第1章 オータ・シティ -2-
「だいぶ、こっちの配送センターも充実してきて、忙しくなってきたみたいね」
エリナは、配送センター内の一画に作られたミニ・クルーザー整備用のガレージスペースで、忙しそうに働いているレースチームの様子を見ながら、静かに呟いた。
「昨年、優勝できたのは、大きかった。
あれで、うちとしても、こっちのプロジェクトに資金を使えるようにもなった。
エリナには、感謝してる」
カゲヤマは、エリナの両手を握り締めて、わざとらしく、エリナの顔に、自分の顔を可能な限り近づけて言った。
「ちょっと・・・近づきすぎだよ・・・それに、去年はレースのメカニックとして、やるべきことをやっただけだからさ」
エリナは、握られた手を、そっと振りほどくと、少し後ずさりして、ちょっと引きつった笑顔になって言った。
「あれだけの整備技術、『太陽系レース』のレギュレーションを変えてしまうほどのあのオータ・コートの導入はみんな驚いていたからね」
後ずさったエリナを追うように、カゲヤマが、もう一度、エリナに迫る。
「オータ・コートは、偶然の産物だから・・・それに、それを実用化できたのは、この『太陽系レース』をメジャーコンテンツにしたいと願う、ここのスタッフみんなの力だったと思うよ」
エリナを見つめ続けるカゲヤマの視線をかわすように、エリナは、その視点を上下左右にさまよわせながら、とりあえずの返事を返す。
「それに、機体への燃料供給についても、慣性フライトと、ブースターフライトの絶妙なバランスの取り方は、うちのスタッフ以上に、他のチームの連中が舌を巻いていたからな。
今回は、エリナがライバル・チームに入るってことで、もう、諦めムードのヤツが、うちのチームにもいるくらいだ・・・それも、どうかとは思うんだが」
一度、振りほどかれた手であったが、全くめげることなく、もう一度エリナの手を握る。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、あたしは、今回は、ルーパスの仲間のために働きますから」
今度は、諦めたのか、エリナは、手を握られたままでいる。
「ルーパス・チームといえば、あのイチロウも・・・正式に『シティ・ウルフ』で、エントリーされていたじゃないか・・・この前は、あの名前で呼ばれることを、イヤがっていたように見えたんだけどな」
エリナの手を、ちょっとだけ強い力で引き寄せたカゲヤマの身体は、密着寸前のところまで迫っている。
「それは、あたしが、無理やり納得させたの・・・イチローじゃ、あの偉大なメジャーリーガーと一緒だから、もっとわかり易い名前のほうがいいよって言ったんだ」
「そういえば、まぎらわしいかもな」
「あたしが、イチローの伝説・・・イチロウが知らないことも話してあげたんだ・・なんか、凄い感動してたよ・・・
あたしも、あのイチローのことは尊敬してるんだよって言ったら、そのことも、とても、喜んでくれた」
視線を逸らせたまま、エリナはイチロウとのエピソードを嬉しそうに話す。
「そういえば、イチロウのいた時代は、あの伝説のメジャーリーガー・イチローの全盛期とかぶるんだな・・・本当に、100年に一人の逸材だったんだ・・・彼の記録を破るメジャーリーガーは、未だに現れないし」
「本当に、100年前の人なんだよね・・・イチロウってさ」
「ところで、そのイチロウが蘇生するまで、エリナに待ち惚けを食わされていたシャドーマスターって名前のいい男が、確か、プロポーズしているんだけど、エリナの返事は、いつ聞けるのかな?」
「いい男・・・って誰のことかわからないなぁ」
エリナは、もう一度、握られた手をふりほどいた。
「じゃ、もっと、わかり易く言うよ
2年連続で『太陽系レース』優勝間違いなしのパイロットが、今、ここに・・・エリナの目の前にいるんだけど、そいつを格好いいと思ったことはないのかい?」
自信満々でありながら、苦笑を交えて話すカゲヤマは、もう、エリナの手を握ることを諦めた様子であったが、それでも、最後の質問をせずにはいられなかった。
「まぁ、あたしの作った機体を、うまく使いこなしてくれたのは、感謝してるけど・・・格好いいかどうかは、ノーコメントってことにしておく」
「ノーコメントってことは、少しは、脈アリって意味と思っていいのかな?」
「ごめん、言い方間違えました。
期待を持たせたくないから言っておきます。
あたしは、今、イチロウ以外の男性を好きになることはないと思ってる・・・ずっと、本当に、あたしが子供の時から彼の眠ってる姿を見詰め続けてきて、この人を守ってあげるのは、あたししかいないんだって、ずっと、ずっと、そう思って来たから」
「そういう意味なら、俺だって、ずっと、エリナだけを見続けてきたつもりだ」
「あたし以外なら、その口説き文句も効果あるかもしれないのにね・・・カゲヤマくんは、たまに、嘘をつくから、信じられないよ」
「俺がどうこうという前に、エリナの気持ちが、俺を拒否してるってことか?」
「そう思ってもらったほうがいいかも・・・ほんとうに、ごめんなさい」
「1年間・・・正味、半年か・・・エリナと一緒に参戦できた昨年は、ほんとうに楽しかったんだ」
「今年だって、この前の3月ステージは、あたし抜きで、ちゃんと優勝できたじゃない」
「今回は、カナリにまくられる可能性があるからな・・・なぜか、今年から、ポリス・チームまで、こっちのレースに力を入れだした」
カナリというのは、この時代の警察隊・・・特に、宇宙空間空域での犯罪に対応するために組織された|超高機動警察隊《スーパーポリス》に所属する、婦人警察官の名前で、そのカナリも、毎回、『太陽系レース』に、ポリス・チームのパイロットとして、エントリーしている。
「『太陽系レース』が、メジャーコンテンツに成長したことで、宣伝効果が大きくなってきたからでしょ。理由は、はっきりしているよ」
レースチームの技術スタッフの一人が、二人の姿を眼に留めて、近づいてきた。
「エリナさん」
「オノデラさん・・・久しぶりです。わたしで役に立つことがあれば言ってください。今日は、カゲヤマさんの乗る機体の整備に来ていますので」
「はい、その事で、お願いがあるんです。
今のトムキャットのエンジンの状態、見てもらっていいでしょうか・・・今回は、どこのチームもトップスピード重視のセッティングにしてきてるって噂なんで、今のバランスタイプセットでいいのかって思ってて・・・
見てもらっていいですか?」
「もちろんですよ。そのために来たんですから。
今年は、こっちのチームのパドックに入ることができないけど、裏方としては、まだ仲間のつもりですから、何でも言ってください。できる限り協力します」
「ありがとうございます。噂に聞いてましたけど、パンフレットに載っていましたね。
いよいよ、ルーパス・チームも参戦ですね。今から、楽しみです」
去年一年間、いっしょのチームで参戦したオノデラは、言葉通りの、いかにも楽しいという表情をみせながら、そう正直な気持ちをエリナに伝えた。
「昨年は、うちはパイロットが、いなかったから参戦できなくて・・・だから、カゲヤマさんのチームに入れてもらって、とっても、楽しかったんですよ」
「そうですね・・・とても、楽しそうに駆け回ってましたよね」
「あの時は、バタバタしちゃってて・・・
でも、今年は・・・ルーパス・チームは、予選を勝ち抜かないと、いっしょに戦えないんです。決勝ステージで一緒に戦えるようにがんばりますね」
「例の彼、タカシマくんでしたっけ?期待はできそうですか?」
「パイロットとしての腕は、確かだ」
エリナに代わって、カゲヤマがオノデラに応える。
エリナは、まず、F-14の機体の外装パーツに手を触れ、その外装コーティングの状態を確かめ始める。
レースの中で、機体同士の接触から、機体とパイロットの身を守る外装コーティング。
コーティング樹脂の中に含まれるマグネットの反発を最大限に自動コントロールすることで、レース中の機体の接触そのものを起こさせないための、この外装コーティングを提案し、試作品を製造し、そして、昨年のレースに参加した全ての機体に、この外装コーティングを搭載させることを実現させたのが、エリナであった。
「外装コーティングの調子は、悪くないね」
「それは、もちろんですよ。
うちで提唱した形になってるから『オータ・コート』と呼ばれていますが、ほんとうは『イースト・コート』もしくは『アズマザキ・コート』って呼んで欲しいと思ってます」
「わたしは、『オータ・コート』でいいと思うよ。呼びやすいし」
「相変わらず、商売っ気がないですね」
オノデラは、にこやかに応じる。
「商才は、うちのミリーって女の子のほうが優れているから、わたしは、自分が好きな研究だけやってます」
「今回、また新兵器とか開発してますか?そっちの情報もできれば欲しいんですが」
「う~ん、期待に応えられる新しい技術は、今回は、全くありません・・・でも・・・」
「やっぱり、何かあるんですね」
「少しだけ、パイロットシートを守るためのパーツを作ってみました。人の命を守るための改造なら、どんなに手をかけても手をかけすぎってことはないでしょ。
それが、結局は、機体の保護、あなたたちの商売で言えば荷物の保護にも役立つわけだし・・・できれば、無重力下だけでなく、有重力下のレースや地上の自動車や、それ以外の交通手段の中でも役立つ技術になってくれれば、わたしは、それで充分嬉しいですよ」
「エリナさんには、勝つための技術を研究して欲しいってのが、レース関係者全員の期待なんですよ」
「そんなふうに言われても、プレッシャーになるだけです。買いかぶらないでくださいね。こんな・・・油くさいだけのわたしでも、本人は、かよわい女の子のつもりなんです」
外装の状態を確かめた後で、エリナは、エンジンパーツに手を触れた。
「へぇ」
「カゲヤマ・スペシャル・エンジンです」
「わたしが作ったエンジンをベースにしてくれてるのが、とても嬉しい」
「今年、いい成績を挙げることができれば、来年は、エンジンメーカーからの供給を受けられそうなんですが、今は、このパッケージングがベストです」
「うん、ベストだと思う・・・」
「何か、ひっかかることでも?」
「昨年、使っていた時から直したかったのが、このエンジン・・・オノデラさんが、さっき言っていたようにバランス重視だからしょうがないんだけど、最高速度がイマイチなんですよね
でも、どこを直せって言えるわけじゃないんだけど」
「エリナさんは、理屈よりも、手を出して直すタイプですからね」
「うん、そうそう・・・結局のところ・・・理屈よりも勘勝負だからね・・・わたしの場合は」
「メカニックを引き継いだ者としては、その勘勝負ってのが、正直わかりにくい」
「ごめんね・・・わたしが、アバウトな女だから・・・
苦労かけちゃってる?」
「そんなことないですよ。昨年の優勝エンジンを使ってるんだから、苦労とか言ってたらバチが当たりますよ」
「そうそう、他所が、どうしようが、どう考えたって『太陽系レース』でのエンジンセッティングは、バランス重視がベストに決まってる。運の要素も強いんだし」
「今年のレギュレーションも、運の要素が、相当強くなってるから、正直厳しい」
カゲヤマが、しみじみと呟く。
「特に、クイズパートとか、ナビがしっかりしてないとキツイよね」
「あのミユイちゃんがナビなら、絶対にクイズパート全問正解してくれるはずなんだけど・・・俺が行って今からでも口説いてくるかな」
「シマコさんに、そう言っとくね」
「言ってもいいけど、たぶん、矛先はエリナに向くことになると思う」
「そうなの?」
「けっこう、自分のポジションを気にしてるから・・・シマコは」
「相当、嫉妬深いとか?」
「俺と、シマコの間で、それは絶対にありえない・・・シマコは、自信家だから、自分の知識レベルに絶対の自信を持ってる」
「シマコさんは、昨年から、ずっとナビやってるから・・・シマコさんレベルとは言わなくても、せめて、辞書検索くらいは、普通に使いこなせる人が見つかるといいんだけどな・・・後1週間じゃ、やっぱりキツイかなぁ」
そのナビゲータ不在という問題の解決については、エリナの今一番の懸案事項なだけに、頭の痛い問題でもあった。その件について、エリナの知りえないところで、イチロウが、こっそりと話を進めていることは、エリナは全く気づいていなかったからだ。
ミリーは、ハルナから受け取った、ナースコスチュームを身につけて、悦に入っていた。
(ミリー、そのコスチューム・・・似合い過ぎてる)
(でしょ、でしょ)
「では、ミリーちゃんへの約束は、OKってことで、次は、イチロウくんのニアピン賞を決めなくっちゃ」
「俺のほうは、気にしないでいいから・・・勝ったとか負けたとか、正直いうと、俺には実感がないから」
(なんか、もらっといたほうがいいよ・・・そのほうがコミュニケも取れるしさ)
ミリーは、相変わらず機嫌がよい。画面のキャラもニコニコエモーション使いまくりで喜びを全身で表現しているが、それ以上に、イチロウの膝の上のミリーは、小躍りせんばかりにはしゃぎまくっている。
「見た感じ・・・イチロウくんって、今日始めたばかりだよね、このゲーム」
ハルナが気安く話しかける。
「ああ・・さっき、初めてID作った」
「ってことは、ハルナに会うために、わざわざゲームのID作って、レベル11まで上げてくれたんだよね」
「そんな、恩着せがましい気持ちじゃないつもりだけど、
つまり、そういうことだ」
「ハルナは、そういうのって、すごく嬉しいよ。ナビゲータやるんだったら、レースは、もうすぐ・・・
えっと、来週だよね。できれば、すぐに会っておきたいなって思うんだけど」
「そういえば・・・ハルナさん、今は、どこにいるの?」
ミリーが尋ねる。
「どこだと思う?」
「ごめん、想像つかない・・・この前会った時と、同じとこにいるわけじゃないよね」
「ええと・・・じゃ、ここで問題です・・・ハルナは、今、どこにいるでしょう?
次のみっつの中から選んでくださいね。
ええと・・・ええと・・・」
イチロウとミリーは、ハルナから出される3つの選択肢を、少し待っていたのだが
「だめだ、3つも思い浮かばないや・・・ええと、太陽系のワープステーションのVIPルームに、ハルナは、今います」
「あたしたちも、今、太陽系に戻ってきてるよ・・・
ちょっと遅い時間になっちゃってるけど、すぐ会える?だったら行くけど」
(この勢いで、決めちゃったほうがいいよね)
(そうか?)
「ええと・・・ハルナが、そっちに行ってもいいかな?」
「もちろんいいよ、断る理由とかもないし・・・ じゃ、こっちの位置を教えるね」
GDのゲーム画面のプライベートメッセージを利用して、ミリーはルーパス号の現在地点を打ち込む。
「う~ん、だいぶ、地球に近いとこなんですね・・・ここからじゃ、ちょっと遠いかな・・・もう、遅いし、どうしようかな」
ルーパス号の現在位置を確認したハルナが呟く。
「地球圏人口衛星への配送を終わらせたばかりだからね」
独り言のようにも聞こえたが、やっぱり機嫌を損ねたくなかったので、イチロウが、フォローの説明をしておく。
「そうだ・・・
お父様を説得しなくちゃいけないから、イチロウくんへのニアピン賞は、『ハルナとの1泊2日のデート券』にするね」
「え?」
ハルナの突然の言葉に、イチロウは、その意味を理解できず言葉を返せずにいると、ミリーがイチロウの膝をポンポンと叩いて、そっと呟いた。
(イチロウ・・・このハルナって子・・・ちょっと危険かも)
(俺も、少し後悔してる)
(どうする?)
(でも、今さら白紙に戻そうなんて言えないよ)
(彼女を呼ぶ前に、エリナにだけは、相談しといたほうが良かったかも)
(それも今さらじゃないか?)
「?? ハルナとのデートじゃ、ご褒美にならないかな?」
「とりあえず、その話は、これから会った時に、改めてするってことで」
「じゃ、ハルナは、今から2時間後に、そっちに行きます。11時前には着けるから、寝落ちとかしないでね」
「あ・・・ハルナさん、このコスチュームは・・・」
「しばらく、貸しておいてあげます・・・ハルナは、これから、レースが終わるまで、ミリーちゃんとずっと一緒にいられるんだし、全然、問題ないよ」
「ありがと・・・」
「堅苦しいことはなしで・・・じゃ、すぐ、そっちに行きますから、ハルナは、ログアウトしま~す」
言うが早いか、あっという間に、ハルナのキャラクターが、画面から消滅してしまっていた。
「今から、こっちに来るって・・・2時間で来れるのか?」
「慣性飛行なら難しいけど、ブースター加速で来るつもりなんじゃないかな・・・ハルナさんは、きっと、お金持ちの良いところのお嬢様だと思うんだよね・・・
それに、この前使ってたあの機体って、市販されていないだけで、どこか見覚えのあるデザインだったし・・・
メーカーエンブレムを外していた新製品って可能性が高いんだよね」
「新製品?」
「不思議じゃないでしょ・・・エリナが自分勝手にチューニングした機体なんかより、よっぽど扱い易い感じだったし・・・色違いで3機もあるんだよ。当然、量産を視野に入れてるってことだと思うんだよね」
「そうなんだ」
「イチロウも、もう少し、マシン整備とかしたほうがいいと思うよ・・・エリナに任せっきりにしとかないでさ」
「少なくとも市販マシンのカタログスペックくらいは、チェックしといてもいいと思う、これからのためにもね」
イチロウは、ハルナが乗っていた機体のスタイルを思い出していた。ショッキングピンクに彩られた流線型の機体は確かに印象的ではあったが、メーカエンブレムが付いていないということには、まったく気づいていなかった。
「ところで、俺達は、もう少しレベル上げとかしといたほうがいいのか?」
「う~ん」
「考えるなよ」
「そうだね、お迎えの準備でもしておこうか」