2.9名取市閖上浜。

行方不明者を待つご家族の思いが届いた。
御家族の声、有志団体nineの緑川さんの呼びかけに賛同した。

100人程の有志が集まり海岸を捜索。

震災後始めて入った閖上。家、街はない。

海岸は広くてきれいだ。

しかし、砂浜に一歩入ると被災材とガラスの破片が物凄い。テトラポットの隙間を覗くと漂流物と漁具が散乱していた。過去に清掃はやったらしい。

強風の閖上浜。テトラポットの隙間の漁具、木材、自転車、フェンスを取り除きながら捜索。ここのテトラポットは作りがとても滑りやすかった。足を踏み外した仲間もいた。危険な活動でもあったが協力してやった。
目に付く物を取り除くだけで手がかりはなかった。地面に届くまで後どれ位片付けなければならないのか。果てしない。そしてまた新たな漂流物が溜まっていくのだろうか。


口コミ等でこれだけの人が集まり活動したのをあまり聞いた事がない。それだけに報道の取材関係者が凄かった。
報道を見て今行われている活動を全国の人に知ってもらいたい。まだ帰ってこない人達がたくさんいて、待っている人がたくさんいることを。

真実だけを。


午前中は目に付く被災材の撤去などをしたのです。
お昼には御家族の方、閖上の方達が温かいコーヒーや味噌汁、お惣菜などを強風の中配ってくれた。

午後からは全員で浜を捜索。午前から相当のお骨が見つかっていて皆で集中してやる事に。
仙台空港目前まで歩き戻ってきた時には家庭用のビニール袋一杯のお骨を見つける事が出来た。
全部のお骨を集め岩沼警察に届けるらしい。清掃で集めた被災材も市でまとめてくれるらしい。名取市は凄く協力的だと感じた。

この日の最後、御家族代表の方の泪。

しびれた。心に感じた事。とても言葉では現せない。
そしてこの日捜索活動をした人達全員が思ったと思う。見付かる可能性はあると!
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この後俺は石巻方面へ。1年11ヶ月の月命日、震災から2年を目前に1年前に活動した北上支所、吉浜小学校、大川小学校にいくことに決めていた。

朝、北上支所へ。
1年前の面影は無く更地の上にプレハブの献花台が。
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お線香をあげるために中へ入ると俺達が急場で造った献花台に沢山の花と思い出、そして目に焼き付いていた支所の2階にあった御家族が壁材に書いていた早く帰ってきてのメッセージもあのまま移動されていた。解体前に少しでも配慮をしてくれたんだ。
たくさんのお線香をあげ帰ろうとした時活動の日にお経をあげにきてくれていた住職とばったり。1年前の話をすると覚えていてくれた。時々寄ってはお経をあげているみたいでご一緒させてもらいました。
支所を後にすぐ隣にある吉浜小学校に。こちらも解体が決まっているはずだったが大人の都合でまだ建っていた。少しでも綺麗な状態でお別れ会をすることの手伝いが出来たんだな。きっと。
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倒れていた石碑の横に慰霊碑が新しく出来ていた。手を合わせ大川小学校へ。
1人男性が献花台に。俺も隣でお線香をあげると女川の方で大川小学校の対応に物凄く怒りを感じていた。被害に遭われた子供達の事を凄く悔しそうに話した。
警察犬のおっさんは見当たらない。
北上川と学校の間に流れる富士川。去年もこの川を堰き止めての大捜索が行われた。この時多少なりお手伝いをした。その続きの大捜索がまた始まる。
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前回の所から更に上流の富士沼まで。川の堰き止めは物凄い。
車が引き揚げらたがまだ手掛かりはないとの事。
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大川小学校での出来事は皆知っていると思う。北上川を挟んで数キロ先に先に行った吉浜小学校と北上支所。知らないだろうな。北上地区での事をもっと知って欲しい。北上支所を。知って欲しい!
忘れない。
そして月命日をむかえた。

3月3日。2回目の閖上浜捜索。
前回の活動と閖上の街を見て気になる事がずっとあった。閖上の街、側溝など内陸を見て回りたかった。
高台移転が決まれば街の捜索は出来なくなるし何処まで公助が探してくれているのか?

気になって。気になって。

浜の捜索を抜けて御家族の方や地元の方に聞いて1人でも行ってみるつもりだった。この事を萱浜の上さんに相談したら

「俺もやる!」

って言ってくれた。嬉しかった。

前日に御家族の方にメールして情報を聞いてみた。(初動の段階で自衛隊、機動隊、その後も警察が市街地や側溝を捜索してもう陸地には無いだろうと言われました。)と返信がきた。
そっかぁ。でも見たい。。

当日、前回を上回る130人程の人達が集結。!地元宮城県の人達が増えていたことに感動した。

最初は浜の捜索から。北側と南側からの2班に分かれての捜索。
横一列になって歩く作戦。

ダメだった。

上さんと色々な思いや考えを話したり気になる所に行ったり、振り返ると2人ぼっち。
夢中になっちゃって。がむしゃら。

正午ごろ2班が合流。かなりのお骨が見付かる。
そして閖上浜へ。この日は御家族の方や地元の方達がラーメンと笹かまを用意してくれていて。それがまた美味いんだ。1人1人に声を掛けながら寒い中渡してくれる。
一気にお腹と心が膨れた。何より温かい。感謝です。ご馳走様でした。

午後。閖上捜索の指揮を取っている緑川さんにも相談し気になっていた内陸へ。
公助側から陸地は全て探した。陸地にはいない。と言われればそうかもしれないと思わされてしまうだろう。
確かに大きな側溝や水路などは調べた形跡があった。しかし、御家族の方の御実家前の普通の側溝は手付かず。
蓋を開け泥を出す。出す。出す。
中からは瓦、食器などそこで生活していた証しとなるものがゴロゴロ出てきた。
他の地域でも側溝からご遺体が発見された事もある。
公助の捜索は全てじゃなかった。目立つ所。大きな所。だけ。

試掘のはずが可能性があり、緑川さんは応援を呼びに浜へ。
俺と上さんは街を歩き回る。泥の詰まった側溝を見つけては開けて泥を出す。出す。
「必ず何かしらの証しを見つけてメディアを煽ろう。ここの捜索を続けさせるために。」
「見つける。見つける。見つける。」
なんて言いながら。結果を出したかった。もう少しまともな道具があれば。
今後泥出しをやれば可能性は広がる。ここまでしか出来なかった。
悔しかったっす。
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陸と浜。可能性が広がった。次こそは。

この日は色々な所に車が。皆黒い服を着ていた。ご自宅があった所かな?御家族がいたのかな?
花束とお線香。
すれ違う人達に会釈をした。

捜索について色々な言い方があります。今までずっと行政や公助に訴え続け情報と助けを求め続ける。この活動も半端なことじゃない。自分で捜すだけが捜索じゃない。それぞれのやり方がある。その人に合わせてやりかたも変えていく。当たり前のこと。俺達が主導のことではない。
人を集めて活動するが主役じゃない。
勘違いしてはいけない。
助けを求める人に合わせなければ。


それぞれの三回忌が始まっていた。


最後、御家族の方は手を降って見送ってくれた。

メディアはボランティアのインタビューや被害に遭われた方、まだ帰えってこない家族を待っている人に2年をむかえる事の感想を聞くとか止めてくれ

現実を真実を伝えてくれさえすれば。


後少しで2年か。

まだ2年。

皆早く家族の元に帰ってこれないかな。待っているよ。

俺に出来る少しのお手伝い。ただ集団行動は苦手だな。やっぱし。
相変わらず関係者の方にはご迷惑をおかけしてます。

思考と視点がずれてんのかな。
個人の事情でなかなか思うように活動できないのが心苦しい。

んでボランティア活動をする理由はわからない。なんだろ?

誰もが助けて、あれが欲しいと大きな声を出して言える訳では無い。
小さな声を、助けを全力で。

俺達が目立ってはダメだ。

長いな、、