ここからさらに俺のラガが加速していく…。金曜CHAOSにたまり始めた俺やK-BOMBは偶然客として訪れたスイケンと出会ってソッコーつるんだ。金がなかった俺たちは渋谷から歩いて西麻布まで出向き、それこそ月曜から土曜まで入り浸っていた。箱を手伝ってたYSKと知り合うのもこのころだ。ニトロ人脈も徐々に現在の形へ向かいだす時期だね。


そんなCHAOSだったがお約束で基本平日はガラガラ!ハセベハヂメの金曜でやっと見れるくらいの集客。だが土曜のレゲエ日の熱気はなかなかどーしてすごいもんがあった!当時の西麻布から六本木にかけてはクラブがひしめきまくってて、レゲエの箱も何件かあったのでハシゴしてくるラガなマイク持ちたちが溜まる溜まる!歌う歌う!


今も続く東京から横浜にかけての主なラガ人脈はこの土曜に知り合ったと言っても過言ではない…炎のようなラバダブが毎週延々と続き、俺もラガたちに混じってバシバシマイクを持ったものだ。大晦日のカウントダウンもここで過ごしたし、俺が生まれて初めて酒で記憶をなくしたのもこの箱だったな~。苦笑苦笑。まぁ青春の一ページよ、多くを得た場所だったってことさ。


そんな活気ある週末CHAOSのラガ日にある男が俺に話しかけて来た。ボサボサの髪で壁際に寄り掛かっていたお世辞にもパッとしないその男はまだ無名だった俺のことも知っていたようだった。そして自分はレゲエのマイク持ちであり、ヒップホップのリリックの韻に目茶苦茶刺激を受けてることを俺に明かした。不思議な雰囲気を醸し出してる男だった。


時はさんぴん辺りのはずだ、その頃日本語ラップの韻はギドラの登場で恐ろしくタイトに進化している時期だったので無理もない。俺は俺でラガの歌い手の「客の耳に届く」リリックでさらに韻が硬くなったらもう無敵なんじゃないかとその男に告げた。常々俺も思ってたことだったしラガ人側からそれを言われたのが妙に嬉しかった。


ものの10分かそこらの立ち話だが有意義かつ新鮮な会話だった。当時俺の知ってるラガ人でそんなことを考えてるやつはいなかったはずだ。新しい波が来てる!俺は感心すると同時に興奮したもんだ。新時代のハイブリッドなラガを想像したら胸が踊った。そしてこれからのお互いの未来を激励し合い、俺たちは連絡先を交換してまた会う日に備えた。メモに書かれた男の名前は「三木道三」と言った。





さぁさぁ盛り上がって参りました!!その四に続け!