リベラル日誌 -4ページ目

市場におけるキャラクターの価値

世の中にはあらゆるモノやサービスが溢れていて、人はそれらを獲得するために日夜仕事にはげんでいる。ぼくたちは、学校を卒業すると何らかの仕事に就いて、そこから収入を得て生活していく。ぼくたちを雇用するのは企業で、もし運よく企業に就職することが出来れば、時間を拘束される見返りに、賃金という形で報酬を受け取ることができる。


労働市場では、人は商品として市場に出回り、ひとりひとりの多彩なキャラクターに値段づけがなされる。世界にはコンサルタント、エンジニア、アナリスト、ディーラー、セールス、受付嬢など、多種多様な職があり、その人の能力や性格に合った仕事を選択することが可能だ。


ぼくは野球観戦が好きで、時間があればビール片手に試合を楽しんでいる。どこの国の子どもたちも野球ゲームが大好きで、日本ではファミスタやパワプロなんてものに熱中した人もいるかもしれない。野球ゲームは、実際の選手を緻密に分析してあり、最新の個人成績はもとより、各個人のキャラクターに多様な性格づけがなされている。例えば、打ち込まれると頭に血が上り、コントロールが利かなくなったり、不動の四番打者ではホームランが発生しやすくなったりなど、数多くのユニークな設定がある。


さらに、類稀なる才能を持った選手たちを自分の部下のように扱ったり、ナベツネ以上に好き勝手に選手を引っこ抜いて、最強のチーム編成をしたり、神の手であるリセットボタンを押すことによって試合をなかったことにできる。まあ友達をなくすか、ゲンコツをおみまいされるかもしれないけれど。



実際に商品をマーケットに出す場合、考慮すべきことはいくつもある。市場が何を求めているか、これまでの商品はこれに十分応じているか、十分でないとしたら欠けているものは何か、それを補うために何をなすべきか―。


市場に流通している商品を判断したり、選択するときに重要なことは各人の個性である。ゲームが面白いのは、個性豊かなキャラクター同士がぶつかり合うドラマが人の心を熱くさせるからだ。


現在日本の労働市場で求められていて、尚且つ嫌われる人材は、リーダーシップを持った人である。「世界価値観調査」は、世界80ヶ国以上の人々を対象に、政治や宗教、仕事、教育、家族観などを調べたもので、1980年代から定期的に行なわれている。橘玲著「(日本人)」で、この世界価値観調査が取りあげられていて、『権威や権力がより尊重される』ことについて、「よいこと」と回答した人の比率が紹介されている。これによると、先進諸国だけを見ても、フランス人の84.9%、イギリス人の76.1%が健全な社会では権威や権力は尊重されるべきだと考えられている。自由を重んじるアメリカでも59.2%が権威や権力は必要だと回答し、権威や検閲が批判されている中国ですら43.4%が権力は好ましいと考えている。


一方、日本人は「権威や権力を尊重するのはよいこと」と答えたのはわずか3.2%しかおらず、逆に80.3%が悪いことと回答している。日本人の国民感情として権威や権力が許せないのだ。


でもどこの組織でもリーダーシップがある人が求められていて、政治の世界はその最たる例だ。鳩山、菅元首相などは意思決定力のなさを露呈させ国民を呆れさせた。


なぜ組織ではリーダーシップが求められるのだろう。それは責任を取るという当たり前の行為がなくなると、組織が機能しなくなるからだ。サラリーマンは常に上司に生殺与奪件を握られている。リーダーシップが欠如した上司は、あらゆる失敗を部下に押し付けて、逃げ出してしまうかもしれない。自分の生殺与奪権を握っている上司に見放されたら終わりというのでは、あまりに情けない生き方だ。


上司に自分の将来を握られたサラリーマンではなく、上司の行為があまりにも理不尽だったら断固として拒否し、場合によっては転職したり、起業も辞さないようなビジネスマンであるべきなのだ。


だけど年功序列制度が色濃く残るこの国では、上からの圧力も厳しいし、リーダーシップを発揮すると村八分にされるのがオチだ。そうは言っても古市憲寿著「絶望の国の幸福の若者たち」にあるように「『未来を信じられないからこそ、今の幸福が際立つ』未来は暗い、だから今が一番幸せ」とか分けのわからない戯言を唱えるアホウな思考をしていては、いつまでたっても何も変わらない。

この不況で労働市場は冷え切っていて、すっかり個性がある人材はいなくなってしまった。確かに個性を出しすぎるとマイナスな面もあるかもしれない。サッカー日本代表本田圭佑選手のように、会社で「ぼくもビッククラブにふさわしい」なんてことを言ったら、「おまえちょっとだまってろ」とか言われるかもしれない。ぼくは本田がどれほどの実力を持っているか熟知していないから何ともいえないけれど、これと似たような発言をする部下がいたら、正直呆れてしまうかもしれない。


何はともあれ、個性がなくなり、リーダーシップを持つ人がいない国や組織は、成長を感じることはできない。そしてキャラクター(個性)の値段は属する組織によって、または時代によっても変化するだろう。これからは特に優れたキャラクターは高額で取引されるに違いない。


まあただ杉村太蔵のように「小池議員については、パンチラしか印象ない、脚は素晴らしい」 なんていうのがまかり通るのが良い社会だとは到底思えないわけだけど。



参考文献

絶望の国の幸福な若者たち

(日本人)

「とくダネ!」の新キャスターに菊川怜が起用されることについて

高い山に囲まれて半日しか日があたらない「半日村」と呼ばれる村落がある。昼頃にようやく太陽が顔を出したかと思えば、すぐに日没で夕方になってしまう。だから一日中太陽の光に照らされる村と比べて、作物のできはよくないし、量だって半分しかとれない。村の住民は貧しい生活を強いられて、空と同様、心まで暗くなっていた。


なんとか現状を打開しようと、村の少年一平は、袋をかついで山の頂上に登った。山を手で削っては、溜まった土を袋に詰め、山を下りて湖に土を投げ入れる。一平少年はこんなことを毎日繰り返していた。大人はすっかりあきらめていて、半日村の条件の下でベストを尽くすことばかり考えていたから、一平のことをバカにしていたけれど、まず子ども達が一人、二人と一平の真似をして山に登り始める。運動の輪は広がり、そして一平の懸命な努力に胸を打たれて、大人たちも道具を貸し与えたり、実際に手伝ったりした。最後には村人全員が山を削り倒し、「半日村」は豊かな一日村となったのだ。


この話は斉藤隆介によって創作された「半日村」という絵本の中での話だけれど、現実世界での生き方に対して、重要な示唆をしている。


企業に勤めている人ならば、少なくとも一度は出世や昇進を意識したことがあるだろう。09年の厚生労働省『賃金構造基本調査』によると、従業員規模が1000人以上の大企業の場合、全社員(役員を除く)の82.2%が平社員として勤務している。一方で係長のポストは6.8%、課長のポストは8.0%、部長のポストにいたっては3.0%という割合になっている。管理職になると、平社員に比べて仕事の責任は重くなるけれど、年収が大幅にアップするから、多くのサラリーマンの目標の一つになっている。だけど近年、管理職のポジションが減少している。企業の視点で考えれば、業績が低迷した場合、人件費の高い管理職を削減するインセンティブが働く。たとえば課長の年収についてみると、09年は前年比1.2%減で2年連続のマイナスとなっている。


世の中のサラリーマンは、世界的な景気低迷や財政危機によって、減少しつづけている管理職のポストを巡って、壮絶なイス取りゲームを繰り広げている。



6月いっぱいで人気番組『とくダネ!』のメインキャスターが中野美奈子に代わり、女優の菊川玲が就任することが発表された。菊川は東大を卒業し、ドラマや舞台で活躍する傍ら、『真相報道バンキシャ』のキャスターを務めるなど、実績は十分だけれど、フジテレビの若手アナウンサーたちからは疑問や不満の声があがっているようだ。


テレビ局に限らず、外からみると疑問に感じるような人事はどこの業界でも行なわれている。中野のケースで言えば、当然若手アナウンサーを起用した方が、コストは抑えられるし、人事のセオリーと言えるだろう。テレビ局の人事システムについては、詳しく分からないけれど、『とくダネ!』という番組が長期番組になっていて、メンバーや内容がマンネリ化して、視聴率が伸び悩んでいることにメスを入れたかったのかもしれない。


金融業界でも出世競争は日夜繰り広げられてる。チームヘッドが退社するようなことがあれば、内部での争いは、より一層激しさを増し、派閥を作ろうとしたり、上役との連携を急に密にしたりなど、チンパンジーも真っ青な社内政治が展開される。だけど重要なポストになればなるほど、外部から有能な人材を高額で引き抜いてくるケースがほとんどだ。


これには理由があって、内部から昇進させる形でヘッドにしても、それまでの手法やシステムに大きな変化は見られず、停滞した組織に勢いを与えることはできないからだ。さらに外部から人材を連れてくれば既存の派閥を全て解体したり、一掃することができる点に大きなメリットがある。これによってマネジメント側からすれば、新しいチームに権力を発揮できるので、コントロールしやすくなるのだ。


現在の日本社会にも、いたるところに半日村が存在する。現状の欠点や改善点を最も理解しているのは、内部の人間であることは間違いない。だけど、一平のように内部にいる人が、問題解決のために創造的な解決案を導き出すケースはそれほど多くない。多くの場合、外部者がそれまでの経験や知識を踏まえて分析し、打開策を打ち出すのが一般的だ。企業が合併されたり、買収されたり、人材の移動が一般的になった社会では、生き残りに対する競争は内部だけではなくて、外部者も気に留めなくてはならない。一平になれるかどうかは、あなたの気構えと尽きないエネルギーにかかっている。



参考文献

半日村 (創作絵本 36)

トル・ピープルの時代


状況説明・報告のプロセスに隠された人材の評価

東日本大震災による福島第一原子力発電所事故が発生したとき、当時の現場責任者であった吉田昌郎前所長が、本社の停止命令に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱させたとして物議を醸したのは記憶に新しい。吉田が会社の判断を無視したことは確かだけど、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。


だけど一方で、社員がみな、自分の判断が正しいと思って勝手な判断を始めたら、組織は成立たない。吉田の判断や報告もれに関しては、国家存続の危機といっても過言ではないほどの重大なものだったから、是非を評価するのは難しいけれど、例えば企業のプロジェクトに参加して、A案がいいか、B案がいいかといった決断をしなければならない局面に立たされることは、社会人なら誰でも経験することだろう。上司に状況報告をいち早く行い、適切な指示を仰ぐことが求められ、自分の考えや結論までのプロセスを的確に説明・報告することが重要になってくるに違いない。




世の中には4つのタイプの人が存在する。それは、①頭で考えたことを明確に言葉に置き換えることができる人、②頭では思考されているけれど、言葉に落とすことが下手な人、③論理的な整理ができていなくても言葉にすることができる人、④論理的に思考すること・言葉にすること共に苦手な人、の4つである。


この場合、②番に該当する人が一番仕事で損をするのは容易に想像できるだろう。もうずいぶん前のことだけど、ぼくのチームに不思議な青年がいた。彼は思考と同時に手が動くタイプの人間で、数字の意味していることを即座に理解したり、マーケットで起きていることをグラフィカルに描くことに関しては天才的な技能を持っていて、周囲を驚かせた。でも一方で、「なぜAという決断をしたのか?」、「どういうプロセスを経てBという現象が起きていると思うか?」という問いかけに関しては、支離滅裂で、正直彼の言っていることを理解できる者は誰もいなかった。


それでも結果が数字に表れている時は、特段問題にしなかったわけだけど、結果が目に見えて落ちることがあったから、彼に理由を説明することを求めた。だけどその時も彼の説明を理解することはできなかった。彼は小さい頃から受験エリート街道のド真ん中をひた走ってきた男で、抜群のセンスと才能を感じていたけれど、ぼくは思考能力に問題があるのだと考えて、低い評価を与えそうになっていた。


だけど最後に1度だけチャンスを与える意味で、毎日行なうミーティングで、1日のマーケット変化やそれに対する意見をチーム全員の前で説明することを求めた。さらにメールで文章にさせて送らせるようにしたのだ。しばらくすると、持ち前の才能を発揮してメキメキと力をつけて、ついには成功したとき、失敗したときのプロセスを論理的に説明できるようになっただけでなく、自分自身の整理にもなったようで、個人成績も向上したのだ。あの時チャンスを与えなければ、彼のキャリアを潰したことになっただろうし、業界にとっても貴重なプレイヤーを放出したことになり、多大な損失を被るところであった。



数字という評価軸がない業務においては、さらに慎重に判断しなければ、貴重な人的資本を失うことになるだろう。しかもこうした人材は男性社員に多く見られる傾向がある。


よく女性の脳は言語能力が発達していると言われている。レナード・サックス著『男の子の脳、女の子の脳 』によると、男性と女性の脳組織には解剖学的な性差が存在するのだそうだ。男性がおもに左脳だけで言葉を操るのに対し、女性は左脳と右脳の両方を使って言葉を操っている。男性の脳と女性の脳で構造上もっとも大きく違っている点は、「脳梁」という左右の脳をつなぐ連絡橋の太さである。女性の脳はこの連絡橋が男性よりも太くできているために左右の脳の連絡がよく、言語情報をはじめとした、より多くの情報を次から次へと流せるようになっている。つまり、脳が次から次へと言葉を発することができるようになっているのだ。



マネージャーは人の特性を正確に把握する必要がある。仕事の評価基準が数字である場合、それほど頭を悩ませる必要はないけれど、単純な言語能力の問題であれば、改善することは可能だからである。



生き残るマネージャーには2種類のタイプがある。それは、①プレイヤーに徹して、チーム全体を考えるよりも個人で結果を出し続け、関係する人に巧みにアピールするタイプ、②ある程度個人の結果を犠牲にしながらも、チーム全体の業績を維持したり、引き上げていくタイプ、の2つである。


好況期は、一定レベルの能力や経験があれば、誰でも結果を残すことは可能だ。さらに人材需要は全般的に伸びることになるから、多くのプレイヤーがゲームに参加することになるので、人より一歩抜けだすことを戦略に考えなければならない。一方不況期は、どんなに個人スキルが高くても機会が減少したり、収益が圧迫する可能性が高いので、当然結果も残しにくくなる。さらに人材需要も低迷していくなかで、限られたプレイヤーの中でイス取りゲームに参加することになるから、善し悪しは別として、人を落として生き残るといった戦略に切り替えないとならない。



①のマネージャーは、好況期において生存率が高くなる傾向がある。それは市場環境が影響して純粋な競争下にあるわけだから、人よりも少しでも利益獲得に貢献することが求められるし、何より優劣がつきやすい。言うなれば正の競争である。②は不況期において、生存率が高くなる傾向がある。これは誰しも結果が低迷する中で、個人の成績だけでは業績を補えなくなっている結果であり、全体で利益をあげていかないと部署または会社全体で目標達成できないからであろう。そのため、マネージャーには個人の成績よりも、チーム環境を整備することで、小さな利益のパイを確実に獲得していくタイプの人材が求められるのかもしれない。



グローバル競争の激化により、企業は優秀な人材を確保することが難しくなってきている。業界特有の商品知識を兼ね備えていたり、有力な販売網を持っていたりする人材は、どこの企業も必要としている。不況にも関わらず、専門スキルを持つ人材の給与額は上昇傾向にある。メジャーリーグで活躍するダルビッシュは、厳しい経済環境の中でも抜群の人気を誇り、同じように日本球界のスターであった松坂大輔よりも高額で引き抜かれた。こうしたことが一般企業でも起きている。


競争にも色々な方法が存在する。それは経済環境によって、企業文化によって、はたまた職種によっても異なるだろう。だけど、組織には様々な思考をもった「個」が存在することは共通している。だからこそ、周りの「個」や環境によって強制的に左右されたり、自ら変化していかないときがあるだろう。これには的確な目標を設定して、自分にとって無理のない、そして最大の「個」の在り方を模索していかないといけないのと同時に、「集団内での個」を十分に評価してもらうために報告や説明といった能力を高める必要があるし、逆に適切に評価しなければならない。






参考文献

男の子の脳、女の子の脳―こんなにちがう見え方、聞こえ方、学び方
セイヴィング キャピタリズム

競争の作法 いかに働き、投資するか (ちくま新書)

ちょっと新社会人生活に疑問を感じはじめてしまった人たちへ

製造業では工場・研究開発機能を海外に移転するケースが増えてきているし、金融機関でも日本人の顧客とのリレーションシップを密に築く必要がない業務に関しては、香港やシンガポールにアウトソーシングして人件費削減を進めている。いわゆる最近流行りの「オフショアリング」というやつだ。


こうした厳しい景気状況を反映してか、大学を卒業したものの就職できず、契約やアルバイトの仕事をしながら、ネットカフェでその日暮らしを続ける人もいれば、モラトリアム期間を延長するために大学院へ進学をする人たちもいる。


だけど就職活動戦線という恐ろしい戦場に赴き、弾丸のように飛んでくる面接官の質問をほふく前進をしながらきり抜けてきた若者たちは、なんとか4月から社会人になることができたはずだ。入社式には前日に学生最後の日を満喫するとばかりに、親しい友人と朝まで飲み明かし、そのまま出社した人もいるかもしれないし、大学の入学式に参加する時と同じように、社会人になることを夢見すぎるあまりに布団のなかで妙に興奮して眠れなかった人もいるかもしれない。


でもきっとこの2週間で色々な夢や希望が失われてボロボロになっているはずだ。厳しい受験戦争を潜り抜けて晴れて大学1年生になったときは、新入生を歓迎する先輩たちに温かく迎えられ、男は多くの女性に囲まれて訳もわからず新入生歓迎コンパに連れて行かれ、お金と童貞を失ったかもしれないし、女はホストのような先輩からの手厚い待遇を受けて、ついついお酒がすすみ過ぎ、朝を迎えたら隣に知らない男性が寝ていたなんてことがあったかもしれない。



だけど社会人生活の1年目なんて、たいていはろくなもんじゃないから、数日経つとどんなにフレッシュでガッツがある若者でもだんだんと静かになって表情がなくなってくる。入社前はとってもエライ人が笑顔で高級レストランに招待してくれて、最後に『これはタクシー代だよ。キミは将来のスターなんだから事故にあわないように気をつけて帰ってくれたまえ。』なんて握手を交わしたのがウソのように、同じ人から『おまえマジで使えねーな。やる気ないなら頼むからやめてくれよ。』なんて怒鳴られたり、電話の受話器を投げつけられたりするかもしれない。


世の中の現実なんてそんなもんで、深夜にコンビニ弁当をほおばりながら、「やめたい」なんてポツリとつぶやいていることだろう。そもそも企業は最小のコストで利益を生み出すことを目標に掲げているわけだから、新卒の1年目なんていうのは、研修費用も掛かるわ、システム代も掛かるわ、給料もドブに捨てるようなもんだわで価値はゼロどころかマイナスなのだ。


また会社というコミュニュティに組みこまれてしまうことも1年目の社会人生活を残酷なものにさせている原因だ。人類はチンパンジーほどではないけれど、緩やかな階層社会で生活している。階層社会では、弱い者を叩いて自分の能力を誇示したり、能力の高い者を仲間に引き入れて権力ゲームの材料にするインセンティブがはたらく。


チンパンジーも人間と同じく高度に社会的な動物で、ボスはライバルたちとの力関係と、群れのサルたちの暗黙の支持の下、かろうじてその地位を保っている。だましあったり、党派を組んでボスに対抗したり、ボスの地位を脅かす挑戦者に立ち向かう際に自分の支持者を集めるような権謀術数を繰り広げている。チンパンジー社会では階層順位を図る信頼できる指標がある。それはオスの場合、一連の速くて短い、あえぐような「オフォ・オフォ」という「パントグラント」と呼ばれる音声を発して、優位のオスに対し見上げるように「あいさつ」をすることだ。メスの場合は優位のオスに対して性器を差し出し(プレゼンティングと呼ばれる)、それをオスはにおいを嗅いだり、検査を行なう。


競争の激しい社会ほど厳しい階層構造を形成するのもので、外資系投資銀行の序列はなかなかのものだ。階層構造の仕組みを十分に理解している頭のいい上司は、社員の技能があがっていない間は罵声とプレッシャーを与えて、いかに自分が優れているかということを誇示すると同時に、周りの社員に対して反逆させないように見せつける。でも何年か経過して高い技能を身につけ、解雇されることなく競争に生き残った戦士には、それまでとは考えられないような手厚い待遇をする。


チンパンジー社会もなかなか熾烈な権力闘争が繰り広げられている。アルファオス(ボス猿)はいつもメス猿や食べ物を独占できるけれど、あぐらをかいていると人間社会よりも厳しい制裁が待ち受けている。人間社会では権力闘争に負けたとしても地位から失脚する程度だろうけれど、チンパンジー社会では命を落とすことだってある。だからライバルになりそうな若くて勇猛なオスに対して早い段階で餌を分け与えたり、アルファオスでさえ相手に毛づくろいなどのサービスを提供するのだ。



さて学生生活という争いごとのない草食動物で溢れた世界から、社会人生活というサファリパークのような世界に足を踏み入れてしまった人はこれからどのように行動すればいいのだろう。たぶん学生のときは高い目標をもってやりたい仕事をバリバリとこなす自分を夢見ていたのだろうけれど、それはひとまず胸の奥にしまいこんで、1日、1日を無事消化していくことを考えた方がいい。1年目で大切なことは将来有望な先輩をいち早く見つけて、思考やプロセスを学ぶことだ。そんな社員の見つけ方はいたって単純だ。優秀な社員というのは誰がみても仕事ができるから、どんなに嫌な奴でも周りに人が集まっている。上司は笑顔で話しかけるし、女性社員からはモテるし、タバコ部屋にいけば円の中心にいて火をつけてもらっている。まあちょっとおおげさかもしれないけれど、会社では「能力と結果」という基準がすべてなので、人が集まっていて、態度の少々デカイ奴が有能な社員だと思って間違いない。


どんなに怒鳴られようが、殴られようが必死にくらいついていけば、あとは時間が経てば仕事なんて勝手にできるようになっている。最近の若者は空気を読まないし、上から目線で「いえ、ぼくは(私)はこう思います(キリッ」なんていうもんだからぶち壊しになってしまうんだけど、とにかく修行僧のように念仏を唱えながら乗りきれば、そこそこの道が用意されているはずだ。


さらに社内で先輩や上司と積極的に関わることは大切なことだ。こういったご時勢だから、1つの会社で一生を終えるなんて幸福な人生を送れることはまずないだろう。優秀な社員であれば、どんな不況だろうが、企業が「ヘッドカウントがない」とかのたまっていようが、転職することができてしまうものだ。転職市場というのは、一般的には能力や実力が重視されると思われているけれど、学生の就職活動よりもずっとコネやしがらみの世界だ。同じ業界であれば、ちょっと友人に電話してその人の働きぶりをチェックするのは簡単だし、同じ業界の知り合いを引っ張ってくるなんてことも日常茶飯事だ。


ぼくのある友人はとっても頭がよくて、大きな会社のヘッドになるまで出世したけれど、ちょっと社内で敵を多く作りすぎてしまったからたぶん将来も転職するのは難しいだろう。だから新社会人にアドバイスしておくと、世の中は自己啓発だとか、能力改造とかうたっているけれど、能力形成なんていうのは一定レベル以上あげる必要なんてなくて、あとはどれだけ人間関係を築いて信頼を構築してきたかが物を言うわけだ。ロールプレイングゲームでレベルをマックスまで上げてラスボスと戦い、余裕勝ちする快感を味わいたいのはわかるけれど、現実世界ではパーティの信頼を蓄積して、背中を刺されないように警戒したり(ゲームにそんな機能はないけど)、どんどんレベルをあげているパーティの戦術を学んだりすることの方が重要なのだ。


たぶん今は先輩や上司と関わるなんてクソくらえで、やってられない気持ちで一杯だろうけれど、残念ながら一匹狼でやっていけるほど会社は単純にできていない。とびきり優秀で、輝かしい結果を会社にもたらせた人でさえも上司と争い続ければ解雇されるなんてことは、不合理なことかもしれないけれど現実に起こりえる。企業の目標をないがしろにして「世界1位になる理由はあるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」なんて悪態をつくのもご法度だ。そう会社ってめんどくさいものなのだ。




参考文献

あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源

利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか

「権力」を握る人の法則
あなたも不合理な世界の恩恵を受けている1人かもしれない リベラル日誌
影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか


本当に大企業や公務員を選択することは非合理的なのか

リストラの断行や企業の倒産が相次ぎ、街には失業者が溢れ、大学生は100社以上の企業にエントリーシートを送り、靴底をすり減らしながら必死に企業訪問をするけれど、1つの内定も取れない人さえいるようだ。「格差社会」に対する批判が世界中で声高に叫ばれて、誰もが戦犯探しにやっきになっている。若者世代を中心に「ウォール街占拠デモ」や「就活ぶっこわせデモ」なんかが起きて、国家や企業、はたまたこの世のシステム全体に対する怒りをぶつけている。大企業に務めても定期昇給は見送られ、ボーナスが支払われない所さえある。そんな企業じゃ退職金なんて夢のまた夢だ。「こんな世界に誰がした?」なんて涙する人までいるかもしれない。


この厳しい世の中で生き残るためにどうすればいいかをみんなが必死に考えている。瀧本哲史は著書『僕は君たちに武器を配りたい』で、これからさらに競争が熾烈化する世の中で、コモディティ化することを避けて、個人の能力を効率的に高めながら生きることの重要性をぼくらに教えてくれた。また多くの評論家や社会学者が「雇われない生き方」を薦めて、「会社に頼らずに生きられる力を身につけよ」と説いている。「ノマド」なんて言葉がいよいよ一般的になってきて、彼らは自由に働くことの素晴らしさを唱えている。


もちろん、これはきっと正しいのだろうし、彼らの意見に対して何の文句もない。だけどぼくのような「やってもできない人間」にとっては、個人で生きることはひどく怖いものであるし、とてもじゃないけれど選択できない。実際公務員や大企業を選択することは、そんなに非合理的なことなんだろうか。最初に断っておくけれど、ぼくは「社畜礼賛」をしてサラリーマンという生き方を肯定したいわけじゃない。ただサラリーマンや公務員になることを簡単に否定することに疑問があるだけだ。


公務員制度改革が急ピッチで進められ、国家公務員の給与引き下げが国会で議論されている。そもそも国家公務員とは、国家試験に合格して日本の行政機関や特定独立行政法人で働く公務員のことで、1種(キャリア)や2種(ノンキャリア)など、採用試験によって区分が異なるけれど、地方公務員と同様にその待遇はことあるごとに批判されてきた。


では国家公務員の給与はいったいどれくらいなのだろうか。人事院「平成19年 国家公務員給与等の実態統計調査結果」によれば、国家公務員の平均年収は662.7万円となっている。だけどこれがすごく高額かというとそうともいえず、民間企業で働くサラリーマン(正規社員及び非正規社員)の平均年収は、国税庁「平成19年 民間給与実態統計調査結果」によれば、437万円となっている。キャリア官僚を除けば、民間企業の給与とそれほど大きな差はないようにもみえる。


だけど、公務員職に人気があるのは給与だけじゃない。公務員というのは「職業」ではなく「身分」で、法律によって守られている。民間企業の社員のように、業種によって給与が大きく変動するわけではなく、リストラや解雇されることもほとんどない。不況であろうと、常にその身分が保証されているのが公務員というわけだ。日本の場合、大企業は年功序列・終身雇用制を採用しているし、解雇規制も厳しいから、正社員の場合は公務員とまでは言わないけれど、ある程度守られている。


ゴールドマン・サックスで労働組合が設立されたことが大きな話題となっている。これによって「実力主義の世界で恥をしれ」とか、「金融資本主義の終焉」なんていうコメントを見聞きするけれど、これの意味するところはそれほど単純な話ではなくて、彼らも解雇されたら次の職を見つけるのに苦労するという厳しい現実を浮き彫りにしたものだ。


ぼくは出会いと異常なほどの幸運に恵まれただけで、これっぽっちの才能もないけれど、一般的に投資銀行という世界で働くためには、高い個人能力が必要なことはすでに広く知られている。つまり、サラリーマンや公務員としての生き方を否定する人達が唱えている「コモディティ化せずに高い技能の習得」というものを十分にやってきていて、さらにそうした技能を市場から既に評価された人材の集まりなのだ。そういった組織においても労働組合ができることは、個人で生きることの難しさを証明している。


ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の物語の中に、アリスが、やみくもに走り続けているチェスの赤の女王に出会う場面がある。「なぜそんなに走り続けているの?」とアリスが尋ねると、赤の女王は「同じところに留まっているためには走り続けていなければならないのだ」と答える。


企業の多くは最小限のコストで収益源を再構築するために、即戦力となるスペシャリストを求めている。だから解雇規制が緩やかな競争企業では常に走り続けていないと同じ場所に留まることさえ難しいのだ。大不況によって日本企業でも再雇用のための労働市場や訓練のための支援が十分に整備される前に、終身雇用制の終焉や非正規雇用の本格化を始めている。



「安心社会」がなくなってしまった今、雇用システムを改良しなければいけないことは誰でもわかってる。でも年功序列を廃止して解雇規制を緩和する前に、柔軟な労働市場の整備、就業支援や能力開発などの積極的労働市場政策の推進と、雇用保険などのセーフティネットの強化をする必要がある。日本で現在起こっているのは閉ざされた労働市場においての厳しいリストラと新卒採用を中心とした若者世代の締め出しだ。


こうした環境においては個人で生きることは、よほどの才能がある人でないと難しい。「世界価値観調査(08年)」によれば、日本は「競争は好ましい」と78.3%の人が考えているし、就職先を探す際に最も重視する点の中で「安定した職場」の割合は韓国(57.3%)、ドイツ(52.7%)、フランス(37.3%)、イタリア(37.9%)といった主要国よりも低い35.4%になっている。興味深いのは大企業に対する信頼度の調査で、日本は「信頼しない」割合が75%で信頼すると回答した16.8%を大きく上回っていることだ。それでも公務員や大企業に人気が集まるのはなぜだろう。


それは、「セカンドチャンス」が整備されていない日本で労働市場を退出することが厳しい痛みを伴うことをみんな知っているからだ。このような状況においては、個人主義で生きることは難しいし、成功する確率も低い。もし日本の制度やシステムが変わらないのであれば、潰れない組織を見定めて日本経済が破綻しないことに賭ける選択のほうが合理的だ。きっと日本の大企業や公務員を選択する人は、こうしたことを考慮に入れて選択しているに違いない。


だから大企業や公務員を選択することも、しないことも、人それぞれの能力や性格によるものであって、誰にでも当てはまるモデルではないのだ。こうした問題は「勧善懲悪」や、白黒はっきりつけるという「二元論」的な発想で語れるものではない。だって世界はそれほど単純にはできていないのだから。




参考文献

リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書)

僕は君たちに武器を配りたい

米国製エリートは本当にすごいのか?