いつだっけ……コンピュータと出会ったの(長文) | 電脳妖怪! 油すましの妖日記

いつだっけ……コンピュータと出会ったの(長文)

今日、片付けしてたら昔「PC9801」使ってた頃のメモが出てきた……。
 もう15年くらいまえに書いたメモ……。

 なんやかやでコンピュータを使い始めて結構時間がたったなぁと思ってしまった。

 では、今回のお題は「コンピュータ」ということで油すましの思い出話なんぞを……。

 「コンピュータ」という言葉に最初に出会ったのはいつだったろう?
 たぶん、中学に入った頃……。

 なんといっても少年チャンピョンの「スーパー巨人」原作:滝沢解 絵:森村たつお
 http://homepage3.nifty.com/natsukacinemanga/natsukacinema/super_kyojin.htm
 すきだったなぁ「スーパー巨人」。この頃のパーソナルなコンピュータって「自作」する物ってい言うイメージがありましたよね。
 雑誌「初歩のラジオ」でしたっけ、基盤のマスク用のページがついてたりして、先日亡くなったお隣の幼なじみの兄ちゃんがよく基盤を自作してました。

 その頃、うちの兄貴が高校生で農工系の専門高校に通っていたんだけど、その兄貴が学校から奇妙な物を持って帰ってきた。
 今で言うとマークシート用紙みたいな感じで、あちこちに穴が開いている。そう「パンチカード」っていうやつ。高校でコンピュータ実習があったらしい。
 そうなんだよなぁ、まだそんなころなんだよなぁ。プログラムするのにまだパンチカード使ってた時代。少なくともそういうコンピュータがまだ動いていた時代。(1969年の「怪奇大作戦-殺人回路」でコンピュータの操作にパンチカード使ってたっけ。でもこの時点で「怪奇大作戦」は名前は知っていたけどまだ未見)
 しかし、このときからずいぶん後に思わぬところで「パンチカード」に出くわすんだけど、それは別のお話。

 高校生になって地元の県立高校にはいって、油すましは科学部に入った(自慢じゃないが油すましは中学時代も科学部で、そのときは「全日本学生科学賞」を受賞したときの部長をやってた……余計な自慢)
 その時一緒に入った同級生が「マイコン」を持っていた。
 マイクロコンピュータ (Microcomputer)ってやつだね、PDAのザウルスの横幅を2倍くらいにした大きさ。電卓の表示画面くらいの小さな液晶画面。
 その友達は、自分でプログラムしてシューティングゲームのような物を作ってたっけ……。でもその友達は病気で転校していったのでその後しばらくコンピュータに接することはなかった。

 ちょっと、時間は戻すけど小学校の頃。父親が会社から一抱えほどもある機械を持って帰ってきた。
 小型のレジスターのような機械は、そう「卓上計算機」……「電卓」だった。
 いまだと名刺一枚でこの機械よりも高性能な物があるのにね……。

 もちろん、中央と地方の違いもあるし、その機械が存在する期間にはばがあるので一概にはいえないけど、そういう時代だったんだなぁ……。
 油すましの少年時代って……。