楠本柊生という人に想いを馳せて
去る11月29日、親しき友人であり、愛すべき先輩であった、楠本柊生さんがお亡くなりになられました【SUNDAY FOLK PROMOTIONからの緊急告知】https://www.sundayfolk.com/articles/detail/27833 世間には、第14帝國の帝國元帥として知られていらっしゃいますが、僕が出会ったのは帝國元帥ではなく(まあ、呼び名は元帥でしたけれども)良き呑み友達、良き兄貴分としての彼でしたし、この1~2年は公私ともによく会っていたうちの一人だと思います 先日、ツイキャスで元帥との想い出話などをお話したのですが、この数年で最も親しかったものとして、文章としても故人を語り継ぎたいなと思い、書き始めました【元帥との想い出を語ったツイキャス】元帥とのお別れの話 おやすみなさい、またね!twitcasting.tv 以後、友人としての視点で書きますので、帝國元帥としての彼を大切にされたい方はそっとブラウザを閉じていただければと思います 最後に一緒に撮った写真※2021年11月22日撮影 彼が入院していた病院へ、お見舞いに行ったときのもの。とっても元気そうですよね。事実、会ったときの様子は元気そのものでした。この次の日に退院したものの、その日のうちに再入院。一報を受け、メッセージを送ると、11月26日午後には「なんとか落ち着きました」との返事が。その後、11月28日15時頃に「大ちゃんいまどうしてます??」とのメッセージが来て、コンサート中だった旨を返事すると「あーそーだ!!!」と返ってきて。それに「ですですー!」と返したのに既読がつかず、翌11月29日8時10分に第14帝國のメンバーである児玉篤史さんより訃報を受けました その後、30日に通夜、12月1日に葬儀が行われました。通夜では元帥がプロデュースして、来年販売を予定していた天むすが、シェフのご厚意で振舞われました※通夜で振舞われた天むす 葬儀にはご遺族、ご親族、親しい友人、仕事関係者、そして、帝國の皆さんが参列し、最後のお見送りをしました。元帥の最後のステージ出演となったライブの主催で、ご一緒されていたPsycho le Cémuの皆さんもツアー中にも関わらず、全員で駆けつけてくださって、本当にみんなに愛されていたのだなあとあらためて思わされました 喪主はお兄様が務めておられたのですが、ご挨拶で、前日夜の雨にふれ、「足元の悪い中、よくお越しくださいました。“足元の悪い中”とは生前、故人がよく使っていた言葉で、故人が主宰していた劇団の公演の際は天候が悪いことが多く、嵐を呼ぶ劇団、などとも呼ばれておりました。これも個人の演出なのかもしれません」とお話になられました さすが天性の雨男。参列した仲間たちはみんな口を揃えて「信じられないよね」「これもドッキリな気がする」「元帥ならやりかねないよね」など、訃報を信じられなかったのですが、安らかに眠る顔を目にして、その死を実感し、涙しました 僕とともに参列した仲間は、普段から名古屋で月イチ程度に開催される会のメンバーで、その会も感染症が落ち着いて久々に開催したのが11月15日。元帥が入院したのが11月17日だったので、壮行会の意味合いも兼ねて集まりました※2021年11月15日撮影 上記は、会の〆に行ったラーメン屋にて撮った写真。僕以外のメンバーは48~54歳なので、飲み食いしたあとに1杯も食べきれないから、みんなでシェアしてたのですが、元帥は一人だけ大盛りを頼み、しかも、ほかの残ったラーメンも食べきるという驚異の食欲を見せて笑。仲間内では大食いのイメージが定着してました この会、名古屋の社長さんたちなどで構成されてるのですが、仕事仲間っていうより、我らがときめき☆劇場のリーダー加藤タクヤ(以後、タク様)が人柄に惚れた人たちを誘ってできた会ですので、本当に気の良い方々が揃っており、バカ話に花を咲かせ、無邪気に酒を酌み交わせる、そんな仲間なのです 大人になると、親しいといっても仕事のつながりがあると、どうしてもその意識が入ってしまうことってあると思います。そういう意味では、利害関係のない純粋な友達だったのかな、元帥も会に加わってからは、いつも1番か2番に到着して、楽しそうにしてました。でも、思い返すと、じぶんから積極的に話す、というよりは、話を聞いて、ふられたら応える、みたいなことが多かったですね。まあ、小中学生か!っていうような人様には言えないお下品な話とか大人げないくだらない話とかいっぱいしてましたからね笑※2018年11月6日撮影 上の写真は、会で札幌に行ったときのもの 僕が元帥に初めて会ったのは、2017年5月14日。栄ミナミ音楽祭という名古屋の街中で行われる大型音楽フェスの出演者打ち上げのこと。元帥は出演はされていませんでしたが、関係者として来られていて、そこで挨拶したのが最初。僕は第14帝國ほ存在と、楠本柊生帝國元帥というお名前しか存じ上げず、舞台も拝見したことなかったのですが、元帥が帝國のときにネタで名古屋おもてなし武将隊の名前を出してくれていたそうで。それをきっかけに武将隊を観に来てくださったお客様もいて、同じ名古屋発のサブカルユニットとして、シンパシーは感じていたのですが、まさか時を経て、こんなところで出会うとは、という感じでした その後、僕よりもタク様と仕事をする機会が多かった元帥。その流れで3人で呑むことも多かったのですが、親しくなってからほどなくして心疾患で入院されて。そのときもお見舞いに行ってお話をして。それをきっかけに考え方に変化があったようで 最後の病状については、ご本人がツイッターでも書かれています まずは 『元帥からのお願い』を 先に読んでちょうだい 今夜は獅子座流星群✨ お願いし放題だ( ᵕᴗᵕ )*・☪︎·̩͙ んじゃ! 明日頑張ってくる( •̀∀︎•́ )✧︎#第14帝國#楠本柊生帝國元帥#軍服の一番暑い夏 軍服の一番暑い夏 https://t.co/MH0CfB8To6 @YouTubeより ↓元帥からのお願い pic.twitter.com/jMKKzLcYZA— 楠本柊生帝國元帥 (@shuseigensui) November 17, 2021※2021年11月17日楠本柊生帝國元帥ツイッターより 大動脈解離の手術は成功し、体力が快復したのち、大動脈弁不全症の手術をする予定だったのですが、鬱血性心不全の兆候により再入院、それも落ち着き、週明けには退院の予定だったのが、急変し亡くなられた、というのが経緯として僕から説明できるすべてです 最初の入院のあとから、二人で会うことが多くなり、僕が東京に滞在してる際には東京で、元帥が名古屋にいるときには名古屋で、いろんな話をしてました。だいたい「だいちゃんいまなにしてますー??」って急に連絡がくるのだけれども笑※2019年4月9日撮影 あんまり写真を撮りたがらなかったけど、会うたびに僕が「あー、いいですね、絵になりますね、一枚いいですか?」みたいなこと言ってパシャパシャしていたのもよい思い出です笑 病気する前は、帝國元帥という存在、そしてそれを支持してくれる臣民を大切にしすぎるがあまり、元帥としての自分以外を露出したがらなかったし、いっしょに呑んでいても写真に入りたがらなかったのですが、自分の作品を残すことや、残りの人生でやりたいことをやるための動き、というのを考えだし、心境が変化していって。会うたびにあふれんばかりの思いを聞いて。それでも、あるタイミングをきっかけに、再び動き出そうと、決めて。それが当時予定されていたサイコルシェイムのライブだということを話してくれていました。しかし、新型コロナウイルス感染症の影響で延期になり、元帥も僕も仕事が飛んで時間ができて※2020年4月8日撮影 毎日のようにガストで執筆と手芸を繰り返していた僕に週イチペースで会いに来てくれていた元帥。絵本書いてるんだとかラジオやりたいんだとかいろいろ話してくれた中で、当時ツイッターで流行っていた自撮りバトンを元帥にムチャブリしてみた。そしたら、LINEで「大ちゃんまじか!」ってきて「まじですーw」って返して、しばらく音沙汰なかったから、やっぱりやらないのかなーって思った頃にやってくれて おもてなし武将隊初代秀吉公の宮田大樹氏(@miyatadaiki)よりの自撮りバトン 昨日撮ってみたぞ 『全軍! 軍服 手袋 マスク で 武装せよ!!』 絶対やらなそうなDAISHI(@daishi_kajinaga)と そんなピンチに駆けつけるヒーロー デカグリーンの伊藤陽佑氏(@LITOjp)へ pic.twitter.com/tLQHhLSnUw— 楠本柊生帝國元帥 (@shuseigensui) April 23, 2020※2020年4月23日楠本柊生帝國元帥ツイッターより そのあたりからツイキャスでの毎日配信を始められて。ようやく動きだしたな元帥、とニマニマ様子をうかがってたら、なんの因果か、連日配信のグランドフィナーレ(いまだになんでだかよくわかってはいないけど)に呼ばれて、『三年目の浮気』を一緒に歌ってって言われてスタートして、台本読みしたときの様子がこちら【楠本柊生帝國元帥ツイキャス】グランドフィナーレスタート!柊生元帥ツイキャス生放送!twitcasting.tv死神と藤田(柊生元帥&立花大将)柊生元帥ツイキャス生放送!死神と藤田twitcasting.tv恋愛で死神(柊生元帥&宮田太閤殿下)柊生元帥ツイキャス生放送!死神と藤田(元帥&宮田)twitcasting.tv旅路を死神(柊生元帥&宮田太閤殿下)柊生元帥ツイキャス生放送!旅路を死神(元帥宮田)twitcasting.tv死神vs老女(最終話)柊生元帥ツイキャス生放送!死神vs老女(最終話)twitcasting.tv※2020年5月31日撮影 僕、宮田太閤殿下って書かれてたのね笑。第14帝國に僕が出るなら、って話になったときに、大ちゃんは豊臣秀吉だったし、帝國民じゃなくて、隣国の殿下のポジションだよな、なんて言われてました。初見でしたが、原作の『死神の精度』は、何度も読んでいたお話だったので、楽しく読めた記憶があります。でも、そこでやれちゃったものだから、その後も初見で台本を読まされることになるのですが笑。あるとき、僕が心配症で、練習せずに不安を抱えたまま披露するのが怖い、という話をして、そうだったんだ!って驚かれたのですが、その後も初見読み文化は変わることはありませんでした笑。この頃から、いっしょに芝居したいね、って話はしてたんだ このときはみんなが不安を抱えていて、元帥のツイキャスが励みになったり、支えになったりした方も大勢いたと思います。その後、今にも続くご縁をくれた元帥と、温かく受け入れてくれた臣民の皆さんには感謝してもしきれません その11日後。僕の誕生日当日。このとき、東京で仕事してた僕のもとに、名古屋にいたのに駆けつけてくれてお祝いしてくれたときの様子がこちら↓【楠本柊生帝國元帥ツイキャス】6/11宮田大樹殿下生誕祭柊生元帥ツイキャス生放送!twitcasting.tv※2020年6月11日撮影 フッ軽すぎるよお兄さま笑。年を重ねると腰が重くなってきますが、48歳(当時)にして大学生のようなノリと勢いと実行力を持ち合わせている先輩に刺激され、その後僕も、主催イベントを増やしたり、トークやライブの配信を始めたりしたのです そして、元帥の衣裳を身にまとった姿を見たのもこの日が初めてだったなあ それからほどなく、例の如くガストにいた僕のところに来て、今からドライブデート配信するんだ、というのだけれど、一人でやるっていうものだから心配になって、でも、デートだから邪魔はしたくないので、透明人間になります、ってついていった白川郷※2021年6月21日撮影 車内でカンペで情報を送る様はもう、ラジオの構成作家そのもの笑。それをきっかけとして元帥とみんなと、僕と立花馨さんとのダブルデート配信(笑)へと進化を遂げ、最終的には男3人(うち一名男なのか不明な)ぶらり旅配信へと変化していって 知多、蒲郡、犬山(明治村)、琵琶湖一周、琵琶湖延長戦、和歌山まで鬼ごっこ、皆随寺での精進料理、伊賀→アドベンチャーワールドリベンジ、京都、大阪→松阪→クッキング、郡上、津→伊勢→桑名、名古屋城、下呂、浜松。僕の記憶と記録のかぎりではこんなところでしょうか※2020年10月10日撮影 愉快な3人組。僕としては、元帥と立花さんの会話を、ここに定光寺さんがいたらどんな感じなのだろう、って、そんなことを思いながら聞いてて、半分お客様気分でもありました まあ、そこから1年半あまり、僕は出演っていうよりも、カーナビ兼カメラマン兼ディレクター兼マネージャ兼友人の妻ポジションとして帯同していたので、隙あらば写真撮っては「大ちゃんあれある?」に応えることに情熱を注いでましたね 先日、写真整理してたら、ドライブ配信の記録写真だけで約2900枚くらいでした。いつかどこかで公開できるとよいのだけれども。元帥ドライブ旅、っていう個展でも開こうかな ドライブ配信で最後に行ったのが浜松※2021年10月10日撮影 浜松のぬくもりの森にて。幸せ行きのバス、ちゃんと乗れたのかなあ※2021年10月11日撮影 そして、左のお皿が元帥にもらった最後の誕生日プレゼント。下呂でてづくりしてくれた。大切に使わせてもらいます 次は京都へ行って立花に貰ったお守りを返しに鈴虫寺へ行くんだ、って言ってた元帥。12月5日空けといて、って言われてたのだけど。来年もいろんなところに行けるのかな、でも来年は遠藤伯爵のお店で毎日配信して、みんなが会いにこれる場所になりたい、って言ってたよなあ。そうなっても僕は、一緒にいるときはその場所で写真を撮り続けていたのだと思う 僕の持ってる元帥のいちばん古い写真ってなんだろうって探してみたら…※2018年4月5日撮影 これ。名古屋のライブハウス、ハートランドの大入り袋が飾ってあるところで。第14帝國と、タク様のいたPINKフラミンゴが近くにあったよ!っていう写真。同性代でそれぞれにサブカルの文化で花開いた2人。思い起こせば、武将してた僕も含め、名古屋ってサブカルが花開く土地だよね、この3人が集まったらまたおもしろいことできるんじゃない?そんなふうに言ってもらってた記憶が蘇ってきました 振り返ったらこんな写真もありました※2019年2月11日加藤タクヤ撮影 児玉さんもいますね。いつのどこの、なんのときの写真かまったく覚えてませんが、児玉さんともだいぶ前に呑んでたんですね。ホントこれ、なにしてたんだろ???とりあえず元帥だけ温かいの飲んでるのだけは写真から読み取れました 児玉さんとご一緒したといえば※2021年1月5日撮影 今年の元帥のお誕生日、謁見の儀にて。直接会える時間がつくれたことは、今となってはとても貴重な機会でした 今、僕が主催している朗読会に児玉さんにご参加いただいているのも元帥がつないでくれたから。思えば虹のような人でした。ふわっと現れては懸け橋になって、ご縁をつないでくれて。僕自身、僕のつくるものが誰かと誰かをつなぐ役割になればよいなと思い創作し、表現しているので、僕の理想を地でいってたのだなあと気づきました※2020年10月11日撮影 ある日のドライブ配信の終わり頃、夕食に立ち寄ったびっくりドンキーにて。配信中にみんなの前で「大ちゃん僕の芝居に出て」というようなこと言ってもらって。公開プロポーズの気分で浮かれてその時を待ち遠しくしておりましたが、その約束が果たせなかった。一緒に舞台のうえに立ちたかった。ただ、サイコルシェイムのステージでの立ち回りは名古屋で一緒につくりあげられたので、ともに立つことはできなかったけど、ともにつくることは、少しはできたのかな、と思っています 果たせなかった二人芝居は、どんな形になるにせよ、必ずや成し遂げますから あなたを通して、たくさんのご縁をいただいて。感謝があふれてきます。いただいたご縁を大切に、教えてもらったことを胸に、創作人として、表現者として、自身を磨いていって、13年後、あなたと同じ歳になったときには、あなたのようなステキな49歳でいられるように、そんな思いでこれからの日々を積み重ねていきます 「大ちゃんいまなにしてます??」って今日にもメッセージきそうな気もしてるけど、そんなとき、いつでもフットワーク軽く、人を楽しませられることできるじぶんでいます ありがとうございました おつかれさまでした いってらっしゃい※2020年11月3日撮影