本当に大企業や公務員を選択することは非合理的なのか | リベラル日誌

本当に大企業や公務員を選択することは非合理的なのか

リストラの断行や企業の倒産が相次ぎ、街には失業者が溢れ、大学生は100社以上の企業にエントリーシートを送り、靴底をすり減らしながら必死に企業訪問をするけれど、1つの内定も取れない人さえいるようだ。「格差社会」に対する批判が世界中で声高に叫ばれて、誰もが戦犯探しにやっきになっている。若者世代を中心に「ウォール街占拠デモ」や「就活ぶっこわせデモ」なんかが起きて、国家や企業、はたまたこの世のシステム全体に対する怒りをぶつけている。大企業に務めても定期昇給は見送られ、ボーナスが支払われない所さえある。そんな企業じゃ退職金なんて夢のまた夢だ。「こんな世界に誰がした?」なんて涙する人までいるかもしれない。


この厳しい世の中で生き残るためにどうすればいいかをみんなが必死に考えている。瀧本哲史は著書『僕は君たちに武器を配りたい』で、これからさらに競争が熾烈化する世の中で、コモディティ化することを避けて、個人の能力を効率的に高めながら生きることの重要性をぼくらに教えてくれた。また多くの評論家や社会学者が「雇われない生き方」を薦めて、「会社に頼らずに生きられる力を身につけよ」と説いている。「ノマド」なんて言葉がいよいよ一般的になってきて、彼らは自由に働くことの素晴らしさを唱えている。


もちろん、これはきっと正しいのだろうし、彼らの意見に対して何の文句もない。だけどぼくのような「やってもできない人間」にとっては、個人で生きることはひどく怖いものであるし、とてもじゃないけれど選択できない。実際公務員や大企業を選択することは、そんなに非合理的なことなんだろうか。最初に断っておくけれど、ぼくは「社畜礼賛」をしてサラリーマンという生き方を肯定したいわけじゃない。ただサラリーマンや公務員になることを簡単に否定することに疑問があるだけだ。


公務員制度改革が急ピッチで進められ、国家公務員の給与引き下げが国会で議論されている。そもそも国家公務員とは、国家試験に合格して日本の行政機関や特定独立行政法人で働く公務員のことで、1種(キャリア)や2種(ノンキャリア)など、採用試験によって区分が異なるけれど、地方公務員と同様にその待遇はことあるごとに批判されてきた。


では国家公務員の給与はいったいどれくらいなのだろうか。人事院「平成19年 国家公務員給与等の実態統計調査結果」によれば、国家公務員の平均年収は662.7万円となっている。だけどこれがすごく高額かというとそうともいえず、民間企業で働くサラリーマン(正規社員及び非正規社員)の平均年収は、国税庁「平成19年 民間給与実態統計調査結果」によれば、437万円となっている。キャリア官僚を除けば、民間企業の給与とそれほど大きな差はないようにもみえる。


だけど、公務員職に人気があるのは給与だけじゃない。公務員というのは「職業」ではなく「身分」で、法律によって守られている。民間企業の社員のように、業種によって給与が大きく変動するわけではなく、リストラや解雇されることもほとんどない。不況であろうと、常にその身分が保証されているのが公務員というわけだ。日本の場合、大企業は年功序列・終身雇用制を採用しているし、解雇規制も厳しいから、正社員の場合は公務員とまでは言わないけれど、ある程度守られている。


ゴールドマン・サックスで労働組合が設立されたことが大きな話題となっている。これによって「実力主義の世界で恥をしれ」とか、「金融資本主義の終焉」なんていうコメントを見聞きするけれど、これの意味するところはそれほど単純な話ではなくて、彼らも解雇されたら次の職を見つけるのに苦労するという厳しい現実を浮き彫りにしたものだ。


ぼくは出会いと異常なほどの幸運に恵まれただけで、これっぽっちの才能もないけれど、一般的に投資銀行という世界で働くためには、高い個人能力が必要なことはすでに広く知られている。つまり、サラリーマンや公務員としての生き方を否定する人達が唱えている「コモディティ化せずに高い技能の習得」というものを十分にやってきていて、さらにそうした技能を市場から既に評価された人材の集まりなのだ。そういった組織においても労働組合ができることは、個人で生きることの難しさを証明している。


ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の物語の中に、アリスが、やみくもに走り続けているチェスの赤の女王に出会う場面がある。「なぜそんなに走り続けているの?」とアリスが尋ねると、赤の女王は「同じところに留まっているためには走り続けていなければならないのだ」と答える。


企業の多くは最小限のコストで収益源を再構築するために、即戦力となるスペシャリストを求めている。だから解雇規制が緩やかな競争企業では常に走り続けていないと同じ場所に留まることさえ難しいのだ。大不況によって日本企業でも再雇用のための労働市場や訓練のための支援が十分に整備される前に、終身雇用制の終焉や非正規雇用の本格化を始めている。



「安心社会」がなくなってしまった今、雇用システムを改良しなければいけないことは誰でもわかってる。でも年功序列を廃止して解雇規制を緩和する前に、柔軟な労働市場の整備、就業支援や能力開発などの積極的労働市場政策の推進と、雇用保険などのセーフティネットの強化をする必要がある。日本で現在起こっているのは閉ざされた労働市場においての厳しいリストラと新卒採用を中心とした若者世代の締め出しだ。


こうした環境においては個人で生きることは、よほどの才能がある人でないと難しい。「世界価値観調査(08年)」によれば、日本は「競争は好ましい」と78.3%の人が考えているし、就職先を探す際に最も重視する点の中で「安定した職場」の割合は韓国(57.3%)、ドイツ(52.7%)、フランス(37.3%)、イタリア(37.9%)といった主要国よりも低い35.4%になっている。興味深いのは大企業に対する信頼度の調査で、日本は「信頼しない」割合が75%で信頼すると回答した16.8%を大きく上回っていることだ。それでも公務員や大企業に人気が集まるのはなぜだろう。


それは、「セカンドチャンス」が整備されていない日本で労働市場を退出することが厳しい痛みを伴うことをみんな知っているからだ。このような状況においては、個人主義で生きることは難しいし、成功する確率も低い。もし日本の制度やシステムが変わらないのであれば、潰れない組織を見定めて日本経済が破綻しないことに賭ける選択のほうが合理的だ。きっと日本の大企業や公務員を選択する人は、こうしたことを考慮に入れて選択しているに違いない。


だから大企業や公務員を選択することも、しないことも、人それぞれの能力や性格によるものであって、誰にでも当てはまるモデルではないのだ。こうした問題は「勧善懲悪」や、白黒はっきりつけるという「二元論」的な発想で語れるものではない。だって世界はそれほど単純にはできていないのだから。




参考文献

リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書)

僕は君たちに武器を配りたい

米国製エリートは本当にすごいのか?