9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に
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なぜ私は政治家を志したのか?
教育が日本をいい国へ変える!
2020年東京オリンピック・パラリンピック、そのとき日本はこう変わる!教育を変える、日本が変わる。
現役・文科大臣の挑戦!
第1章 悔いのない人生を生きる
第2章 政治家を志す
第3章 教育への覚醒め
第4章 政界への進出
第5章 世界一やりがいのある仕事
第6章 人を育てる教育
第7章 日本再生の起爆剤・東京オリンピック
第8章 教育立国のグランドデザインを描く
第二~三次安倍内閣で、文部科学大臣をつとめた下村博文氏。
政治家の活動としては、本名の「ひろふみ」ではなくて、自身が経営していた塾の名としていた「はくぶん」を名乗っていらっしゃいます。
氏は、生まれ育った群馬県高崎市ではなく、学生時代に過ごした東京11区で衆議院議員となりました。
二世議員が多いこの国において、何の基盤もないところから当選するのは至難の技。
学生時代に塾を開き、その教育の確かさから親御さんの支持を得て大きく成長、その基盤を活かして当選されています。
しかし、その道のりは決して順風満帆だったわけではなく、初めての選挙で落選しており、大きな挫折も味わっておられます。
氏は9歳(小学校3年生)の時に事故で父親を亡くし、母親と年下の兄弟を支えるために新聞配達で生活費を稼ぐなど、とても苦労をさせています。
父を亡くした時、父親の墓を守るために、実家に戻った母兄弟と離れ、父方の祖母の家に身を寄せました。
数か月後に母親の説得によって、一緒に住むようになりますが、とても情の熱い子どもだったようです。
当時の寂しさを紛らわしたのは読書だっただそうで、父親が亡くなる前に小学校の先生から読書の楽しさの種を植えつけられていたこともあり、それが芽を出し、学校の図書館の本をほとんど読み尽くしたという。
生活はとても貧窮しており、母親から物を買ってもらった記憶はほとんどないという。
小学校4年生の時、病気で寝込んだ氏に「何か欲しいものがあれば言ってごらん」に対しても「いらない」という母親思いの子どもでした。
「いいから。何でも言ってごらん」という母親に、気持ちが動き、せっかくだから本を買ってきてくれるように頼んだら、母親がなけなしのお金をはたいて偉人の伝記を買ってきてくれたという。
その本を何度も何度も読み返し、15人の偉人の生涯をそらんじるようにまでなったといいます。
それ以来、偉人の本を読むことにハマり、それを喜んだ母親が時々伝記を買って与えるようになったのだそう。
下村氏は、最初に買ってもらった伝記が、とても大切な宝物だったと書いています。
下村氏の確かな歴史観と教育感はここから来ているんだなと思いました。
本書を読んでいて一番驚いたのは、第一次安倍内閣で内閣官房副長官をしていたときに、ガンを患っていたということ。
胃を4分の3お切除する手術を受けていながら、まわりには胆石だとし、一週間で退院、政務に戻っています。
それがどれほど体にムチ打つしんどいことなのか、みやちゃんには想像がつきません。
会合に出て食事をしたときには、食べないわけにはいかないから、トイレで吐くということを繰り返していたのだそう。
そのせいで、手術から2~3か月後には10キロも体重を落としてしまいます、
この状態で外遊をこなしていたということ、想像を絶しています。
さて、このまま書き続けると長くなってしまいますので、今日の〝〟ちょいよしワード〝とします。
志立たざれば、天下成るべきの事なし。百工の技芸といえども、いまだ志に本づかざるものあらず
王陽明の言葉。
意味は次のようになります。
↓↓↓
▷まず志を立てなかったら、世の中のどんなことだって成功するわけはない。さまざまな技術や芸能にしても、まず志を立てることが基になっている