除染の行きづまり | いわき市民のブログ I am An Iwaki Citizen.

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「真実を知らない者は愚か者でしかない。
だが、真実を知っているにもかかわらず、それを嘘という奴、
そういう奴は犯罪者だ」

ベルトルト・ビレヒト: ガリレイの生涯、第13幕

「何のための除染か?直ちに中止してほしい」    飯舘村 住民説明会
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-83.html

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除染の行きづまり

この日のやり取りの中にいくつかの大きな問題が突き出されていると感じた。

 ひとつは、住民の側の「除染の数値目標を示すべき」という当然の求めに対して、環境省は、何も示すことができなかった。

 「できるだけ下げる。残念ながら除染の効果は場所によって違うので、はっきりした数値は示せない」

 「リバウンド(除染後に線量が元に戻ること)の原因追究はできていない。私どもで分かるのは、現場での作業の方法についてだけだ」

 環境省の現場サイドとして、除染の効果について全く確信を持てなくなっているということが窺える。やってもやっても成果があがらない。とにかく除染という作業をこなしているだけ。それ以上でも以下でもないというのが正直な実情なのだ。

 除染直後にはいったん下がった放射線線量も、1カ月後、半年後には元に戻っているという例は枚挙に暇がない。また、ある場所とある場所を取ればたしかに下がっているが、全体として見れば、結局、セシウムの半減期による物理的な減衰と、セシウムの地中への浸透・沈降による遮蔽効果によって、放射線量がゆっくりとだが下がっているということを大きく超えるものになっていない。そして、はっきりしていることは、事故からこれまでの2年間は、半減期の短いセシウム134が放射線量の低減に寄与してきたが、これから先は半減期の長いセシウム137の影響でどんどん下がり方は緩慢になるということだ。

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 上の2枚の画像は環境省が示した小宮地区の航空写真だ。飯舘村全体が中山間地だが、その中でも小宮地区は、住居や農地が谷合に点在している様子がわかる。環境省は、この写真の黄色い線で囲んだ範囲を除染するという。山全体を除染することは絶望的だからだ。ということは、放射性物質がそのままになっている山があり、その山に囲まれた住居や農地だけを除染するという。それでは中長期的にはほとんど効果がないことは明らかだ。

 この除染のために、飯舘村だけで総額3千224億円が投入される。人口6000人の村にだ。もちろんその金は1円も村民には渡らない。また除染作業員もギリギリの賃金しか受け取れない。ほとんどがゼネコンやその関連企業の懐に入る。

 まさに、住民が批判するように、「除染のための除染」、「ゼネコンのための除染」なのだ。そして、「『とにかくやる』というだけの除染なら、直ちにやめてもらいたい」。これが多くの住民の声である。


下がらなくても帰村

 いまひとつは、このように除染の行き詰まりが明らかになっている中で、住民の間に広がっている危惧は、国や村長が、除染の行きづまりを開き直って、放射線量が自然減衰以上には下がらないのに帰村を宣言し、補償を打ち切るのではないかということだ。

 「環境省の考えている『人が生活していい被ばく線量』とはいくつなのか?村長は、年間5ミリシーベルトといった。それもどうかと思うが、環境省が狙っているのは、年間20ミリシーベルトではないのか?」

 「そもそも、国が示しているのは、『原発事故が起きて、放射能が降りました。しようがないから除染します。で、除染してみたけど下がりませんでした。しようがないけど帰還して下さい』という風にしか聞こえない」

 実際、除染を開始する当初は、「年間1ミリシーベルトを目指す」と掲げていたが、この間、村長は年間5ミリシーベルトという数値を公言し、国もそれを渡りに船にしようとしている。

 さらに、村長は、「毎時1マイクロシーベルトでもいいよという人と、それではだめだという人がいる。それでいいよという人には、それで帰村してもらう」と、この日も発言している。毎時1マイクロシーベルトの放射線量の下で生活するということは、低く見積もっても年間5ミリシーベルト以上、単純計算をすれば年間8ミリシーベルト以上の被ばくをするということだ。

 住民の危惧が、現実味を帯びてきている。もちろん、健康被害のリスクを理解した上で、自らの判断で戻るという選択もあるだろう。また、村長も言葉の上では、「毎時1マイクロシーベルトではだめだという人は、すぐには帰れないわけだから対応を考えないといけない」と言って、戻らない選択も示してはいる。が、それを額面通り受け取っている住民は少ない。

 そもそも、なぜ、飯舘村の住民だけ、あるいは福島県の住民だけが、他とは違う基準で被ばくを強制され、健康被害の危険にさらされなければならないのか。法治国家を標榜する日本において、権利や義務が、明らかに平等に扱われていない。住民の様々な要求や訴えの中には、この強い不信と憤りが貫かれている。 (了)