第4章 甘い記憶 -13- | d2farm研究室

d2farm研究室

d2farm会員コーナー

-13-

 ギンの翼が折りたたまれて、研究所の庭に、ミユイとギンが着陸する。
(やっと、父さんに会うことができる)
 ミユイは、唇をかみ締めて、研究所の正面扉に向き合う。
『僕は、小さくなったほうがいい?』
「そうだね・・・お父さん、びっくりするといけないから」
 ミユイは、ペンダントをギンに向けると、ギンの体を15センチほどの姿に変身させた。
ミユイは、正面扉をノックする。
 扉がゆっくりと開かれて、ポリススーツ姿の大柄な男が現れた。
「リューガサキ博士を保護している者です。あなたは、どのような、ご用件で?」
「リューガサキの娘です。地球から参りました。父に会わせていただけないでしょうか」
 ギンが、ポリススーツの男の足下をすり抜けて、研究所内部に入っていくのが、ミユイの眼に映った。
「あなたが、ミユイさん?」
「はい」
「どうぞ、入ってください。博士は、まだ眠られています」
 ポリススーツの男が先導するようにミユイを研究所内に招き入れる。
「博士から、あなたが着いたら、起こすように言われていますから、ちょっと、声をかけてきます」
 研究所のロビーでミユイは父が現れるのを待った。
さほど待たされることもなく、ロビーに車椅子に乗ったカツトシの姿が現れる。
「父さん・・・」
 ミユイは、車椅子の傍まで駆け寄る。
「久しぶりだ・・・よく来たね・・・ミユイ」
「はい・・・思った以上に、元気そうで」
「お前の願いを叶えてやる時が来たってことだな」
「はい・・・」
「悪いが・・・」
 カツトシは、ポリススーツの男に話しかける。
「娘と二人にさせてもらえないだろうか」
「わかりました・・・私は、外の警備をしてきます」
 男は、ロビーから出て行った。
「父さん」
「ミユイ・・・お前は、やっぱりリョウスケの記憶を消したいと思っているか?」
「はい・・・それが、父さんに、お願いしたことですから」
 ミユイは即答する。
「立ったままする話ではないな・・・お前も座りなさい」
 カツトシが、テーブル脇に車椅子を移動させて、それに付き添うように、ミユイも椅子に腰を下ろした。
「正直に話す・・・」
「はい」
「私は、お前の願いを叶えてやることができそうにないんだ」
「どういうこと?」
「リョウスケの記憶だけを消すことはできない」
「それは、わかっています」
 ミユイは微笑する。
「そのことで、父さんが悩んでいたのであれば、それは、わたしが謝らなければいけないですね」
「お前は、私以上に頭がいいからな」
「はい」
 ミユイは否定しない。自分ができること、できないことの判断を誤ったことがないことはわかっている。父にできないことも、自分にはできる。それも、事実として知っているからだ。
「せっかく、ここまで来てくれたのに、私には、お前にしてやれることがない」
「いえ・・・」
「父さんがやっていた研究のこと・・・教えてくれなかったことも、わたしは知っていますよ」
 カツトシは、下を向く。
「記憶を消すことは成功したと聞いています」
「部分的な記憶の操作は、確かにできる。でも、それを記憶の中の『ある部分』を消していくことだ。必要のない記憶を選んで消せるわけではないんだ」
「それでもいいと思います」
「それはできない」
「だって、一つずつ消していけば、いつか、リョウスケの記憶を全て消すことができるはずです」
「だから、それは、できない」
「なぜです?」
「それは、必要のない記憶以外を間違えて消してしまう危険性があるからだ」
『ミユイ・・・僕は、そろそろ帰ったほうがいい?』
 ギンが心配そうに訊いてくるのがわかったが、ミユイは敢えて、返事をしなかった。
「必要な記憶って、父さんにとってはなんなのですか?」
「お前が、私のことを忘れてしまうかもしれないではないか」
「父さんの記憶がなくなっても、別に、わたしは、痛くも痒くもありません」
 ミユイは、敢えて辛らつに言い放った。
「父さんは、わたしの不要な記憶を消してくれるって、約束しました」
「それは覚えてる」
「では、約束を守ってください」
「・・・」
「わたしを、ここに届けてくれた人たちは、きちんと約束を守ってくれました」
「・・・」
「約束を守ってください」
「それはできない」
「わたしは、自分の記憶の全てを消し去ったとしても、忌まわしい|東崎諒輔《あずまざきりょうすけ》の記憶を持っていたくないんです」
「それは、知っている。何度も言われたから、そのことを忘れたことは一度もない」
「そんなにアズマザキ博士を嫌いなのか?」
「何度も言わせないで・・・」
「お前がなんと言っても、わたしが何もしなければ、お前は、このままだ・・・うまく、アズマザキ博士の意識や記憶と折り合いをつけていくしかないんだ」
 カツトシとミユイの会話は、いつまでも平行線のままで、結論が出ることはないようだった。

ルーパス号に戻ったエリナたちは、全員がブリッジに集まっていた。
「絶対、仲間になってくれるって思っていたのに、やっぱり、イチロウは押しが弱いよね」
 ミリーが、イチロウの傍にやってきた。
「ミユイって、これから、何をしていくつもりなのかなぁ、イチロウは聞いてる?」
「俺は、別に聞いてない」
「だよね・・・
 どう?ここにいる仲間以外で初めて会った女の子だよ・・・イチロウの運命の女性じゃなかったのかな」
「彼女は、きっと違うと思う」
「そうかぁ・・・」
「もう着いてるはずなのに・・・ちょっとギンが戻ってくるのが遅いような気がする」
『ミリー・・・聞こえる?』
 ギンの声が届いた。
『あと一日だけ・・・ここにいさせて欲しい。明日になったら、必ず、船に戻るから』
「今、ギンからメッセージが届いた。
 あと一日、ミユイの傍にいたいんだって」
「あいつを置いては、おけないな」

 結局、カツトシは、ミユイの脳手術を絶対にする気はないと言い張った。ミユイも、それ以上は父を責めることはせず、シャワーを浴びた後で、研究所の寝室のベッドで横になっていた。
ギンは、ミリーにメッセージを送った後で、、ずっとミユイの傍を離れずにいた。この寝室でも、大きな翼をきちんと畳んでミユイの傍に付き添っている。
「あたしって、親不幸だって思うよね」
『さっきの話?』
「お父さんを、怒らせるようなことばかり言う不良娘だから」
『記憶を消すなんてこと、やめたほうがいいよ』
「ギンは、何もわからないんだから、余計なこと言わなくていいのよ」
『わかった、何も言わない』
「ギンに当たることないのにね」
 二人の会話が途切れたことで、部屋の中に静寂が訪れる。
「ほんとうに、ギンは素直ね・・・何も言わないっていったら、ほんとうになんにも言ってくれないんだ」
『もう一回言ってもいい?』
「言わなくてもわかってるから・・・記憶を消すなっていうんでしょ」
『うん』
「もう寝ようか」
『そうだね』

 その夜、一人の侵入者が、研究所に現れた。
「ようやく、きみに会うことができた」
 少年は、勝手知ったるといった様子で、ミユイとギンが眠る寝室に入ってきた。
カツトシとの共同研究をしていた少年である。
 侵入してきた少年に気づいたギンは、ミユイを守るように、まだ眼を閉じたままのミユイの傍に、移動する。
「バローギャングの連中は役に立たなかったからね、僕が直接迎えに来たよ」
『何をしにきた』
 ギンが威嚇する。
「そんな物騒な歯で噛み砕こうっていうのか?それは勘弁だ・・・僕は、彼女に用があるだけなんだから」
「ギン・・・」
 ミユイが眼を覚ます。
「ミユイさんですね。僕は、全然怪しい者でもなんでもないんだ」
「怪し過ぎだよ。女の寝室に入ってくるなんて」
「女の格好をしていても、あなたの心は、リョウスケ・アズマザキという男に他ならないんだ」
「何を言い出すの?」
「記憶と心が男なら、僕から見れば、どんな女らしい格好をしていても、男に他ならない。心が男である人間に、なにかしようとするほど、僕は女に不自由しているわけではないよ、
ミユイくん」
「言ってる意味がわからないわ」
「あなたの記憶を鮮明にしてあげたい・・・あなたにとって、決してイヤな申し出ではないはずだ」
「だから、言ってる意味がわからない・・・わたしは、いつも、見え隠れするリョウスケの記憶を消したいだけなの、それ以外のことに興味はないわ」
「アズマザキ博士の記憶の全てを鮮明に思い出すことができれば、世界はもっとよくなると思わないか?」
 ベッドから起き出して、ミユイは、少年と対峙する。
ギンは、威嚇することをやめない。
「僕も、ちょっと性急に過ぎたかもしれない。
少し、落ち着いて僕の話を聞いてくれないか?」
 少年は、両手に何も持っていないことを示して、寝室のベッド脇にある椅子を引き寄せ、腰を下ろした。
「あなたも、座ってください。ベッドの上でもかまわないから。見てのとおり、僕は武器を持っていない・・・その気になれば、メスでもハサミでも、武器にすることはできるが、そんなもので、あなたを脅すつもりは、まったくないんだ」
「話だけは聞いてあげます」
 ミユイは、ベッドに腰を下ろした。
『僕の牙を甘く見ないほうがいいよ』
「そのウルフドラゴンも研究対象としては興味深い存在だけど、今は、あなたのことだ」
 少年は、言葉を切る。
「時間は、たっぷりあるからね。話したいことも、たっぷりある
 何から話せばいいかな・・・、そう、まずは、あなたが気持ちが悪いといつも感じているアズマザキ博士の記憶の断片・・・これは、あなたのお父さんが、一度封印した記憶だ。女の体を持つあなたが、女として振舞うためには、その記憶・経験は邪魔なものだから・・・
あなたも、綺麗な女性を見て欲情を覚えた経験があるんじゃないかと思う。それは同性愛でもなく、ごく自然に、男の本性を持つアズマザキ博士の感情に他ならないんですよ」
その感覚は、確かに経験している・・・そう感じて、ミユイは少年の話の続きを聞くことにした。
「否定しないってことは、思い当たることがあるんだね
 例え話は、それくらいにしておくよ。
つまり、中途半端に記憶が封印されてるから気持ち悪いんだ。
あなたは、世界でもトップクラスの頭脳と経験を引き継いだ素晴らしい存在なんだ。
その経験をなかったことにすることほど、人類にとって、もったいないことはないと思わないかい?
だから、僕は、リューガサキ博士との共同研究で、その封印を解くための方法を発見したんだよ
 今すぐにでも、僕は、あなたの記憶の封印を解くことができるんだ。
あなたは、その身をただ手術台の上に横たえておくだけで、素晴らしい記憶を思い出すことができる。
それとも、記憶を消すことを、それでも望むかい?言っておくが、消えた記憶を再生させることは、できない。今の技術でできる記憶の消去は、脳細胞自体を物理的に死滅させる方法しかないんだ」
その記憶消去の方法は、ミユイも知っていた。だから、自分ではできないのだ。自分の頭を切り開いて、一個ずつ脳細胞を死滅させていくミクロ単位の手術を、理屈でわかっていたとしても、自分の手でできるはずがない。腹をメスで開いて、盲腸を切り取るのとはわけが違うのだ。
「言いたいことは、だいたいわかりました。あなたの言うことに、信憑性があるのも認めましょう・・・でも、それと、あなたを信頼できるかというのは別です」
「僕の手術は受けられないと・・・そういうことですか」
「もちろんです」
「困ったなぁ」
「それに、わたしには、必要のない手術です。わたしは、リョウスケのことなんか思い出したくない」
「アズマザキ博士のことを思い出すのではないよ・・・記憶を取り戻すことで、アズマザキ博士、その人になれるんだ」
「なおさらイヤです」
「あなたの父上もそうだが、ほんとうに頑固ですね・・・人類の未来のことを考えれば、断る理由がないのに」
「帰ってください・・・あなたに、わたしは説得できない」
「あんたの都合は、この際、どうでもいいんだ・・・」
 少年の口調が変わった。
「余計な用心棒がいるから、できれば説得して連れて行きたかっただけだし・・・僕たちは、あんたの記憶を欲しているんだ。リューガサキの助手になったのも、そのためだ。
 僕たちは、あんたを拷問してでも、アザマザキの空白の40年の記憶を吐かせようと思っていたんだ。
ただ、今のままじゃ吐かせることができない・・・一度、記憶の封印を解かないとダメだってことがわかったからな
あんたにとっての悲しみの記憶は、僕たちにとっては、金を稼ぎ出すための蜜のように甘い記憶なんだ」
「ギン・・・」
『僕たちの勘は間違っていなかったね』
「そうだね」
「おとなしく付いてきてくれると嬉しい・・・その牙で、僕を八つ裂きにしたければしてもいい・・・そうすれば、あんたは犯罪者だ・・・犯罪者を、厚生させるためなら、脳幹治療だって許される・・・結果的には、僕たちの望むとおりになる」
「わたしの記憶を蘇らせる事ができるというのは事実なんですね」
「そうだよ、その研究が実を結んだから、僕は、辛気臭い老人の相手から開放されたんだから。
 100パーセント、この手術は成功するよ。記憶障害も起こさないし、肉体的なダメージもほとんどないんだ
 僕は、この研究が実を結んだ瞬間、リューガサキが、天才だと素直に認めざるを得なかったよ」
「ギン・・・」
『エリナのプレゼントが役に立ちそうだね』
 そして、ミユイの唇から魔法の言葉が放たれる。

「フリーズ!!」

 ギンの左耳脇に取り付けられている円筒形のノズルから、部屋中を揺さぶる振動波が発射される。ミユイとギンのいる一角を残して、寝室のほとんどを、キラキラと光り輝く、氷の粒が覆いつくす。当然、少年の全身も、氷の粒で拘束される。

 ギンの部屋で眠りこけていたミリーは、いつもの懐かしい気配を察知して、眼を開いた。
「ギン・・・お帰りなさい」
『お待たせしました』
「一日って言ってたから、もっと遅くなるんだと思ってたよ」
『一応、悪者を退治してきた』
「さすが・・・あたしのギン」

「ギンも、帰ってきたからね・・・そろそろ帰ろうか」
 翌朝・・・エリナは、イチロウをコンテナ区画に連れてきた。
イチロウは、目の前に積まれた鉱物資源が詰め込まれ梱包された箱の山を見詰めた。
「ミリーは、職替えしたほうがいいと、本気で思ったわ・・・これ全部、ミリーが注文取って来たのよ」
「凄いな・・・後ろに連結したコンテナユニットもこんな感じなのか?」
「うん・・・」
「太陽系レースを頑張らないとバチがあたりそうだ」
「そうそう、その太陽系レースなんだけど・・・」
「なんか問題があるのか?」
「ナビゲータが必要なんだよね」
「エリナがやってくれるんじゃないのか?そうだとばっかり思ってたんだけど」
「あたしじゃ無理・・・それに、わたしはメカニックやらないといけないから」
「メカニックなんか、誰か雇えばいいんじゃないか」
「だから、あたしじゃ無理なんだって」
「まぁ、ナビゲータなんだから、ソランやロウムに頼んでもいいか」
「太陽系レースのナビが、どれだけ重要か、わかってないんだね」
「そりゃ、わからないよ・・・初めてだからな」
「まず、太陽系マップをしっかり把握してないとダメなんだよ、ソランやロウムじゃ、めんどくさがって絶対やらない」
「だからエリナがやってくれればいいんだって・・・」
「あたしが、あのナビシートに座ったら・・・ずっとイチロウのことばっかり見詰めちゃうから・・・役に立たないよ・・・きっと」
 エリナが、今の自分にできる最高級の笑顔で、イチロウに微笑む。
「だから、あのミユイちゃん、絶対仲間にしたかったんだけど・・・あの子がいれば、ほんとうに優勝間違いなしだったんだから
 イチロウがヘタレだから、取り逃がしちゃったね・・・ほんとうに残念」
 エリナの素直な言葉に絶句したイチロウは、その後、にこやかにおしゃべりを続けるエリナから眼を離すことができなくなっていた。
「とりあえず、ナビゲータ募集の横断幕でも、ルーパスの横にでも張っとこうかな」
「それはやめてくれ」
「なんで?」
「応募者が殺到するのが見えてる」
「だよね・・・とりあえず、ナビゲータのことは、イチロウに任せるから」
「あと2週間か・・・」

 不思議な依頼者「ミユイ・リューガサキ」を無事、第4恒星系の第12惑星に送り届けたルーパス号は、ホームポイントの太陽系に帰るため、とりあえずの目的地である第3恒星系のワープステーションに針路を取った。