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「天皇家は韓国からきた!」~小沢幹事長の爆弾発言で波紋/週刊新潮

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民主党幹事長小沢一郎。今現在、日本政府を思うままにあやつる最高実力者として知られる彼が今月12日の訪韓当時「天皇家は韓国から渡ってきた」という発言をしたころが分かり、一大波紋が予想される。

<週間新潮>新年特大号に掲載された内容によれば、小沢幹事長は12月10日中国を訪問して胡錦濤国家主席と面談した後、韓国で行った講演会 でこのような話をしたと分かった。4ページ巻頭特集で構成されたこの記事の題名は「天皇家は韓国から来た。喝采を浴びた「小沢一郎」幹事長 ソウルの不敬 発言」。

<週刊新潮>は小沢幹事長が韓国国民大学で開いた公開講演会で次のような話をしたとし、当時の状況について具体的に描写した。

「日本の歴史専門家に江上先生という方がおられます。この先生は日本国家の起源について騎馬民族征服説を強く主張された方でもあります。江上先生の説によ れば朝鮮半島南部、今の韓国に該当しますが、この地域の権力者が多分海を渡って九州地域に到着し、三重県に定着してから、今の奈良県に入って奈良盆地で政 権を樹立しました。これは日本の神話にも出てきますが、まさに神武天皇の東征という初代天皇の話ですが、江上先生はそのような説を主に主張されたんで す。」(小沢一郎民主党幹事長)

小沢氏がここで江上先生と表現したのは江上波夫(享年96才)前東京大学名誉教授を指す。江上教授の、いわゆる騎馬民族征服説は中国東北部の騎馬民族が韓 半島に南下して日本に渡り、大和朝廷を作ったという内容だ。<週刊新潮>は「だが小沢氏は'中国東北部'を抜いて朝鮮半島の権力者が日本へ 渡ってきたと紹介した後、笑みを浮かべた顔で次のように話した」と伝えた。

「前後の事情はともかく著名な江上先生がそのようにおっしゃるほどだが、さらに強く話してしまえば私は日本で帰れないかも知れないので、ここではこの程度でしておきます。とにかく歴史的事実でないだろうか考えています。」(笑い)

この週刊誌は「小沢氏のこの言葉が終わった後、聴衆から拍手喝采が起きた」と伝えながら「天皇家は韓国からきたという、小沢氏自らがそのような歴史的事実 を信じているとしても、このような'説'を堂々と明らかにして拍手喝采を受けたいほど彼は日本と韓国の密接な関係を強調したかったようだ」と小沢氏の次の 発言も忠実に紹介した。

当時新羅、百済という国がありました。古代の歴史書を見ても日本の大和朝廷と新羅、百済の先祖が交流をするに当たり通訳が必要だったという一節は出てこないのです。また平安時代を開いた桓武天皇の生母は百済の王女と天皇陛下自らが認めました。」(小沢一郎民主党幹事長)

<週刊新潮>はこの騎馬民族征服説に対して京都産業大学の所教授の言葉を借りて「あくまでもスケールが大きい仮説に過ぎない。不明確な点が多 く定説として受け入れることはできない」と報じた。毎週40万部以上を販売する<週刊新潮>は民主党政権に批判的なスタンスで有名な雑誌だ。 今年1月には去る87年にあった「朝日新聞阪神支局事件 真犯人独占手記」が誤報と明らかになって恥をさらしたこともある。

だが今回の記事の場合、小沢氏の発言はあまりにも具体的だ。日本の巨大日刊紙のソウル特派員らも「もし事実ならば途方もない失言」と証言しており、事実で あることが明らかになれば、その波紋は侮れないと予想される。「天皇家が韓国から渡ってきた」という説は日本マスコミのタブーに該当する部分だ。

そうかと思えば日本の有数日刊紙のソウル駐在某特派員は、「日本の右翼勢力が最も恐れるのは、天皇が韓国を訪問することになったとして、その時'よく故郷 に帰ってきました'というプラカードがソウル市内に掲げられることだ」と話した。そのために今回の小沢発言もどういうわけか日本のマスコミでは報道されな かった。

ただし<毎日新聞(12月13日付)>が「小沢幹事長は天皇の韓国訪問について、韓国人のみなさんが受け入れて歓迎するならば良いこと」と話 して韓国側の準備が整理されるならば実現可能という立場を示した」と報道しており、小沢氏が今回の訪韓中に日本天皇に対して様々な話をしたこと自体は事実 と見られる。
(中略)
こういう状況で明るみにでた小沢幹事長の「天皇家は韓国から渡ってきた」という爆弾発言、そしてこれをトップニュースの形で新年特大号で正式に問題視し た<週刊新潮>の意図など、すでに日本政界に波紋の兆しが見えている。とにかく、小沢幹事長の政治的生命と直結するかも知れないこのような発 言が、果たしてどのような結果を招くのかに関心が集まっている。


パク・チョルヒョン記者




私がチョソン・ウォッチしてて、一番分からんのがこれ。

生け花やお茶や剣道や・・・・・

「うちが起源だ。」

と言いだしては、もどきな事始める。

生け花に結束具使ったり、抹茶でもないのに茶筅置いてたり。。。。。

私は起源よりも、現在どうかの方が大事だと思うんだけどね。

結局すぐ飽きて、そのまんまになってるのが多いけど。


天皇陛下に対抗して、

「皇帝復活だ!!」

とか言って担ぎ出されたお婆さん。

今頃何してるんだろ?


記事の方に戻ると、むしろ朝鮮半島南側は倭の勢力範囲だから、通訳が要らなかったと解釈できる。

百済も新羅も王子を倭に差し出したり、任那日本府があったりしたしね。

日本より新しい前方後円墳が出てきたことからも、推測できる。

まあ、「前方後円墳が出てきたニダ。日本の起源は韓国ニダ!!」

と騒いで、日本の方が古いと分かると、慌てて埋め戻したんだけど (ーー;)


ところで、現天皇のゆかり発言で有名になった桓武天皇の母親の高野新笠の系図を見てみると、

武寧王461年日本で生まれた第25代百済王(在位501-523年)]
純陀太子  在日1世 (日本に人質に)
斯我君    在日2世
法師君    在日3世
雄蘇利紀君 在日4世
和史宇奈羅 在日5世 (和氏に改名して日本に帰化)
和史粟勝   在日6世
和史浄足   在日7世
和史武助   在日8世
和史乙継   在日9世(娘を天皇家に嫁がせて高野姓を賜る)
高野朝臣新笠 在日10世―桓武天皇第50代天皇(在位781-806年)]

・・・つまり桓武天皇の母親の高野新笠は10代前に渡来し、6代前に日本に帰化した百済系10世なのだよ。

彼女の百済系の割合は1/(2^10)=0.00098。パーセントにすると0.098%となる。

逆に日本系の割合は99.902%で、血筋から見ても帰化している事から見ても正真正銘の日本人。

ましてや125代の今上天皇との関係は「0」と言って差し支えないし。

また「百済≠韓国」である事も強調しておく。

さらに「武寧王の父の東城王は日本(倭)からやって来た」と韓国の古文書に書かれているし。

そして桓武天皇が即位したのは781年・・・つまり660年百済滅亡の121年後。

百済の政治的な関わりは「0」な訳。

それに何度も言うけど、百済人と朝鮮人は全く関係ない。



ま、陛下がチョソンの御子孫だとして、「なら日帝時代は、二つのものが一つに戻っただけじゃん。」

と言うと、全力で否定してくるわけだが。。。



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