・・・。
ちなみに、アイス屋さんがはまり過ぎて、
徐々に肥えていっていることには、どうか目をつぶって下さい・・・・
さてさて、トルコではトルコ式スパを見ましたし、
韓国では汗蒸幕、台湾では足裏マッサージを体験しました。
バリでも、ベトナム(・・にも行った)でも、
スパやエステで癒されました。
それでも、色々なものを試してみても、
やはりタイ式マッサージ以上に私に響いてくるものには出会えません。
これも違う、あれも違うと思ううちに、
第一次タイ式マッサージ勉強したいシーズンの時に、
本当にタイ式マッサージでいいのか?と迷った気持ちはだんだんと薄れていました。
やっぱりタイ式マッサージだよっと、
再び心が燃え出したのは、アイス屋さんになって1年半たった頃。
何かやってやろうと思いながらも、何をしていいか分からないまま大学を卒業してしまった私が、 早いもので24歳になっていました。
生活は一変しました
4勤3休などという、ぬるま湯もぬるま湯な生活と別れ、
店のオープン当初は、
無休1日15時間労働・・・・など激務が待っていました
まだまだ仕事に慣れないオープニングスタッフと、
社員は私1人でしたので、
ドタバタドタバタと本当に忙しい毎日。
オープン当初は店のこと以外に、他のことを考える余裕など全くありませんでした。
しかし、ほどなくお店の色々なものが、
色々なところに落ち着いてくると、
忙しいながらも、充実した毎日がはじまります。
雇われ店長の身とはいえ、
お店のほとんどの決定は私に任せてもらえていましたので、
お店のキャンペーンを考えたり、ディスプレイを作ったり、
自分の店・・・という愛着もどんどん沸いてきましてた。
激務の夏は確かに忙しく、
月に1日も休めなかったりということもありましたが、
それ以外の季節には、
オーナーが約束どおり、長めの休暇にも快く送り出してくれました。
仲良しの叔母と出かけたトルコ旅行。
パムッカレにて。
温泉に見せかけて、足元は雪解け水です
この写真のために凍えかけました・・・。
思いの他快適だった寝台車。アンカラエキスプレス。
世界遺産で寝る猫。@トルコ・イスタンブール
薬膳粥@韓国
小籠包@台湾
空に浮いてるみたいなレストラン
お部屋で食べる朝食@バリ・ウブド
二つのアンコールワット(本物&水面)
木の根に包まれた寺院@カンボジア
ざっとこんな具合に、
暇を見ては出歩かせていただいていました・・・。
ちなみに、アイス屋さんがはまり過ぎて、
徐々に肥えていっていることには、どうか目をつぶって下さい・・・・
さてさて、トルコではトルコ式スパを見ましたし、
韓国では汗蒸幕、台湾では足裏マッサージを体験しました。
バリでも、ベトナム(・・にも行った)でも、
スパやエステで癒されました。
それでも、色々なものを試してみても、
やはりタイ式マッサージ以上に私に響いてくるものには出会えません。
これも違う、あれも違うと思ううちに、
第一次タイ式マッサージ勉強したいシーズンの時に、
本当にタイ式マッサージでいいのか?と迷った気持ちはだんだんと薄れていました。
やっぱりタイ式マッサージだよっと、
再び心が燃え出したのは、アイス屋さんになって1年半たった頃。
何かやってやろうと思いながらも、何をしていいか分からないまま大学を卒業してしまった私が、 早いもので24歳になっていました。