「それ以上でもそれ以下でもない。」





近頃、よく聞く言葉に「NEET:ニート」と
いうものがあります。
これは、職業訓練を受けておらず、なおかつ
就業意欲すらない失業者のことを指す言葉
だそうです。
くわしくは、こちらのサイトが参考になると思います。

職業訓練も受けていなくて、就業意欲もない
人たちは昔からいたのでしょうけど、
「ニート」なんてかっちょいい言葉が輸入
(イギリス発祥らしい)されたとたん、
急速に認知され始めています。
「サラリーマン」とは違った、その言葉の響きの
あまりのかっちょよさに僕もちょっとなろうか
と思ってしまいました。(笑)

最近の新聞で、その言葉を日本に広く紹介した
東京大学の玄田有史助教授が、
「ニートは大人に突きつけられた問題だ。」
という種の発言をしていました。
行き過ぎた「個性重視」の教育が、現実の仕事と
理想とのギャップを生み出し、その結果、
就業する意欲すら沸かせないと言うのです。

僕も彼が言うようにニートが増加した原因には
いわゆる「個性」を重視した教育があると思います。
親や教師が、子供それぞれの「個性」の有無を
他人に対する「優越性」の有無と取り違えている
ことが、子供を追い込んでいるのでしょう。

個性は誰にでもあります。そしてもちろん
それぞれにかけがえのないものです。
しかし、それが全て「仕事」に生かされるべきもの
でしょうか。僕は違うと思います。
個性を発揮できる場所は、仕事以外にも
たくさんあります。仕事は自分の「個性」を
生かしたものにしなければいけない、
という法はどこにもないのです。

親にとっては、子供は特別な存在です。
しかし、こと「仕事」ということに関しては、
どこかで自分の子供はイチローではないことに
気づかなければいけません。
いつまでも、すねをかじらせて中途半端な留学
をさせたり、パラサイトを許したりすることは、
ますます子供を一人で生きられない人間にする
ことでしょう。

第一義的にはあらゆる「仕事」はパンを買うため
にするものです。それを効率的・合理的にする
ために人は職業教育を受けるのです。

もちろん、それ以上の意味を仕事に持たせることも「できます」。
趣味やボランティアなどに持たせることも「できます」。
極端な話、何もしなくても「できます」。

「仕事」と「個性」の関係は、それ以上でも
それ以下でもありません。

とは言え、子供に過度の期待してしまうのは
親の悲しい性。僕もきっとそういう気持ちに
なるときが来るでしょう。
でもそんなときは、こう思うことにします。
「所詮、僕と奥さんの子だ」と。(笑)



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