何度も

何度も同じことをかく

 

 

それは、

 

自分に確認をするため

 

 

自分に許可をするため

 

 

自分にそれでいいよを

伝えるため

 

 

自分でも

たまにうんざりすることがある

 

 

それでも

何度も何度も確認しないと

わからない頑固者

 

 

 

だから

またか、と思うけど

何度も話す、何度も聞く

 

 

○●○●○●○●○●

 

 

 

私が小4の時

36歳でお母さんは死んだ

 

 

 

わたしはおかあさんが大好き

だった

 

 

優しくて

温かくて

時々頑張り屋で

普通が大好きで

ちょっとぽっちゃりで

大根足で

丸顔で

髪はショートカットで

ハスキーボイスで

弱みを見せるのが下手くそで

誰よりも私を愛してくれた

 

 

 

そんなお母さんがある時

正座をできなくなった

 

 

銭湯へ行っても

正座ではなくて

椅子を使うようになった

 

 

どうしたの?

 

 

『お母さんは足が痛いの』

 

 

そう答えた

 

 

 

その時はお母さんに

起きていることが

わかっていなかった

 

 

 

ある時

お母さんの入院が決まった

 

 

小4の夏休みだった

 

 

そして、手術をした

 

 

あっという間に手術は終わった

 

 

手遅れだった

 

 

足にできたガンは

あっという間に全身に転移を

していて

ての施しようがなかった

 

 

けれでも、

少しでも進行を

遅らせるために

足を切断した

 

 

でも

結果的に

その処置が

お母さんの体力を奪っていった

 

 

手術をして

わずか3ケ月後

お母さんは死んだ

 

 

 

そして、

一年後にお父さんも亡くなった

 

 

その二年後

おじいちゃんが亡くなった

 

わずか4年の間に

わたしは3人の家族を

失った

 

 

 

わたしは

とってもつらい出来事が続いた

 

 

 

人生に絶望していた

 

 

いつのまにか

外側にいつも

お母さんを探した

 

 

お母さんの代わりになるような

人を追い求めた

 

 

誰でもよかった

 

 

私に無償の愛を注いでくる

存在

 

 

いつも

どこでも

誰に対しても

 

探し続けた

 

 

でも

 

 

お母さんの代わりになる

人はどこにも

みつからなかった

 

 

 

心の中にいる

お母さんをみることが

できなかった

 

 

心の中にいる

お母さんと話したら

わたしが私でいられなくなりそうで

それが怖かったから

 

 

お母さんは死んだ、

もういないと

必死に思い込もうとして

切り捨てようと

一生懸命だった

 

 

 

○●○●○●○●○●

 

 

不幸な出来事が

悲しいくらいにたくさん続いて

いつのまにか

わたしは

【不幸な人】で

いるようになった

 

 

私の中には

愛されていない

すばらしくないという

 

前提が出来上がった

 

 

 

 

そのわたしの間違った

思い込みが

私にたくさんの

問題と

苦悩を見せてくれた

 

 

気が付くと

私の周りは

辛い出来事で

覆いつくされていた

 

 

でも、

そのほうが安心していられた

 

 

 

私の中にある

不幸のシナリオ通りの

現実が目の前に拡がっていた

 

 

 

そして、

不幸な現実を

せっせと作りだしていた

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

今では、

 

その不幸のシナリオは

私が作った妄想だとわかる

 

 

 

今までも

今も

ちゃんと愛されている

 

 

 

それを認めることは

実はとっても勇気がいる

 

 

お母さんを大好きで

お母さんを求めている気持ち

お母さんの温かさ

お母さんに包まれている心地よさ

お母さんに甘えるうれしさ

 

 

 

 

 

それでいいよ、

もっともっと全力で執着しまくれ、

ある人が教えてくれた

 

 

 

わたしは、

涙が止まらなかった

 

 

 

うれしい涙。

 

 

やっと認めてくれた

やっとわかってくれた

お母さんを恋い慕う想い

 

 

 

そんな自分が成仏した

 

 

 

わたしは、

堂々とお母さんを胸の中に置く

 

 

 

お母さんと対話をして、

お母さんと時々けんかをして

寂しい時はお母さんに慰めてもらい

うれしい時は一緒に喜んでもらう

助けてほしい時は一緒に考えてもらい

心細い時は勇気をもらう

 

 

 

そうして、

わたしは、

お母さんと一緒に生きるのだ

 

 

 

 

おしまい