第4回「社会の厳しさを必要以上に見せ過ぎです」前篇
■パンドラの箱を開けろ
本を出版して以降、何度も「社会はそんなに厳しいのですか?」と大学生に相談されました。
嘘を言っても仕方が無いので、僕は正直に「社会は理不尽と嘘と不公平で満ち溢れています」と答えています。
眉を顰める人は大勢いるでしょう。しかし、そんなことは無いと否定できるでしょうか。例えば原発を巡る政府と電力企業の対応は、誠実で公正でしょうか?大津いじめ事件を巡る加害者と学校と教育委員会の対応は、嘘1つ無い正々堂々としたものでしょうか?
それでも、僕に「社会の厳しさを必要以上に見せ過ぎです」と抗議してくる方がいらっしゃいます。
社会のダメなところを全て箱に封じ込めて、10代の若者に綺麗な社会を見せたとしても、遅くても22歳には誰もがその箱を開けることになります。
その箱はもしかして、パンドラの箱なのではないでしょうか。
箱の中身に仰天して職を辞めてしまった方も少なからずいらっしゃいます。現実を見せて今のうちに耐性を付けておくのと、現実を見せずにいきなり戦場に送り込むのと、どちらが感謝されてしかるべきでしょうか。
いつになったら、本当のことを言ったら社会的に存在を抹消される時代は終わるのでしょう。
社会は、いつだって厳しいものです。例えば、社会人になると色んな決断を迫られます。
就職活動では、たった数カ月の間に自分の一生に関わる最初の一社を決めざるを得ません。
社会人になれば、原発再稼働の断を下さざる得ない状況に自らが置かれるかもしれません。
イジメは当校では無かったと責任逃れをせざる得ない状況に自らが置かれるかもしれません。
そういった決断の連続が社会人には常に付いて回るのですが、とても耐えられないと大学院に逃げている人が増えているように思えます。こういった現象をドラッカーは以下のように的確に表現します。
若者は、操られることに抵抗する。しかし実は彼らが最も恐れるものが、意思決定の重荷である。そこで彼らは意思決定、選択、責任を避けるためにあえて落伍する。
『断絶の時代』P.253
保険業界に就職したのに、いつの間にか退職して社労士の資格取得に励んでいる方がいました。彼は自分の夢を諦めきれなかったと言いましたが、僕には社会人生活で迫られる意思決定や責任の重さに耐えきれなかったようにしか思えませんでした。
大学生のころは学生団体の活動に勤しみ「社会人楽勝」と囀っていたのは何だったのでしょうか。1度付いた逃げ癖はなかなか直らないよ、というアドバイスも彼には届いていないでしょう。
僕が、「必要以上」に社会の厳しさを見せつけるのも、こうした「何とかなるさ」と漠然と思っている多くの大学生・社会人1~3年目に向けて「何ともなりません」と訴えたいからです。
それなのに、社会はまるで極楽かのように粉飾する大人の態度には腹立たしいものを感じます。
ちなみに、なぜ多くの大学生が「何とかなるさ」と楽観しているかというと、次のドラッカーの言葉が、その理由になるかと思います。
今日の問題は、選択肢の少なさではなく、逆にその多さにある。あまりに多くの選択肢、機会、進路が、若者を惑わし悩ませる。
『断絶の時代』P.282
あれがダメでも、これがある。これがダメでも、まだどこかにある。
どこかの小説家が、13歳のハローワークと題して無数の職業を紹介する時代です。21歳になっても、何にでもなれると考えても不思議ではありません。
その結果が、まだ大丈夫と覚悟を決めて人生を生きる勇気を持てない20代の大量生産です。だからこそ、誰かが社会の厳しさを言わなければならないのです。
そんなに甘くない、と。
目を覚ませ、と。