なぜサンドウィッチマンは、老若男女に対してダントツの高い「好感度」なのだろう?
伊達、富澤両氏はどちらかと言えば、いわゆる「強面(こわもて)」ですよね~。
この「好感度」というのは実は少し不思議な言葉で、「好き」でもないけど、
「う~ん、まあ嫌いじゃないよね」みたいなのも含むのか、やはり範囲はやや広い感じ。
少なくとも、「好感度あり」と「好き」は違うわけです。
じゃあ、なぜこの好感度がサンドウィッチマンの場合、異常(?)に高いのか?
どうもこれは深層心理というか無意識のレベルが影響しているように思えるのです。
心理学の専門家でもないので、フロイト心理学がどうこうというのは分らないのですが、
なんかそんな感じがしてきたのです。
つまり「好き」は意識するものですが、「好感度」は意識しないで感じること。
だから無意識の意識というか、本人の意識しないところでの「感覚的な」「好感」です。
そこではた!と思いついたのは、幼年期の経験としてほとんど全ての人がかすかに覚えているのが、
会った時は、いつも自分に優しい親戚の(あるいは近所の)「おじさん」なのです。
親はいつもなんだかんだうるさいし、兄弟や同年代の子供では喧嘩もする、
そんな中で、「おじさん」だけはいつもニコニコしてお小遣いくれたり、自分には常に優しいのです。
そういう「おじさん」はちょっとこわい顔をしていたり、ちょっと太っていて
かっこは良くないけど、だからこそ一番好きになるのです。
このやさしい思い出しかないおじさん(しかも記憶として意識の中にはないけど、潜在意識というか
無意識の中にある)とつながり、無意識の中での心地よさ、幼児体験の追認が行われているのではないでしょうか?
ほかのみんなにとっては、ちょっとこわそうな、太った、かっこよくない、でも自分には
いつも優しいおじさんのイメージ。 これは・・・サンドウィッチマンそのものでは。
しかも、そういう無意識の記憶はすべての世代にあるでしょうし、またそのイメージも
(サンドは伊達氏と富澤氏の2人いるので)、どちらかに近い可能性はより高くなります。
サンドウィッチマンが、すべての世代の男女にとって異常に高い好感度を上げている
理由は、この無意識の「好感」なのです。