ブログを書いている今も、窓の外ではイスラエル軍がパレスチナ自治区に向けた銃声や爆破の音が聞こえております。
宿の屋上からはパレスチナ自治区も見えるぐらい、わりと近くにいるわけです。
そして僕らの宿はアラブ系やパレスチナ人地区にあり、イスラエル警察が巡回に来てはゴム爆弾や投石で追い払うという、まぁなんともスリリングでアグレッシブな環境下にいます。
イスラエルとパレスチナの問題についてはまた書くとして、今日はエルサレムにある3宗教の聖地巡りについて。
あ、その前にエルサレムというのは”自称”イスラエルの首都らしく、国連の多くは首都として認めていないようで、建国時に首都であったテルアビブに大使館を設置してるんですって。
なんとも複雑な香り。
そんな3宗教とは、”ユダヤ教”、”キリスト教”、”イスラム教”。
それぞれの聖地がこのエルサレムにある。
・・と、いうことまでしか知らない。
これじゃ行っても何が何だかわからない。
歴史好きな人ならきっと憧れる場所のはずなんどろうけど。
さて困った。
すると、同じ宿に独特な鼻に付く言葉遣いで、ご飯をタッパーに入れて持ち歩くという青年がいた。
彼。
僕らはそんな彼を”タッパー少年”と名付けた。
話してみるとやはり独特で鼻に付く感じだが、中東の歴史にやたら詳しい。
ただの歴史マニアかと思い「ふぅ~ん、へぇ~。」ぐらいで聞き流していたが、
一応、聞いてみた。
「学生?」
「えぇ、そうですけど何か?」
やはり鼻に付く。
「どこの人?」
「まぁ京都ですけど何か?」
相変わらず鼻に付く。
しかし西日本や関西は僕にとって土地勘が無く未知の世界。
するとタッパー少年、
「京大の大学院で中東の歴史を研究してます。」
え(゜д゜;)?
京大って、あの京都大学?
めっちゃ頭いい奴じゃん・・
よし、決めた。
”ガイドに任命しよう”
翌朝はタッパー少年を博士に襲名。
”京大院生のガイド”ということが広まり、宿泊してる日本人10人ぐらいのグループで旧エルサレム市街に向けて徒歩で出発。
節約のため、歩く。
セキュリティの都合上、ゲートの写真は NGっぽかったんで、いきなり聖地いっちゃいます。
なんたって僕らは写真トラブルでイランで身柄拘束された経験がありますんでね。
敏感です。
一つ目、イスラム教の聖地”岩のドーム”
ムハンマドがサウジアラビアのメッカから一夜の間に旅をしたとされる場所。
瞬間移動ですね。
メッカの方角に向けてお祈りする信者も。
二つ目、ユダヤ教の聖地”シオンの丘”と”嘆きの壁”
門をくぐるとユダヤ教の王様?ダビデ像がありました。
ハープを弾くのがお得意だったのですねきっと。
むかしむかし、ユダヤ教の聖地がローマ帝国に追われて追い出されてしまい、その後にやってきたイスラム教の岩のドーム。
ユダヤ人たちが帰って来たら、
「俺らの聖地なくなってるやーん!」
ってなり、岩のドームの壁に嘆いているそうです。
壁の隙間には願い事が書かれた手紙がきっしり。
僕も何か嘆こうと思いましたが、特に嘆く用事ありませんでした。
その後も石畳の旧市街を歩いて歩いて歩きまくる。
そして3つ目、キリスト教の聖地”ヴィアドロローサ”と”聖墳墓教会”
ヴィアドロローサとは、ドンキホーテ・ドフラミンゴの・・
あ、それはドレスローザだ。
違いますね。
イエスキリストが死刑判決を受けて十字架を背負いながら歩いて、最後に十字架に張り付けられて死んでしまうまでの道です。
イスラム街を通っていますが、お土産やさんでは十字架やキリストの木彫りとか売ってます。
もう何でもありですね。
商売優先です。
十字架、地味に重いです。
ゴルゴダの丘にある聖墳墓教会です。
中学生の頃だったかな?
聖墳墓の”墳墓”って漢字がテストで出てこなくて、
”聖フンボ”って書いて確かバツでした。
何でカタカナはダメだったのでしょう。
教会の天井には目を見開いたイエスとお弟子さんたちがいました。
出口にはキリスト教徒たちがイエスのお墓か十字架が刺さった場所におでこをすりつけて
おられました。
いや~、それにしても、宗教の信仰ってすごいもんですね。
井之頭公園ぐらいのスペースに3宗教の聖地が入り乱れているのもすごい。
晩餐館で焼肉・・
おっと欲求が出てしまった。
”最後の晩餐”の舞台にも行きました。
「あ~今から十字架背負って歩くのしんどいわ~」
「お前代われや~」
ってきっと思いながら弟子たちとご飯食べた場所なのでしょうか。
僕なら死ぬ前に叙々苑の焼肉食べたいです。
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