急な話で、

ごたごたとしましたが、

去年7月になくなった伯母の

散骨がありました。


未だにラブラブモード冷めぬ伯父は

悩んだ挙句、

急遽、

一周忌を前に散骨を決心したようです。


ラブラブすぎて、

伯母の入院中は

「Sちゃん(伯母の名前)がご飯たべられないのに

自分がご飯たべられないよ」

って、涙ながらに

お酒ばっかり飲んでる伯父でした。


亡くなってしばらくも変わらず…

事あるごとに電話したり、訪ねたり。


ようやっと、

陰膳するようになって、

伯母の遺影の前で

自分も一緒に食事をとるようになりました。



そんな伯父は、

1部のお骨は、

ペンダントに入れて

肌身はなさず。


残りは、

本当は、世界一周等、

二人のたくさん思い出のある

飛鳥Ⅱで散骨するつもりだったようなのですが、

伊豆の自宅から

眺められる処にしたいと。

それが今回叶ってよかったです。






伯父夫婦は

子供がおらず、

お墓守りを誰かにさせて

負担になるのは嫌だと

前々から散骨をする決心を聞かされてました。

下見と称して、飛鳥にも乗せてもらいました。





お墓って

誰のためにあるんだろうか。



しみじみ考えちゃいました。



私はもう両親ともお墓に入っているので

なんか行き詰ると

京都に帰って

両親のお墓の前で

頭の整理をしたり、

めそめそしたりww

しにいくのですが…



お葬式もお墓も、残された人のために

ある気がします。


私も墓守りしてくれる人が

残念ながらいなそうですが…w

ふわっって消えられたら

どんなにいいだろう…って

思っちゃいけないんだろうか。



私を知っていて

残された人が、

お墓参りしたい、って

死んでも話しかけにいきたい、って思ってもらえる程の

記憶に残る

ひとかどの人物になれるのだろうか。


誰かが

ちょっぴり

私のために泣いてくれたら

それで満足かもしれない。






自分の日々に

問いかけるばかりです。