小説 立花宗茂〈下〉 | 本の音色を聴こう♪

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『アナログ力のすゝめ 結果を出す人がやっているアナログ仕事術』出版

―today's cyoi-yoshi―

花を見る暇がないのではなく、花を見る気がないのでしょう

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ブログ735日目

今日の紹介は、小説 立花宗茂〈下〉 (人物文庫)/学陽書房








■本書を拝読したきっかけ


上巻と同じでーす(当たり前か・・・)

さて、上巻の記事アップから1ヶ月経ってしまいました
一気に上下巻読破したんですけどね・・・なかなか書けなくて・・・笑


上巻の記事はこちら
↓↓↓
小説 立花宗茂〈上〉


立花宗茂ってどんな武将?という方はこちら
↓↓↓
男の値打ちは「度量」で決まる


関ヶ原での活躍を知りたい方はこちら
↓↓↓
戦国武将の脳




■加藤清正との友情


上に紹介した2つ目のリンク先記事で、加藤清正との友情を書きました

清正は、宗茂がピンチの時に幾度となくそれに救いの手を差し伸べています

豊臣方の大名に手を差しのべると、徳川(この場合、家康)に睨まれ、自分の立場が悪くなるかもしれないのに、何故それほどまでに宗茂を気にかけたのでしょうか


その理由のひとつが本書にあります本

朝鮮出兵での出来事です


▷秀吉が死んだのちに、豊臣政権の五大老たちは朝鮮からの撤兵を命じた

もっとも危機に襲われていたのが、蔚山(うるさん)にこもった加藤清正である。明軍と朝鮮軍が大挙して押し寄せ、激しい戦いとなった。清正は窮地に陥った。このとき、引き上げ命令が達していたのもかかわらず、「友軍を見殺しにするわけにはいかない」といって、加藤清正軍救出に向かったのが立花宗茂だった。宗茂軍は、無事に加藤清正軍を救出した



清正はこの時の恩を生涯忘れませんでした

命をかけた行動には、命をかけて報いる

報恩の精神ですらぶ②


最近流行りの「倍返し」という復讐思想とはまったく違いますねショック




■本田正信との出会い


関が原で東軍に味方したために、領地を召し上げられ、一旦は加藤清正のところに居候となる宗茂

清正の立場が危うくなるのを心配して、京に出ることを決意します



その時の理由が宗茂らしいにこ

当時、多くの東軍大名が処分を受けたため、日本中に失業者(武士)があふれていました

一方、西軍大名は出世して領地を拡大、しかし人材不足で困っている状況でした


ここに需要と供給のバランスが満たされ、浪人武士への士官の道が広がりました
しかし、熊本にいればそれもなかなかおぼつきません
家臣の就職を有利にするために京に出たのです


また、宗茂はこうも言いますにこ

「関ヶ原の合戦後、世の中がどう変わったのかを見極めたい。それにはやはり京へ出るのが一番だ」


そのため、厳選した部下を引き連れ京に出ました



しかし、それも少しの間ですぐまた江戸に出ることを決意しますなっ・・・なんと!

「虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。京に来れば、天下の情勢がもう少しわかるかと思ったが、必ずしもそうではない。やはり江戸に行かなければとダメだ」



江戸に出てしばらくすると、家臣の十時摂津がならず者3名を斬り殺すという事件を起こしました
一部始終を見ていた役人の証言もあって彼は無罪として釈放されますが、そのために立花宗茂の家臣だということが知れてしまいます


しかし、それが転機となりましたかお

十時が高名な宗茂の家臣だと知った本多正信が、徳川秀忠のお相伴衆(しょうばんしゅう:話し相手)にしたいと考えます



そして宗茂に会いに来るのですがその時のやりとりが痛快ですらぶ②


▷本多正信はいった。「静かでござるな」

▷「さよう。侘び寺ではござるが、庭がなかなかのもので、四季折々の花が咲き楽しみです」

▷「おうらやましい限りです。それがしなどは、毎日野暮用に追われて花を楽しむ暇などまったくありません

▷「いや、それは違います」宗茂は宙に手を上げて正信のことばを遮った。本多は眉を寄せた

▷「と申されると?」

▷「暇はあるとかないとかいうものではございません。本多殿はたとえ忙しくても、その気さえあれば花はいつでも楽しめます。本多殿は花を見る暇がないのではなく、花を見る気がないのでしょう





■大名に復帰


秀忠の御相伴衆になった宗茂は数年後、大名に復帰しました

東軍の大名の中で、大名に復帰したのはごく僅かです

この時に与えられた領地は、奥州の棚倉というところでした


そこで家臣たちに言った言葉が胸を打ちますらぶ②

▷「知ってのとおり、おれはおまえたちとともに徳川殿に刃向かい、石田三成に味方をした。しかし、結果はわれわれの負け戦となった。にもかかわらず、徳川殿はかつての敵将に対し、昵懇な扱いをしてくれ、おれを御相伴衆に取り立てたのちに、たとえ一万石とはいえ棚倉の地で大名の座に復権させてくれた。そう思うと、おれは徳川殿の恩を忘れるわけにはいかない。これからは徳川殿に恩を奉ずる。それには与えられたこの棚倉の地に永住するつもりで根を生やし、民とともにゆたかな国に仕立て上げることが大切だ。さっき種蔵をつくろうという話をしたが、当面は年貢を前領主の率に比べ1割り引き下げたい。そのためにはわれわれ武士も鍬を取って、未開の地を耕すことが必要だ。今後の立花家は、よろこびも悲しみも民とともにしたい。わかってくれるか?」



これぞ、一所懸命に生きる武士の本来の姿

しびれますね~にこ




この数年後、宗茂はもとの柳川に領主として戻ることになります


至誠は天に通ずる、とはこのことですねニコちゃん






■では、今日のちょいよし





花を見る暇がないのではなく、花を見る気がないのでしょう






☆今日もいいことが学べてラッキー、着実に進歩しました
☆今日も最後までお読みくださり、みなさまに感謝



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