ういーす、元気か~?わしじゃいわし。WHO DAT?フダ!ハイハイあなたの札月でごぜーますよ~。昨日のアクセスが67000を越えた記念にここらで取って置きの話をしてみようかね。皆の衆、心して聴くのだ!準備はいいか?よし、始めようか。


今君が読んでるこのblogの主であり管理者であり日本を代表するラッパーであるらしい俺ことDABOは…なんとその昔レゲエに転向しかけたことがあるのだ!ドーン!!どーよ、おどれーたべ?そーだろーよそーだろーとも、俺はMr.DEF JAM JAPANとして世の中に出ていった男だかんな~。


でも東京近郊のレゲエのダンス(レゲエではイベントのことをダンスと言います)に顔を出してる君は知ってるはず。俺がレゲエの現場にかなり頻繁にいることを。そうなのよ、俺は昔から意外なくらいにレゲエを愛しているのだ。知らなかったべ?今日から知ったふりしろ!


俺のレゲエ熱が高まったのは世代と関係している。俺が多感な十代を過ごした時代、レゲエはやばいくらい盛り上がってたのだ。SHABBA RANKSにNINJAMANにSUPER CAT、TIGERにCUTTY RANKSにPINCHERSにPAPA SAN…好きなアーティストは数え切れない!確実に俺の音楽にダンスホールレゲエは影響を与えている。


もちろん当時の日本で三万人集まるようなフェスはなかった、でも夜の現場にはいつでもコアなレゲエ人たちが集っていた。高校生当時すでにBボーイだった俺はボブ・マーリーくらいはもちろん通過していたからNAUGHTY BY NATUREがボブをサンプルした曲を発表した時はへぇ~なんて思ったもんだ。


だが当時としては画期的だったレゲエカルチャーを紹介するとあるショップに顔を出すようになって俺の人生は軽く変わるのだ…ついに俺がダンスホールレゲエと出会ってしまうのである。そして今も付き合いのある先輩たちとの出会いの場でもあった。ショップの名は「OUTER LIMITS」と言った…。


君がもし三十路で昔から「RIDDIM」誌などに目を通していたなら名前くらい知ってるはずだ。台東区入谷に本店を構えるそのショップは一時はアメ横センタービルやALTAにも支店を出していたはず。レゲエを中心にヒップホップやチカーノ文化なんかも多少紹介していた。だが基本はドが着くレゲエショップだった。


昔の東京では今より何十倍もレゲエとヒップホップは近いところにいた。それぞれのカルチャーの人口自体の少なさもあっただろうが音楽的にも思想的にも不思議と両者が溶け合っていた時代だった。だから俺はそこで店員として働いていたDJ VIBLAMやHASSY THE WANTEDとスムースに知り合ったのだろう。





やべー、言うべきことが多すぎる…以下次号!読んでくれた君にリスペクトを。