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浅草21世紀の6月公演は、亡くなった先代の橋達也さんから座を引き継ぐ大上こうじさんの座長襲名記念公演です。


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そして、演目は「文七元結」人情噺で、落語のお話ですが、歌舞伎でも取り上げられている題材です。

だい。も以前に読んだ噺でしたが、芝居を観る前におさらいしておきました。

青空文庫に、三遊亭圓朝の落語が載っていましたので、それを読みました。「圓朝全集」を底本としていますので、歌舞伎とはところどころ異なっています。

この噺の眼目は、主人公の長兵衛が、自分に余裕がなくても目の前の困った者を見かけると、自分の困窮はさておき、虎の子の百両を渡してでも助けてしまうという江戸っ子の心意気です。ここまでするのか、という思い以上に、目の前の曲がった事はなんとしても許さないという直情が気持ちいいです。

そして、父の博打好きを治し、家庭の困窮を自分の身を売ってでも救おうとする、娘のお久のいじらしさ、健気さも見どころです。

また、長兵衛とその妻お兼の夫婦のやり取りもなかなか魅せるところです。

また、文七の店近江屋の主人の、人の本質を見抜き、長兵衛のまっすぐな性質を評価し、親戚縁者として遇するところもいい話です。近くの酒屋で酒も用意し、お久も身請けして早籠を仕立てて父の元に帰らせる差配など、見事なものです。こんな人間に僕も近づきたいと以前も思ったものです。

この噺が、どのように喜劇に仕上がっているのか楽しみです。日曜に初日を迎え、8日間限りの興行です。初日に観に行かれた方たちの評判も上々のようです。また、落語では登場人物は限られますが、喜劇では花魁も登場し、華やかなものになっているのではないでしょうか。

皆様も機会ありましたら是非(^^)/


あらすじ(wikiより)

左官の長兵衛は、腕は立つのだが、無類の博打好きが高じて、仕事もせずに借金を抱えている。年の瀬も押し迫るある日、前夜の負けがこんで、身ぐるみ剥がれて半纏一枚で賭場から帰されると、女房のお兼が泣いている。聞くと、娘のお久がいなくなったという。どうしたのかと、夫婦喧嘩をしているところに、普段より世話になっている吉原の女郎屋の大店、角海老から使いのものがくる。取り込み中だから後にしてくれというと、他でもない、その娘のお久のこと、角海老の女将の所に身を寄せている。

女房の着物を一枚羽織って角海老へ行ってみると、お久は、身売りをして金を工面し、父に改心してもらいたいので、お角のところへ頼み込んだのだという。女将は、自身の身の回りをさせるだけで店には出さないから、次の大晦日までに金を貸してやるが、大晦日を一日でも過ぎたら、女郎として店に出すという約束で、長兵衛に五十両(圓朝版では百両。以下同)の金を渡す。

情けない思い、しかし改心しきった長兵衛が、帰り道に吾妻橋にさしかかると、身投げをしようとしている男にでくわす。訳を聞くと、白銀町の鼈甲問屋「近江屋」の奉公人(文七)で、お遣いに頼まれ、取りにいった売り上げをすられたので、死んでお詫びをしようというところだった。死んでお詫びを、いや、死なせねぇと押し問答が続いた後、長兵衛は、自分の娘のお久が身を売って五十両を工面してくれたことをはなし、その金でお前の命が助かるのなら、娘は死ぬわけではないのでと、無理矢理五十両を押し付けて、逃げるように帰ってゆく。

文七がおそるおそる主人卯兵衛の元に帰り、長兵衛からもらった金を差し出すと、それはおかしい、お前が遣いにいった先で碁に熱中するあまり、売り上げをそっくりそのまま忘れてきてしまったものを、先方は既に届けてくれて金はここにある、一体どこから、また別の五十両が現れたのかと、主人が問いただすと、文七はことの顛末を、慌てて白状する。

翌日、卯兵衛は何やら段取りを済ませ、文七をお供に長兵衛の長屋へと赴く。実は文七が粗相をやらかし…と、事の次第を説明し、五十両を長兵衛に返そうとするが、長兵衛は、江戸っ子が一度出したものを受け取れるか!と受け取らない。もめた挙句に長兵衛ようやく受け取り、またこれがご縁ですので文七を養子に、近江屋とも親戚付き合いをと、祝いの盃を交わし、肴をと、表から呼び入れたのが、近江屋が身請けをしたお久。後に、文七とお久が夫婦になり、近江屋から暖簾を分けてもらい、元結いの店を開いたという。