◇シンプルライフ | アンダルシアの犬

◇シンプルライフ

以前、新聞の生活欄で読んだんですけど


シンプルに暮らすには、家の中に使わないものは置かない


というのがありました。



冷蔵庫も、要らないのです。


何故って、コンビニが24時間開いているじゃないですか。


そこを自分のバックヤードとして、


必要なときに必要に応じて必要な物を必要なだけ、買ってくればいいんです。



家の中に物を置いては、シンプルな生活は出来ません。


衣服も流行廃りがありますから、シーズン毎に処分しましょう。


その季節季節の物さえ持っていればいいのです。


礼服などは、レンタルして家に置くのは止めましょう。



今要る物だけを手にするシンプルライフは、心の贅肉も落としてくれるはず。



だそうです。



はいはい、筆者がメタボなのはお腹周りだけじゃなくて


心にも脂肪がくっついちゃってるって事ですね。



否定はしませんよ。


筆者の周りには、すぐ使わない物だらけですから。



でも、コンビニをバックヤード?


とんでもないことです。


物なんて手元にあってなんぼ


お店にある物は、お店の物です。


買いに行って売りきれだったらそれまでのこと


必要なときに必要に応じて必要な物を必要なだけ


手に入れることが出来ないのは、当たり前でしょう。



確かに置く場所なんてありません。


物を置けば自分の居場所がなくなるくらい、場所なんてない。


それでも置いておくのは、筆者が未練がましいだけではないんです。



昨日の我が身は明日の我が身


関東大震災の話は、子守歌のように聞かされてきました。


過去に起こった震災と、明日起こる震災に何か違いがあるでしょうか。



勿論、毎日踏み出す度に、これが最後の1歩かも知れないとは思っていません。


いや、実はどこかに思ってはいるんです。


子供の時からのクセで、今右足から踏み出して次の左脚が出るまで、自分が居るのかどうか、


自信はないんです。


ないけれど、歩を進めないわけにはいきません。


取り敢えずは、右足の次は左足が出てまた右足が出ると希望的観測のもとに、歩みを進める


それが日常と言うものだと思いますから。




買い物に殺到されている方々もご不安なのでしょう。


丁度補充時期に重なってしまい、ストックがなくなってしまった方もおいでなのでしょう。



でも・・・お叱り覚悟で敢えて申し上げますが


全部が全部、今、仕入れないとどうしようもなかった物ばかりなのでしょうか?



懐中電灯も乾電池もないと仰る奥様


普段は使わないから、お入り用ではなかったから


ご用意もなかったのでしょうね。


蓮舫さんも仰っていたように、いつ来るか分からないものに掛ける費用は


無駄と言う考えもあるでしょう。



しかし、お買い物に必死な方々、そんなにすぐないと困る物ばかりでしょうか?


停電時のお水に困ると言っても、全くの断水が続くわけではない


溜めておく時間もあります。(お勤めの時間でダメな場合があるのは分かります、以前そうでしたから)


食べるものも、申し訳ないんですけれど、多少は日頃のストックもないんでしょうか?


お子さんが小さければなおのこと、普段から何かしら置いておきませんか?



物が足りない→自分は不足したくない→買いだめに走る→ますます物が足りなくなる


焦るあまりに、必要以上を手にしていないでしょうか。



被災地では、食べ物はおろか水も届かない、暖を取ることも出来ない。


周辺部もそれなりに大変です。


でも、まるで食べ物がない水がないと言うわけではない。


2食食べられるなら、3食目を望まず、飲まず食わずの人たちの手に渡すってのもアリじゃないかと思うんです。



確かに筆者はメタボですから、2,3日喰わなくたって目方も減りゃしませんゎ。


それに家の中はストックが転がっているので、何とか食いつないでいけるでしょう。



そう書くと、ほら、自分は困らないから言えるんだって、またお叱りを戴きそうですが


確かにそうですよ、さしては困りません。


でも、そのために日頃何をしているか



風呂場には、残り湯を溜めるポリペールがデカイ顔していますし


キッチンには特売品のパスタの大袋やら、目玉商品のカップ麺がごろごろしています。


お水のタンクは、倒れて漏れると困るから風呂場に置いて、お風呂を使うときだけ通路に出しておきます。


(これも何時ものことで、今だけじゃありません。)


懐中電灯も何ヶ所かに置いており、電池も所定の箱に用意しています。



用意がいいと自慢してるだけに見えるかも知れません。


大袈裟で馬鹿見たいと見えるかも知れません。


見えてもいいんです。


こういう生き方しかできないのが筆者ですから。




普段はやっても、今は買い出しに走りません。


一人分減れば、一人分どっかに回るでしょう。




さっき「被災地の方々」なんて書きましたけど


実は、なんにも分かっちゃいません。


ただ、自分の体験した物を拡大想像して居るばかりです。


それだって限界がある。


年寄りが話すように、目の前に亡くなられた方々が数え切れないと言う状況は経験していません。


ですから、本当は「大変ですね」と書くことさえ烏滸がましい気がしています。



烏滸がましいんですけれど、やはりこう書かずには居られません。



被災者の方々に一日も早い安心がもたらされますように。


亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。







明日の自分はどこにいるんでしょう。


一応、ここにいると言うことで先に進みます。