昨日のブログに、ご訪問、いいね、ぺたをありがとうございます。
その少し続きというか…
私が体験した事を綴りたいと思います。。
少しスピリチュアルなお話になります。
そういうお話が嫌いな方、苦手な方はどうかスルーなさってくださいね。
また、これは誘導でもなければ勧誘でもありません。
ただサラッと読んでいただけたなら幸いです。
あの頃…
テテがFIPにかかり、なす術なく苦しみ真っ只中にいた時、私達はテテが可哀想で可哀想で何か力になれることかないか模索しました。
この病気を治すことはもう出来ないのだろうけれど…
もうテテは数日の命なのか…
どうしたらいいのか…?
私達は泣きながらテテを見守るしかできなくて…
もどかしかったし、悔しかった…
ふと私達は一つ思い浮かんだことがありました。
ある方と約束を取り、こちらへ来ていただくようお願いしました。
ご自身の力、神仏の力を使って浄化等を行う、神霊師の方です。
以前1度、お家(家そのもの)を浄化していただいたことがありました。
助かる見込みが極めて低いテテの今の状況を前にして何かできないかと、藁をもつかむ思いだった…
できるものなら助けたいって思った…
ここまできてこの病気が治ることはないのだろうとは思いながらも…
結果から言うと先生がこちらへいらっしゃる2日前にテテの命はもたず旅立ってしまいました。。
絶望の中で冷たくなった体を前に、
翌日火葬という、愛しいテテの体が無くなる辛い儀式を行った後も、
悲しみと同時に思うことは、私達がテテの異常にもっと早く気付いてあげられていたなら、もっと違う結果だったのではないか、
せめて進行を抑えてもう少し長く生きていられたのではないか…
テテの様子に気付いたのが義母の葬儀の直後だったとはいえ、気付いてあげられていなかった自分を酷く酷く責めました。。
なんでもっと早く気付いてあげられなかった…
義母の病院の往復や葬儀のさなかでも、もっとテテに触れてあげていたらもっと早く分かったのではないか…
テテごめんね…
ごめんね…
ごめんね…
何度も何度も謝りました…
テテが亡くなった2日後にいらしていただいた先生にお話しました。
私達の話を優しく温かく頷きながら聞いてくださり…
私達に伝えたいことがあるの、と仰いました…
それはママ達に伝えてほしいと言う、亡きテテからのメッセージでした…
「ママ…
ボクはね生まれつき体が弱かったの。
目もよく見えてなかったんだ…
ボクは長く生きられないことを知っていたんだよ…
ボクは自ら、短命なこのボクを温かく看取ってくれるママ達のところを選んだんだ。
ママ達のところがボクの死に場所だって思ったんだよ…
だからママ達のせいなんかじゃないよ。
自分が悪かったって、気付かなかったからだなんて決して思わないで…
ボクはもう全然苦しくなんてないよ!
ボクはまた生まれ変わってパパとママの子になるよ。
いつか…
その日まで…
またね。」
思い起こせば、お水が上手に飲めなかったり、あれ?って思うことがあったなって思い出しました…
情けないですね…
亡くなってから気付くなんて…
家族に愛されて天国に旅立った子は、時を巡って姿を変え、また我が子に生まれ変わって、パパやママに逢いに来るのだそうです。
「テテ、
また必ず逢いに来てね。。
待ってるからね。。」
私はテテのお骨に語りかけました。
メッセージは実はもう一つあり…
それは義母からもでした。。
お義母さんは、
「病気を治して元気な体になって皆で旅行に行くことを楽しみにしていた…
それがとても心残りだ…」
そう言っていたと伝えて下さいました。。
それは紛れもなく、故郷や自分の家族を愛していた義母が、生前私達に話していたことでした。
「私とお父(義父)さんが生まれ育った秋田の故郷をあなたたちにも見せてあげたかった…
今はもう叶わないけれど、いつか遊びに行ってね…。」
それが、義母の最後のメッセージとなりました。。。
私達のところへ来たこと、話していたことを先生の視点から少しブログに載せて下さっています。
発情真っ只中だったミヨの写真付きで。
リンクを貼らせていただきますが…
しつこいようですが、誘導等ではありませんので、
ご興味がございましたらのぞいてみて下さいね。
黄龍の滝-こうりゅうのたき-
中盤から私達のお話になります。
最後まで読んで下さり、ありがとうございましたm(_ _)m
来年もどうぞ宜しくお願い致します。。。