- 前ページ
- 次ページ
鏡の中には特になにもありません。
今まで歩いて来た側の廊下や玄関に続く廊下、階段にいたるまで何も変化がないのです。
高らかに笑う大人の声が聞こえた時点で、朋姉さんはこういってしまいました。
「ったく!なにこれ、やっぱバッタもんの鏡はだめだわ。何も起きやしない!」
かなりご立腹です。
私にとっては、とても都合のいい結果でしたが、すぐに状況が変わってしまいました。
二階から声がこだましていたのです。
「大変だよ!!!!姉ちゃん!!お姉ちゃん!!」
「おーい!あねちゃ!あねちゃ!…朋姉ぇ!まゆみ!」
「晃が、晃が!おどげならねぇだ!!」(おどげならね・・・大変な様子だ)
かなり焦った上の声に私たちはすぐにすっ飛んでいきました。
階段に近い部屋の入口で声をかけた俊介さんが、相当焦った顔をしたまま私たちに部屋の中央に向かい指をさしていました。
駆け付けた私たちが目にしたのは、双子の兄弟の前で畳の上にあおむけで横たわる弟の、泡を吹きながら紫色にかわっていく顔色でした。
私はほほに手を当てて悲鳴を上げてしまいまいました。
「何!何があったの」
「しらないよ、僕たちマンガ読んでたし、俊介兄ちゃんは携帯いじってただけだもん」
「あんた達!下いって大人呼んできて!」
朋さんがそういうと「わかった」といって双子は階段を駆け下りていきました。
あたしは涙ぐんだまま「晃!晃!」と耳元で叫んでしました。
朋さんは動かしたらだめだといって、脈や心臓の鼓動を確かめてすぐに顎を胸よりも高く上げて口を開かせました。
「死んじゃやだ、死んじゃやだ」
そういう私に俊介さんは肩をつかんで「んなごと、あるわけねえべぇ」
「でぇじょうぶだから、でぇじょうぶだから」と励ましていました。
朋さんは引き続き弟の胸を開けて心臓マッサージをしたり人工呼吸をしたりしはじめました。
俊介さんが言うには、ほんの数分前まで、ゲームをしていた晃が、突然胸が苦しいと訴えて横になったそうなのです。
俊介さんが声をかけて近づいた時には苦しそうに胸に手をあてていました。
そうかと思ったらどんどんと畳を蹴ったりたたいたりして、とうとう動かなくなってしまったというのです。
「姉ちゃんたち!変だよ!」
下に降りてきた二人が今度は血相を変えて帰ってきました。
人工呼吸をする朋さんに「部屋に…!部屋に…だれもいないんだよ」
と力君がいったのです。
「なにぉ、ふずくるな!ほだなごと、ほんにしたたてでぎね」
憤る俊介に、埒が明かないとばかり
「いいからあんた見てきな!」
マッサージの手を早めたまま朋さんは指図しました。
私は気が動転して、晃の様子をただわなわなとみるばかりでした。
抱き合う双子は部屋の隅で傍観するのが精いっぱいでした。
しかし、すぐに帰ってきた双子の兄弟とは異なり、俊介さんは一向に帰ってくる気配がありません。
しびれを切らした朋さんが階段の方を向いて叫びました。
「俊介!俊介!一体どうなってるの!返事しなよ!」
広いこの部屋にも隣の勉強部屋にも響くほどの声です。
一階でさえ障子が振るわんばかりの女性の声がむなしく響いていました。
「まゆみちゃん、私、ここで手を放すわけにはいかないの」
「だから願い、勇気を出して下にいってみてきてほしいの?あなたしかできないんだから、いける?」
私はむせび泣きながら、その言葉が出てきた口元と紫色の顔で口元がぽっかり空いた弟を見比べていました。
「まゆみちゃん!」
こわばった顔で見つめられたとき、とっさにうんと頷いてしまいました。
「あんた達はこっちに来て晃の手足をさすってよ!」
「えぇぇ、やだよ、怖いよ…」
「あんたのいとこだよ、死んじゃったらどうすんだよ!ばか!」
おっかなびっくりしながら近づく二人と入れ替えに、私は立ち上がり後ずさりしました。
しっかりと胸を押さえ仕込む朋さんは私に「お願い!早くね!どんなことでもいいから下の様子、すぐ伝えて!」
「ヒック…ヒック…わかった…」
駆け下りる私は茫然としました。
大広間への入り口と、その周りを囲む部屋中の扉は開け放たれたまま。
しかも、さっきまで笑い声と話し声がしていた大人たちの痕跡が全くなくなっていたのです。
そればかりではありません。
食べて残っているはずの料理や、片づけられているはずもないお皿など、食事にかかわる一切のものがそこになかったのです。
テーブルはもとより、座布団すらありません。
入口から一番奥を見ると真っ暗になった仏間の中に人影がぽつんと見えました。
「きゃぁぁぁぁ!」
私の悲鳴はその人影にまっすぐ届きました。
しかし、微動だにしない。
すると、その仏壇の鐘の音がチーン、チーンとなりだし、蝋燭が一つ、また一つとつくではないですか。
私はもう一度悲鳴を上げました。
そして階段を戻って二階の部屋に向かおうと動いたとき、その人影がグワンと倒れこんだのです。
蝋燭の灯が照らすその顔は、先ほど降りて行った俊介さんだったのです。
「いやぁぁぁ!いやぁぁぁ!」
私は無我夢中で二階に上がりました。
「朋ねえさん!朋ねえさん!」
今度はさらに驚いたのです。
二階はすべてふすまも障子も開け放たれているはずがすべてしまっているのですから。
一瞬たじろぎながらも、ありえない現象に躊躇する以上に一階の怪奇現象の恐怖から逃れたい一心でした。
「朋ねえさん、下が…」
さらに驚いた私。
ふすまの先にはいるはずの4人、横わたる弟の姿とその上に馬乗りになって人工呼吸をしている朋さんと、回りでサポートする双子の姿が全くなかったのです。
煌々と部屋の四隅を照らす照明が、ジィィィとなっているだけでした。
私は一歩一歩あたりを気にしながら部屋に入りました。
「晃…朋姉さん…力君…強君…」
「どうして?どこ行ったのよ!ふざけないで!怖がらせないで!もういや…もうやなんだから、こんなの。いたずらならやめて…お願いだからやめて…」
部屋の隅々をすすり泣きをしながらさがしました。
でも人影はおろか、一階の様子同様その痕跡すらなくなっていたのです。
私は晃が横たわっていたはずの部屋の真ん中でわんわん泣いてしまいました。
どれくらい時間が過ぎたでしょう。
私は階段の方を振り返りました。
チーン、チーンという仏壇の鐘の音が少し響いていました。
鳥肌をさすり座りながらそちらのほうへ進みました。
廊下には下で使っていた懐中電灯が転がっていました。
まだ、音はかすかに聞こえます。
私は意を決し下におり始めました。
階段越しから少し部屋の様子が見えてきたとき屈みながら仏間を覗きました。
倒れている俊介さんを何とかできればと思ったからです。
ここから見る限り部屋の奥までは確認できません。
入口まで行き中を探しました。
驚いたことにそこに倒れていたはずの彼の姿までなくなっていたのです。
私は思わず「俊介さん!」と叫びました。
そして、持っていた懐中電灯をそこまで届かせました。
しかし、いません。
そればかりか、ゆらゆらと揺らめいているはずの蝋燭の灯まで消えているのです。
怪奇をこした恐怖、奇妖怖とでもいうのでしょう・・・・
私がさらに部屋の中を進むと、縁側に人が歩く姿がうつりました。
尻もちをついて愕然としました。
その姿はまるで前に朋姉さんが教えてくれた首のない人のように見えたからです。
懐中電灯でそれを追っかけると物置部屋の方へまでいって消えてしまいました。
声をだしたならば助かったかもしれない、誰かが飛んできてくれて助けてくれたかもしれない。
でも誰もいないならばかえって怪奇の渦で自分が変になってしまい、あの人影にいいようにされるかもしれない。
そんなことが頭をよぎるや、体は自然と物置部屋に向かっていました。
恐る恐る進むと、いつの間にか、その部屋の前に立っていました。
さっき朋姉さんがしたのと同じように私はドアノブをまわしました。
……ガチャ……
目が見開く、手が自然と引っ込んでしまう私は、そこから先に何があるのか、見るべきだという気持ちがわいてきたのです。
だんだんと冷静になっていく自分の意識を感じました。
扉を開けておどろきました。
「晃!!!!」
晃がその部屋の中で収納ボックスにもたれかかりながらうなだれていたのです。
その姿はまるで、おばあちゃんが刀を大事に抱えて寝ていた時のような恰好でした。
彼の元へ飛び込んで私は体中を抱きしめました。
「晃、晃どうしたというの…しっかりして…」
「でも…でもよかった」
二階で見た姿とはまたく違うのです。血色もいい、そして単に寝ているか気絶しているかでした。
耳元にある彼の口や鼻から息づかいが感じられたのですから。
私は胸に何か固いものが当たるので彼を少し放しました。
見ると…「きゃーーーー!」
朋姉さんがバッタもんといって蔑んでいた例の鏡だったのです。
その鏡を晃は大事そうに抱えて気絶していたのです。
私は彼のところから飛びのいてしまい、わなわな震えていました。
さらに悲鳴とともに私は飛び上がってしまいました。
「きゃぁぁぁぁ!」
扉の隙間が大きく開く、そのすぐ後ろから「あんれま、まんずぅ、こんただどこで何してらった?」
「だども、そんだだおっがねぇかおさしでぇ、もーでもみだだが?」
しゃがみ込む私の目線と立ちすくむ目線とが平行になった時、それがおばあちゃんだったとわかりました。
わかったうえで声を荒げて泣き出してしまいまいました。
「お・・・・ばぁちゃん・・・・こわかったよ・・・・もう、や・・・・こんなのや・・・・」
「んだごな、んだごな。みりゃぁわがるだよ。こわがっだなぁ、あぁぁこわがっだだなやぁ」
きつく抱きしめてくれるおばあちゃんが温かく、そのしわしわの指の感触の温もりが本当にうれしくなったのです。
安心した私は、落ち着きながら確認しました。
「宴会は終わったの…お母さんは?みんなは?」
「おが、ばがしゃべすなぁ、なは晃とふだりだけでねぇだか」
「あばはぁあどがらぁどっとぐるっで」
??
え?私たちが二人で先にきてお父さんとお母さんが後からくるって??
その言葉を聞いた瞬間私はおばあちゃんの腕の中で気を失ってしまったのです。
この家は実はとても古い家柄で、昔は部落の中心にありました。
この国を治めていた殿様にも近い位の身分で様々なことを統括していたそうです。
豊臣家が衰退の折りに党首はすでに左遷させられ徳川の側近と呼ばれた人が統治に選ばれました。
そんな中、一人の落ち武者がこの地にたどりついて森の中でひそかに身を隠していました。
それが丁度この家の墓のあるほうでした。
昔は小さな祠があって人はめったにそこをお参りすることはなかったものですから人目につかなかったらしいのです。
しかしある時、年頃の娘がその男の姿をみて声をかけたのだそうです。
みすぼらしい姿に飢えた様子の彼に深く同情した彼女は毎日食べ物を送り、着物を届けたりしていきました。
やがて二人は恋に落ちるほどの仲になって言ったそうです。
そのころ江戸から使者が来てこの地に豊臣の落ち武者が迷い込んだとのうわさを聞きつけて調査していたのです。
とうとうこの男は見つかってしまいました。
そして統治していた殿様の命により捕獲させられることとなったのです。
が、いち早くそのことを娘が告げにくると、村人の中で彼女の行動を不審におもったものが、殿様に告げてすでに先回りをしていたあとでした。
男は逃げられないとわかり刀を抜いてしまったのです。
家来たちは彼の行動を言語道断としそのまま切り殺してしまったのです。
この話を聞いてさらに驚きました。
恋に落ちた娘とはまさにおばあちゃんのご先祖にあたる人だからです。
さすがに村人の手前、何のお咎めもないというのは示しがつきません。
かとって党首直々の昵懇でもあった家柄ゆえこの離れに家を移すことで双方の面目を建てたということだったそうです。
切り殺された落ち武者が未だに自分の頭を探して徘徊しているという話は今でも有名だそうです。
さらに驚いた事実があります。
その時、斬首にあたったのが何と私の父方のご先祖だそうなのです。
父は母と結ばれてからはとてもこの家に来るのを嫌がっていたそうです。
家の中に起こる怪奇現象はまだまだ謎めいているといいたげに、私が倒れて抱きかかえるおばあちゃんの隣で、ひっそりとたたずむ大ばあの姿がそこにはありました。
学生で盛り上がるイベント。それは夏になればこれという、肝試し。
ベタだとは知っていても、定番になってしまっている。
お墓を徘徊するとか霊のでるスポットに行ってみるとか亡き人を愚弄するかのような振る舞いはいけないのだけれど、つい興味がわいてしまう。
肝試しだから、その人の度胸をためすわけなのに、実際には余りの怖さに耐えかねる人が続出するもの。
でもこの家での肝試しは大分趣旨がずれてしまっている。
単に肝をつぶしたかどうかを確認している感じなのです。
怖がっているのを確かめて、何をみたかが最も価値のあるっていうところです。
だから目的とかあっても何かあれば直ぐにリタイアできてしまう。
その代わり、その何かを確認すると言うことがテーマになっているのです。
何でも代々やっている行事のようで、朋さんがまだ幼かった頃は家の母や徹也おじさんが中心になってしていたといいます。
それでも盛り上がらなかった場合には高校の教員をしている雅子おばさんがその学校の生徒たち、特にダメ軍団と呼ばれる人を呼んで、補習とかなんとか適当な事をいって参加させて、肝試し大会していたとか。
もちろん、全員が完璧にクリアーすることはなく必ず脱落者がでるそうでした。
今回のチーム編成で先頭が双子の兄弟でした。
よーい、スタートの掛け声と同時に一階降りていくふたり。
廊下は朋さんが既に電気を消してしまっていたようで真っ暗でした。
二人は体をくっつけながら恐る恐る進んでいきました。
「わー」「ヒャー」と言う悲鳴が聞こえてきました。
そのたびに朋さんまや俊介さんはニヤついていました。
その内「ありゃ、数分でギブだな」と俊介さんがいいました。
やはりその通りで、二人はどっちが早いかを争うがごとく大急ぎで階段を駆け上がってきました。
「やっぱりな」
鼻息をあらげて肩で息をする二人をみた俊介さんがいうと、今にも泣き出しそうな弟の強がこういいました。
「だって、だって、みたんだもん、絶対あれ死んだじいちゃんだよ」
「そーだよ、ほんとにじいちゃんだよ」
俊介さんは鼻でわらっていました。
「うそじゃいって、ほんとなんだから」
「んだども、どうせ部屋さ障子のガラスさ、人影みでぇのんが写っだどがぁ?」
「しがもぉ、その人影さ、おどろいでぇ、直視できねぇだに、あわてでぇ逆戻りしだのに、勝手におばけだ、たまげただというんでぇねが?」
どうやらその通りで先に進むのが嫌で、恐怖に打ち勝てずもどってしまったらしい。
朋さんもこういいました。
「去年と大差ないわね、まっ、わかってたことだけどね」
本当ならば確認していくべきだけれど、あまりにも早すぎる巡回と昨年の状況と酷似しているのでそのまま次の番と回されました。
次は俊介さんでした。
携帯をポケットに入れて、鏡をぶらつかせながらすたすたと下におりていました。
私は不謹慎ながら、かなり期待していたのです。
私同様、毎年ここにくる度に元気のなくなる彼がどんな状況に陥るのか、私も同じような目にあうのかそんな未知なるものとの駆け引きを勝手に想像してしまっていたのです。
ところが何故かいつになっても戻らない彼。
30分以上も経ちました。
業を煮やした朋さんがさっきの二人に偵察の指令を出したのです。
「えー、やだよー」
二人でそんなことを言い合っていたが「あんた達、ちゃんとやらなかったんだからだめよ。それに、大広間からいけばいいんだから、簡単でしょ?」
渋々二人は下へ降りていきました。
数分後賑やかな声とともに三人一緒に帰ってきたのです。
「なにやってんの、あんた?」
朋さんがあきれかえっていいました。
彼が言うにはこうでした。
下へ降りるや直ぐトイレの方へ行き鏡を合わせながら言葉を告げました。
何もないと最初から解っていた彼はそのまま、台所にいって飲み物を漁っていました。
そこにうちの母がやってきて、よかったらつまみを食べないかと誘われて大広間にはいっていったそうなのです。
その後は携帯のゲームしたり、大人からの質問に応えたり、と時間をつぶしていたそうです。
そこへ双子の兄弟がはいっきて、もじもじしていたので、退屈してるのだなと大人が気を使い宴会に参加させたというわけです。
ちょっと長居しすぎたとばかりに上にあがってきたのだが、気まずいところを、やりすごそうと手土産位を持参したのでした。
お菓子を頬張る双子は「いーだろー」といいながら得意顔をつくって晃にせまってきたのです。
朋さんは相当呆れた様子で、俊介をみていました。
「姉ちゃん、いるげ?」
「いらないわよ、このすっとこどっこい」
「おごるなぁ、べづに、指令さ果たさんでねーだども。んだにさ、鏡さあででぇ、なーんもなきゃそれでえーんでねの?」
「なにいってんのよ、鏡は最後の確認でしょ。家の中の様子を一通り確認して…」
「んだがらぁ、朝も昼も、まして飯さぐっでぇみなして、家におっでからに、調べてでもぉ、もう見てきてたんだからかまわねぇでねぇが?」
「あのね!…もう、全くはなしにならないわ」
呆れる朋さんの様子で、なんとなく意図する事が見えてきました。
家の中を巡回すると言うのはこの家の中に徘徊する何かにアプローチして、注意を引き付ける行為そのもので、とくに、暗がりで誰も居ない廊下を何度も回れば目につきます。
しかも懐中電灯で照らすならばそれだけでも十分です。
不思議な現象の発端が分からずともその発端から導かれる何かが否応なく反応する。
最後に鏡を見るということで、普段目にしない世界を見る。
たしか古い書物には鏡に関することでとても興味深いことが書いてあったといいます。
こちらの世界とあちらの世界。善の面と悪の面。
様々な概念がこの『映る』という行為によって生まれ、世界各地でそういう考え方を導かせている。
祭事や祭祀でつかわれるのは正しい姿を映さんがためといいます。
同時に悪しき心をもったものがさまよえる世界を映すと解釈されその世界を導き出すには鏡同士を合わせることで道が開けるそうなのです。
現世の鏡の効果もさることながら、銅鏡の時代にあったものであればその郷愁とさらにはその鏡自体のパワーによりより迷わず扉に導かれるというのです。
まさにレプリカとはいえ今持っているその鏡で映せば、この家の不思議な現象で度々かんじられる『なにか』が通るきっかけになるはずだと朋さんは考えたのではないでしょうか?
最後に許可です。
まぁもっとも、こちらの世界呼び寄せるのに許可がいちいち必要かどうかはわからないのですが、あなたを待っていますという呼びかけをすれば来やすいだろうということなのかもしれません。
私は、これはすごくまずいことではないかとおもいました。
普通の肝試しならば怖いとか怖くない程度で済みますが、ただでさえ不気味なこの家でわざわざ何かを現世に呼び込むという発想が信じられないのです。
そんなことを考えているうちに手が震えてきてしまいました。
そして朋さんの顔をジッとみつめました。
「しかたないわね。じゃ次、あたしいってくるわ」
発起人でしかも、策を講じている張本人が呼び込むという行為に私は思わず声を出してしまいました。
「ねぇ、朋姉さん、やめない?もう1時間経ってるからお風呂だって入らなきゃならないし」
きりっとしながら朋さんは私の顔をみました。
「冗談でしょ?これからだっていうのに」
私はきっとそういうと思ったのですかさずこういいました。
「だったら私もいく。一緒にいく。それで終わりにしよう?ね?」
「だめよ、晃くん残ってるし。全員がやらなきゃ意味がないでしょう?」
「じゃぁ、朋姉さんがおわったら二人でいっておしまいじゃだめ?」
とにかく早くこんなバカげたことをやめさせようと躍起でした。
「え??怖いの?まぁわからなくはないけど…」
少し考え込んでいる朋さん。
するといままで沈黙していた弟の晃が私たちにこういったのです。
「僕は夜中だって独りでいけるよ。怖くなんかないし。そんなお化けみたいな話は信じてないから。だから二人でもなんでもいいから行けばいいじゃん」
今まで私に見せてきた瞳とは全く異なるような目つきでした。
しかも、言い終わって下を向いた時にすこし笑ったような感じがしてとても不気味でした。
意外な申し出に朋さんは「あっそう?じゃぁいいわ。決まり。ね、まゆみさん、私と行って、最後晃君でおしまい。それにしようか?」
「ん?姉ちゃん、こぇぇだか?」
「そうじゃないわよ。早めに終わらせようってことだけでしょう。大体あんたが下でのんびりしてなきゃこんなことにならなかったんじゃない」
懐中電灯をもつ朋さんのすぐ横にすがるように腕をつかみながら私は階段をおりました。
ギシギシいう音がいつも以上に不気味です。
一階の廊下をてらしました。
玄関に映った光の反射が少しまぶしく目を壁側にうつしました。
年輪がつくる独特の模様と色あせた光沢のなさが無機質な様子にうつり気持ちを余計に落ち込ませました。
縁側に伸びる廊下を右に曲がりさらに明かりを遠くへとばす。
普段はそんなに長く感じない廊下なのにとても長く感じてしまう。
風のせいで雨戸がカタカタ言っていました。
右手の障子のガラスに自分の影を落としながら進む。
なるべく部屋の中を見ないようにしていました。
なにか不気味なものを見てしまうのではと思ったからです。
例の物置部屋までやって来ました。
朋さんは生唾を飲み込みながらその部屋の前に立ち止まりました。
「え?なんで?ここで止まらなくても」
私が小声にそういいました。
「なに、そんな小さな声で言ってるのよ。そういう小声の方が余計に何かを寄せ付けるかもよ。だって聞き取りづらいから近くで聞いてやろうってなるでしょう?」
びくってしました。
何かが来てしまうという心配からではありません。
私が部屋で勝手に憶測していた朋姉さんの考えが読まれたのかと思ったからです。
「寄せ付ける??」
朋さんの顔を思わずみてしまいました。
朋さんはドアノブをガチャガチャまわしました。
「よし」
扉には鍵がかかっていることを確認するとそのまま風呂場に続く廊下の方へ進みました。
時々大人たちの笑い声が聞こえてきます。
それ以外はし~んとしていました。
鏡の前にきました。懐中電灯を持っていてほしいというので私は預かりました。
「え?朋姉さん、次に回ってきた時に合わせ鏡をするんじゃ?」
「そうよ、もちろん。でも今やれば、変化の比較になるでしょう?何もない今と、次に回ってきたときどうなっていたか」
そういうとデニムの後ろのポケットにしまっておいた携帯電話を取り出しました。
「それでこれをとって」
証拠写真でした。
なんでそんなに慎重にしかも確証を持たせるようなことをしたいのか、そもそもかなりのこだわりに私は意味が分からなかったのです。
2週目に入りました。
また倉庫の部屋の前に来て同じようにドアノブに手をまわしました。
なんとなく空気が重くなった気もしました。
期待を裏切るかの如く扉はしかり締っていました。
少しため息をつく朋さん。
「鍵もしあいてたらこわいじゃないですか?」
私はそういうと「よかったってう意味よ」と返してきました。
「あっそうか」
落胆ではなくホットしたわけです。
また風呂場側の廊下へ進みます。
途中までいくと、私たちの後ろの方で、ギギギィと扉が開くような音が聞こえました。
朋さんもその音に気が付き、懐中電灯をその方向へ向けました。
それだけではありません。
私のにの腕をぎゅっと握りながら、「今、音したわよね?空耳じゃないわよね?」と確認してきました。
私は怖くなって「ねぇやめよう、おわりにしよう」といいました。
すると今音がした方向へ戻ろうとするのです。
足がすくむ私は首を左右にふり抵抗しました。
「逆戻りするなんて言ってなかったじゃない。やめようよ」
「いいわ、私一人でいくから待ってて」
そっちのほうが余計に怖い。
仕方なくおそるおそる後ろにしがみついてついていきました。
音のしたところは確かに物置部屋です。
でも扉はさっきと同じように閉ざされています。
朋さんはさっき触ったドアノブを触りました。
ガチャガチャ…
やはり鍵は閉まったままでした。
二人で目を合わせて恐怖心を打ち消そうとしました。
「あいたわけでもないから、絶対にないもない!なにもない!」
珍しく朋姉さんも怖かったようです。
そして風呂場の手前にある鏡の前にきました。
また持っていてというので懐中電灯をもって朋さんの手元を照らしました。
目尻に違和感をおぼえ鏡に目線を移すと、鏡の一部が曇っているのがわかりました。
「朋姉さん、朋姉さん、あれあれ!」
私は懐中電灯を照らしてそこを指さしました。
朋さんはうなずきながら「お風呂場の熱気だからそうなっただけよ」と私をたしなめました。
手にした鏡を合わせながらとうとう彼女は言葉を発したのです。
『御身玉、御身玉、この家に宿りし魂よ、我は阻まん。この鏡より開放せしむ、時の渦にてあらわんことを』
ゆっくりとはっきりと彼女の口からその言葉がでました。
私は何が起きるのかとても不安でなりませんでした。
夜のこと・・・
とうとう今年のお盆の集いで親戚がこの家に集まりました。
私の家が3人。おばあちゃんのところで6人。
お兄さんの弟さんのほうで5人です。
大人は全部で7人。
残りは全部子供なのだけれど、一人だけ1歳の子なので実質私たちと駆け回って遊べるのは6人でした。
7時の大宴会が始まります。
母はお兄さんとそのお嫁さんと手際よく食事を作り、弟さんとその奥さんがこれまた手際よく配膳していました。
もちろん子供とはいえこの家のルールを守らねばなりません。
全員で協力しあわなければだめなのです。
大広間に置かれた長いテーブルの上には数々の料理が並び、座椅子に腰掛けるおばあちゃん達二人が指示を出していました。
時折、おばあちゃんが台所のほうへ進み何か手伝おうとしています。
すると子供たちが台所に呼ばれて大広間におばあちゃんを連れて行くのです。
それを数回も繰り返していると疲れたおばあちゃんはどっかりと腰を下ろしてしまいます。
あっ!この家の最大の特徴はテレビがないことです。
もちろんおばあちゃんたちの部屋や離れにはあります。
でも客間も二階も大広間にさえテレビはありません。
不思議とそれが当たり前で、人が集まったときは全く気にならないものでした。
まだ小さな赤ん坊をおじさんの双子の男の子とうちの弟が見ていました。
お姉さんはお風呂掃除などをまかされていました。
お姉さんの弟が私とおばあちゃんの相手をしていたのです。
昼間にお姉さんが言ったように、弟さんは確かに元気がないような印象でした。
私にはイケメンっていえる位のルックスなのだけれど覇気がなさすぎます。
塾の先生と較べるのもなんなのだけど、容姿がとっても似ていて、どうしても行動とか見ていると物足りなさを感じてしまう。
「もうちょっとしっかりしていればお姉さんと同じくらいあこがれるんだけどな」
そういえばお姉さんがこんなことを言っていた。
最近ふらふらと母屋にやってきては仏壇の前にすわってボーってしている時があるっていうのです。
姉はそれを問いただしたりするのだけど、「え?んなごとしねぇだってぇ?」って返事を返されるばかり。
気味が悪いけど疲れているから落ち着きたいのかもって深く追求はしなかったそうです。
そんな彼と頼まれた仏間の掃除と供物の整理。そしてお膳の配置でした。
仏壇と聞いて内心どきどきでした。
大広間の一番奥、廊下側に沿って設けられた仏壇はこの家の一番の自慢かもしれません。
畳二畳ほどの幅のある御堂造り三方総開きのそれはとても大きなものです。
誰が手入れをするのかというほどで金箔に包まれた扉や柱には塵一つありません。
弟さんがしたのかしら?と思い、おもいきって聞いてみました。
「毎日、もしかしてお掃除してるんですか?」水代えのコップを片手に私がそういいました。
布巾をもつ彼は手を休めることなく「たまにはやるがな?なんしで?」と返してきました。
やっぱりそうなんだ。
「ううん。こんな大きなの、背が高くないと磨けないし、それに大変な作業だろうから」
「べつに、親父さ、たのまれてやっでるだけさ。ばぁちゃんひぐいし、あしさわるかんべ」
そっけない返事の彼の顔をちらっと覗きました。
言葉とは裏腹に、にやりとほくそ笑んでいたように見えました。
私は部屋の暗さも嫌でしたけど実はこの仏間も好きにはなれませんでした。
この部屋の天井の木目はまるで死んだ魚のように生気のない目に見えたし、大広間と隔離して6畳の部屋にしてしまうと圧迫感がとてもするからです。
引き戸の重さも開けるのにおっくうで重労働、おまけに先祖の遺影の写真が欄間に並んでいて薄気味悪く感じました。
母はよく、嫌と思うからそういう気味の悪さまでくっついてきてしまうのよといってました。
確かにその通りかもしれません。
でもそんなことを考えないでいてもやはり、不気味さがこの家にはあると直感で思ったのです。
料理もおわり退屈していた子供たちがいよいよ活動する時間になりました。
先頭切ってお姉さんが二階に行くよといって子供たち全員を引き連れました。
「あまり長くならないようにね。順番にお風呂に入りなさいよ」お姉さんのお母さんがそういうと、子供たちが全員で「ハーイ」と返事しました。
子供たちが怖いながらも興味津々になる遊びといえば確かに“あれ”でした。
二階の真ん中に集まってお姉さんが今年のスタイルを説明し始めました。
姉は用意していたものを出しました。
古めかしい鏡です。
「これはね、レプリカで昔からこの家に家宝の一つとして保管してあった鏡を、知り合いの人に頼んで似せて作ってもらったもの。よくわからないんだけど江戸時代の最初のころにはあったらしいんだよね」
それは手鏡を大きくしたもので私たちが知っている鏡とは全く異なったつくりのものでした。
表面の金属を限りなく研磨して物が写るようにしているのですが、少し重いのと、ところどころ屈折して写るのが不思議な感じでした。
子供たち6人はその鏡を手にとってかざしたり覗き込んだりしていました。
弟さんはちょっとしらけ気味な態度で傍観していましたが、「でなんとす?それを」
とお姉さんに尋ねました。
「今年はね、廊下を2周して最後に、トイレの入り口にある鏡に向かって合わせ鏡をしながらこういうのさ」
私は2周という言葉にドキッとしました。
実は“あれ”とは肝試しなのです。
まだ幼かったころは一人で家の中を散策するなんて全く出来なかったし、しかもいくら大人が大広間にいるとはいえ廊下側の雨戸を閉めて部屋側の襖やら障子やらを閉めてしまえば本当に真っ暗です。
日本家屋の独特の木のきしむ音や戸のカタカタ言う音が余計に怖さを演出していたので、途中で泣き出したくらいでした。
もう中3だったから多少のことは我慢できたのだけれど、2周でしかも鏡という意味深な試練をだされて私はとても怖く感じました。
今では弟が丁度私が泣き出しそうになっていた頃の年齢なので一人で行くにはかなり勇気がいると感じました。
チラッと横にみると弟は全く動じずに話をきいていました。
対称的に双子の兄弟は二人でくっつきながら話を聞く始末です。
「いいかい?鏡をあわせたら、『御身玉、御身玉、この家に宿りし魂よ、我は阻まん。この鏡より開放せしむ、時の渦にてあらわんことを』っていうのを口にだして言うんだよ」
みな何のことかわかっていません。
お姉さんは復唱させました。
そして「一言でも間違えたら意味ないし、大変な災いがくるかもしれないんだからね」と脅し文句までつけたしたのです。
そばで聞いていた弟さんも苦笑いしながら「そな、余興どこさ、おぼえただ?」とちゃかしていました。
「いいからお前も言うんだよ。ここにいる6人のうち誰かの力でもしかしたら今までにない現象が現れるかもしれないんだから」
下の子供たちはびくついています。
お姉さんは小学生の3人をくじ引きで二人と一人にする提案をだしました。
「お前たちにはちょっとコクだからさ」
くじを引く三人。
私の弟は二人組みにはならずにひとりで行くことになったのです。
お姉さんは制限時間をつけました10分以内に戻ってくること。
そして何かあったら大声を上げて戻ってくること。
絶対に大人の力を借りない。
この三つを約束させました。
現象という響きもまた私を余計に怖がらせました。
その昔、この家に泊まったときのことです。
家族が二階で寝ていました。
私はトイレに行きたくなってお母さんを起こしたのですが、お酒も入っていたし畑仕事も手伝っていたので疲れたといって全く起きてくれる気配がありませんでした。
お父さんも高いびきで全く動きません。
というよりすごい汗をかいていてお父さんをあまりよく思わなかったころの私は触るのも嫌でした。
弟は全然小さかったので頼りになど当然なりません。
漏れそうだったので意を決し、下におりることにしたのです。
薄暗い階段に先も見えない真っ暗な一階。
階段を下りると、廊下を伝って玄関側にあるはずのスイッチをまさぐりながら探しました。
風が強く吹き、雨戸ががたがた言うのが聞こえました。
電気がついたので後ろを振り向くと、人影のようなものが動いたように見えました。
まぶたが目の中に食い込むくらい大きく見開いてしまいました。
同時に心臓の鼓動が早まってきたのです。
蛍光灯が煌々と照らしてくれているのにすごく怖かった。
前に進めない。
すると、大広間の隣にある、台所の向かいの襖が開いたのです。
なきそうな顔になっていた自分は、足が震えだしました。
あけられたそこから、頭を出してきたのはおばあちゃんでした。
「あんりぃ、どしただぁ、そんだだどこ、つったでぇ。まんずぅ、おっかねぇもんみただぁ顔さつくりおって。どこさぉいぐ?」
べそをかきながら「トイレ、いきたい・・・」というとおばあちゃんは「まんず、こっちゃけって」と手を引いて連れて行ってくれたのです。
トイレが済むまでそこにいてほしいといいました。
それでも怖くて「おばあちゃんいる?」と何度も何度も問いかけました。
「おらぁいっぞう」
「おばあちゃんいる?」
「でぇじょうぶ、だかんらさぁ、あんしんしてけろ」
「おばあちゃんいる?」
「なぁにさぁ、何度もいわんがってぇ」
「おばあちゃんいる?」
何度か聞いていたときとうとう返事がなくなってしまいました。
「おばあちゃん?おばあちゃん?いるんでしょう?ねぇ返事してよ。こわいよ」
トイレを済ましてもそこから出て行く勇気がなかったのです。
「おばあちゃん!おばあちゃん!」
ただ静まりかえるばかりです。
恐怖のあまりまた泣き出してしまいました。
でも私はそのままトイレの中で夜を明かしてしまっていたのです。
気がついたときはドライバーを片手に扉の向こうに立っていた父の顔を見上げていました。
「どうしたんだ?一晩中トイレにいたのか?」
その問いかけにうんとうなずき、昨日のことを説明しようとしました。
すると後ろからおばあちゃんがあらわれてこういったのです。
「あんりぃ、なにが、ゆんべまだあとでぇ、トイレさ、おりでぇきただがや?」
私はきょとんとしてしまいました。
「おばあちゃんだって、昨日何度も何度もいるのってきいたら、途中から返事しなくなっっちゃたじゃん!」
「ほんじねごどいうな。声さぁ聞えねぇで、待ってだども、ながなが出て来ねがらなぁって、扉さとんとんたたいてぇ。あっれおがしなぁ、いづのまに、でたんかいなぁって、後ろさ向ぐど、一人で階段さあがっていっただねぇげ?だまげたども、声さかげでもぉ返事ねぇだし、ねぼけとるべしゃ、しがだねぇべってぇ」
「うそだよ、うそだよ。返事してくれなかったから怖くて怖くて出れなくなって・・・」
急に涙があふれてきてしまいました。
確かに自分はトイレいたし、おばあちゃんもそこにいてくれたし。
この家に泊まるたびにそうした不思議で怖い現象を体験せざるを得なかったのです。
そしてとうとう本命の肝試しがやってきてしまいまいました。
離れは、二階建てです。
都心でも見られるようなモダンな感じも一見します。
外壁は茶色い木で覆われ、ところどころに黄土色の土壁が塗られてもいます。
急な角度の屋根瓦は母屋とは全く違う印象を当ててくれています。
もみじをかたどった窓ガラスの模様がレトロさをかもし出しています。
みんなはこのおばあちゃんの家に来るたびにこの離れを訪れて感心していました。
雰囲気と居心地の良さについ長居をしてしまいがちになるのです。
でも、しばらくすると、誘われたかのように母屋へいざなわれ、それからはあまり来なくなるのです。
もちろんうちの家族も、あっ、私だけは違うのだけれど、決まって挨拶をしてからそそくさと母屋へいくのです。
たぶん大人の事情で、兄夫婦に気を使っていたり、いまや家長ともいえる二人のおばあちゃんを立てていたりということだと子供ながらに理解していました。
「こんにちは」
玄関を開けると大声で挨拶をしました。
すぐに「はぁい」という声と、ドタドタする足音が二階から聞こえてきます。
足先まですらっとした、素足が階段を下りてきます。
今年高校を卒業して専門学校に進んだ従兄弟お姉さんです。
今風の太くカーブをきっちり作った眉がポニーテールをして広がった額の上にくっきりと見えるのが印象的でした。
(いつもと同じできれいだなぁ)
私の憧れでもあるこのお姉さんは、実は少し意地悪なところがあるのです。
それは、夜になると決まって怖い話をして、ちょっとしたことで脅かすのです。
この前のお正月もそうでした。
この離れの姉の部屋に連れられて女同士の話をしていたのですが、裏山にある先祖の墓地から夜な夜なスコップをもっていって何か作業をしている人が居るというのです。
今日こそはと懐中電灯を持って後をつけてみたとお姉さんは言っていました。
母屋の裏側になだらかに延びる雑木林の坂。
舗装こそされては居ませんが地面には土だけが露出していて端っこだけに草木があるばかり。
足音は消せても、山の歩きは息が切れる。
だから余計に息を殺し、スコップを持って歩く人を見つけると立ち止まってばれないように進んだそうです。
お墓までは歩いて十分程度。
ただ街灯や簡易照明すらないこんな山の中月明かりだけで進む人影が異常でしかない。
お姉さんはそう思って携帯電話を左手にいつでもSOSを告げられるように準備万端にしていました。
お墓のある場所に近づくと、人影は急になくなってしまったそうです。
跡形もなく消えてしまったその状況に、ホラー映画のごとくまさか後ろに立っているのではとあわてて振り返り、さらには何かが飛んできて体を突き刺すのではと怖くなりその場にしゃがみこんだりしていたそうです。
すると、墓のあるほうで今度はざっくりざっくりと地面を掘り起こす音がし始めました。
墓地は江戸時代ごろから居ついた先祖が眠っているというくらい古くそして立派なものでした。
祠の中にしまわれた板碑が墓の中心の奥に構えられていて、それを加護するがごとく墓石が何体も立てられています。
しかも墓は約500年近くから有るので形状も様々です。
この墓地にはおばあちゃんの先祖しか居ないのでそこだけがぽっかりのと森の空間を作っているばかりです。
それなのにその穴を掘り返すなどきっと墓泥棒に違いないとお姉さんは思ったのです。
昭和の後半に入ってから自治体の強い意向により土葬が禁じられたそうなので、墓の手間へ墓は石畳が続きます。
四方と板碑がある辺りだけは未だに固い赤土で覆われています。
それを知っているお姉さんはきっとその方だと当たりをつけて、腰をかがめながら近づいていったそうです。
徐々に大きくなるスコップの砂利をかきだす音。
ザックと土を刺し、ボサッと投げ捨てる。
その音のする方へ行くのですが懐中電灯を消してしまっているので足元がわかりません。
月明かりも墓のほうへ出ればよく照らされていましたがお姉さんの居るほうは広葉樹で覆われてしまっているので確認できなかったそうです。
ようやく音のするほうが見えてくる位置につくとお姉さんは驚愕したのです。
音はすれども、人影が見えません。
何かを掘っているだろうことはわかるのですがまるで目隠しをされているかのごとくそこは真っ暗になっているのです。
角度をつけてもう少しだけ近づいてみようとしたとき、枯れ枝に足を取られてつまずいてしまいました。
その拍子に大きな枝の折れる音と倒れこむ音が響いてしまいました。
同時に穴を掘る音が消えてしまいました。
仕方がないとばかりにお姉さんは懐中電灯をつけて立ち上がり墓のほうを照らしました。
震える手と大きく鼓動する心臓の音がお姉さんの気持ちをハイにさせていました。
「だっ、だっ、誰なの!そこで、何してるの!」
段々と近づく土壌の墓石。
とうとう明かりが照らされる。
そこにはなんと、スコップだけが突き刺さり穴など開いていなかったのです。
気味が悪くなったお姉さんは、月明かりが広がるその広間の中で懐中電灯を四方八方照らして見渡しました。
何もない。誰もいない。
怖くなって後ずさりをしながら来た道を走り出しました。振り返り誰かが追いかけては来ないかと思い途中幾度となく振り返りました。
戻ってくる際、板碑の祠の影からスーッと揺らめく首のない人影が一瞬みえたのをお姉さんは覚えていると教えてくれました。
お正月には合わない話だったし、ちっともおめでたくないので本当に怖かったです。
彼女の弟は今、高校2年生で部活に追われているそうです。
でも、体力がなくレギュラーになどは到底なれない。
見た目も色白のしかも、筋肉なんかないじゃんっていうほどしまりのない痩せ型。
お姉さんも自分の弟ながら、どうして彼がバスケをやっているのか不思議がっていました。
そして気になることを言ったのです。
別に重い病気とかではないんだけど、毎年誕生日を過ぎるころ元気がなくなるそうです。
それは私もここに遊びに来るたびに感じる彼の印象でした。
そしてお姉さんは同じように私にも、「あなたも毎年会うけど、その度に元気がなくなっているわね?」というのです。
そんなことは全く感じなかったし友達にすら言われたことがありませんでした。
階段を降りて「よっ!元気にしてた?東京からお疲れさん。大変だね、親の付き添いも」
そう気さくにまるで男の子のように挨拶するお姉さん。
きれいでしかも、物怖じしないところが私の無い部分。
それでいて勇気もあって頭も切れるから、自然あこがれちゃうんです。
だから、ひどいことや胸に刺さることを言われても嫌いにはならないで居られたのです。
「なんかさ、また元気なくなってない?“気”が抜けた炭酸みたいって言ったほうがいいかな」
「やなことでもあった?彼氏にひどいこといわれたとか?」
「彼氏・・・いないし・・・」
「そう?ふーん。結構遅いんだね。」
「あ、今日ね、弟が帰ってくるころさ、うちの親の兄弟の家族も来るらしいからさ、その従兄弟たちとさ、あっちであれやらない?」
“あれ”という表現に私はびくつきました。
私にとって、いや、この家に遊びに来る子供たちにとって特別な言葉なのです。
顔色を変える私にすこしニヤつき顔でいいました。
「あがんなよ。ほら」
お姉さんは離れのリビングに私を通してくれました。
母屋とは全く違う、フローリングでオール家電の現代のつくりです。
床の間がありました。
以前は活けた花がおいてあるだけでしたが、今は誰の趣味なのか、一本の刀が飾ってあるのです。
私はソファーに深く座りながら、和式のその床の間をじっと見ていました。
「ああ、あれ、気になる?ここ数ヶ月前かな?母屋のさ、倉庫部屋あるじゃん。そこでさ、おばあちゃんが大事にかかえてね。」
「何飲む?コーラでいい?」
そういいながら台所越しで話を続けてくれました。
「いつになってもばあちゃんがみえないって、大ばあがうちにあがりこんでお父さんに言うからさ、いつからいないのっていうと、昨日の昼からだってさ」
冷蔵庫の扉が閉まる音がした。
次いで飲み物を持ったお姉さんが近寄ってくる。
「ありえないでしょ?そんな前からいなくてもう夕方の6時だし。だからさ、家族総出で探したの」
コーラを差し出し一口の見ながら話を続けました。
「そしたらさ、廊下側にさ、なんかいやな空気って言うか“あれ”をしてるときに感じた気配みたいなの??それがあってさ、すぐ私あの部屋に向かったの」
誰もあの倉庫部屋を覗く人などいませんでした。
というより普段は鍵をかけているのです。万が一入ったとしても内側からは鍵がかかりません。
念のため父はすぐに勝手口の引き出しを開けて鍵を見ました。やはりそのままかぎはあります。
母も何度も廊下を通るたびにその扉の前で「おばあちゃん?」と声をかけノブを回しました。
意味のない行動でしたがそれほど気が動転していたわけです。
ただ一人私だけが、散々探したはずのその場所から嫌な気配を感じたというのです。
引き戸を開けて扉越しからその廊下の先をジーっと覗きました。
するといままでしまっていたはずの扉があいているんです。
お姉さんは、お墓の時と同じような感覚に駆られて自然と足を前に出してしまいました。
恐る恐る扉の前に立ち息を殺してノブに手をかけた時「ザック、ザック」というあのスコップをつく音が聞こえました。
全身の鳥肌と毛が逆立つほどの恐怖にさいなまれながらとうとう扉を開けたのです。
なんと中にその刀を大事そうに抱えて眠っているおばあちゃんがそこにいました。
お姉さんはすぐに大声を上げて皆を呼んだのです。
「ったくさ、気味が悪くてしかたなかったんだよね。でもさ、どうしてその刀を抱えてたのか、そもそもさ、なんでその部屋におばあちゃんが鍵もなくいたのかさ、わっけわからなくてさ」
家族で話し合った結果、居眠りではないかと推測した。
以前鍵をかけ忘れてしまったおばあちゃんは、ふとその部屋に入りに荷物整理をしていた。
その時に偶然先祖の大事な日本刀を見つけ、それを持って出ようとしたがくたびれてしまいそのまま眠ってしまったのではないかということだった。
よく寝るおばあちゃんだったし、物音もしない部屋ゆえに邪魔されずにずうっと寝られたというのが大方の見解だったそうです。
でも「扉は??鍵が・・・」と私が口をはさむと、お姉さんは得意の意地悪な口調でこういいました。
「きになる?やっぱり?だからさ、今日やるの。そうすればわかるかもしれないジャン」
高校を東京で過ごしたお姉さんは方言などすでになくしていた。
タクシーの運転手にしても最近は田舎に来ても田舎を感じないところが増えている。
コンビニやちょっと出かければ東京並みのスーパーなども出迎えてくれる。
そんな中で唯一この家は田舎にしかない不思議な何かを訴えかけてくれているようだ。
私はお姉さんのにやけ口を尻目に床の間を再び見つめなおした。
お姉さんはそしてこう付け足した。
「その刀は、お父さんもよくわからないっていってたんだけど、飾らなきゃいけないものらしいよ。この刀に秘められた先祖の権力とか権威とかそういうものを誇示するために飾るんじゃなく、毎日供養して許しを請うべきものだからっておばあちゃんが言ってたし」
本当に使われていた刀なんだと思うと私は少し怖くなってしまいました。
秋田県のとある山間の古民家。
「こんにちは」
「いまついたよ」
ここはおばあちゃんの家です。
私たち家族は夏休みに母がどうしてもおじいちゃんのお墓をお参りしたいというので行くことにしたのです。
父は仕事で予定が合わないので今回は最終日に迎えに行く名目で合流することにしていました。
私と弟と母の三人は先に出発だったのです。
秋田新幹線にのり在来線に乗り継ぎたどり着くこの場所。
途中は音楽を聴きながらうとうとしていたのでそんなに長くかかった記憶はなかったし退屈もしなかった。
たまにだけど、誰かが私のことを見ているような感じがあってきょろきょろしていたりしていたけどすぐにそんなばかばかしい気持ちなんか吹き飛んでしまっていた。
駅を降り立つと予約していたタクシーが待っていてくれていました。
あいにく今日はおばあちゃんの家で車を運転する人が夕方まで帰ってこないということで
交通費がかさむけどタクシーを手配していたんです。
「いやぁほんとに今年はあついね。」
標準語でお出迎えなのがちょっと残念だった。
けれど重たい荷物を一生懸命手伝って載せてくれた若目の運転手さんだから許してあげました。
無人の駅の改札を眺めていた私を母は「早く、出るわよ」とせかすので急ぎ車に乗り込みました。
駅から家までは1時間半の道のりです。
駅の周辺は山間部の村特有の大きな家が点在しています。
どれも立派ですが住んでいるのは老夫婦です。
畑仕事を済ませて休憩しているのでしょう、しょいかごを道端において手ぬぐいで顔をぬぐったり、タバコをふかしている人の前を通過していきました。
目と目が合うことはないのですが、珍しいタクシーの往来に首が自然とついていくのがわかりました。
民家も見えなくなり、逆に針葉樹が多くなる森で、カーブのきつい峠を2つも越えると眼下に小さな集落が見えてきます。
昼時だから家々から白い煙も立っているのがわかりました。
ドアのガラス越しから駅前とは違う様子の風景。
田んぼに多くの稲が穂をつけて、時にはトンボも飛んでいるのがはっきり見えました。
その時一瞬ですがウィンドウガラスの後ろに何かが覗いているような、そんな視線が見えた気がしました。
思わずはっとして、聞いていたイヤホーンを耳から引き抜き、後ろを振り向いてしましまいました。
でもそこにあったものは、旅疲れをしている弟の横顔でした。
「なぁんだ」気のせいとばかりに私はほっとして車窓を眺めました。
母が「どうしたの?」と聞いてきたので、「別に」と応えました。
「楽しそうじゃないわね?折角の夏休みあなたも受験生で息抜きと思えばいいじゃない?」
滞在日数が6日というのは少し長い気がしました。というよりも行くのに気が引けていたというほうがただしいのかもしれません。
弟はまだ小学生の中学年だから自然の中で発見したり探検したりとわくわくしているのですけど、私はもうすぐ高校生。
夏期講習の勉強もしなきゃならないし、部活の最後の参加も充実させたいし。
それは建前で、本音は友達の家で大好きなジャニーズのDVDを見まくれなくなるのが嫌だっただけなのです。
環境が異なることは刺激にも息抜きにもなるからそれはそれでいいのだけれど・・・
私にはどうしても好きになれないことがあったのです。
それは、今回体験したことでよりいっそう、そう思ってしまうことでした。
集落に入る道を一本外れて、少し奥に進みます。
左手には鐘楼が見えてくる。
斜めになったお寺の鐘が独特の色合から厳格さをかもし出しています。
高台にあたる坂道を進むこと数分。
奥まった場所にようやくおばあちゃんの家にたどり着きました。
おばあちゃんの家はその集落の中でも一際大きくて古い建物です。
何でも昔はもっと村の真ん中にあり、権威もあったとかでしたが、長い歴史の中少し奥まった場所へ立て替えたそうです。
理由はおばあちゃんもよくわからないといっていましたが、土砂災害などで村が流されたところご先祖様の考えでこの高台にと移されたとか。
その話をおばあちゃんは寂しそうな顔をしながら聞かせてくれたのを今でも覚えています。
大きな家は大家族を抱えるだけのキャパがあります。
それは、親戚の中でその兄弟に当たる3世帯が共同でも暮らせるようにと代々受け継いできた家だったそうで、建て替えてから後も常に大きさを守ってきたそうです。
丁度母親が生まれたときは3人兄弟で祖父母と祖父の弟に当たる家族が3人と、妹に当たる大おばの計9人の大家族がこの家に住んでいたそうです。
子供たちも大きくなると手狭になってきてしまう部屋は、離れを増築することで同居のわずらわしさも多少軽減し、ゆったりとすごしてきたそうです。
今はおばあちゃんと、母の兄の家族5人と、おばあちゃんの義理の妹の7人が住んでいます。
離れは古民家であっても少し今風の造り、丁度降り立った駅の周りに似た感じの家のようになっていて居心地が良いのですが、あいにくそこは兄の家族が住んでしまっています。
母屋のほうは、大おばとおばあちゃんが2人仲良く1階で暮らしていました。
私は何度かこの田舎に来たことはあったのですが、離れで従兄弟と過ごすのがとても楽しかった記憶があり、来るのが楽しくなっていたものでした。
小さかったので私だけ子供同士その離れで寝泊りしたこともあったくらい。
大きくなるにつれて離れは兄夫婦専用になり私は行っても母屋で寝ることにさせられました。
でも…どうしても、何度泊まっても、母屋が好きにはなれませんでした。
古びた感じの外観はアニメや映画とかでよく見るので違和感もなかったし、なんか興味深い感じがしました。
「おばあちゃんきたよ」って声をかけたら開け放たれた縁側の風鈴の音とともに、
「いぐきたなぁ、しばらぐ見ねぁうぢに、おがったなー」
という挨拶が顔をだす。
その言葉の隣からは「んん??どこのわらしさ、遊びにきただ?」がかぶってくる。
足腰の悪い二人がすりすりと、おかしなにじり歩きでよって来るのです。
そこまでは極ありふれた田舎のひとコマです。
玄関から母はタクシーの運転手さんが抱える荷物とともに入っていきました。
私と弟は大好きなおばあちゃんとちょっと痴呆気味な義妹さんの元へ駆け寄ってニコニコしていました。
私は笑顔を作ったまま、なるべく部屋の中を覗かないようにしていました。
なぜって?
その縁側から除く家の中、とても暗いのです。
昼間なのに電気をつけなければならないくらい暗いのです。
母も家の電気代だけは東京と変わらないといっていたほどです。
家の裏はなだらかな坂が続く丘になっていて広葉樹が多くそこから多少こぼれ日が差し込みます。
一階はだから下草も多少残るほどの土山が壁になっているから、そうした日の光をさえぎる地形で暗いのは仕方がないのだけれど・・・
朝の光が縁側を包み込む時が何故だか一番この家の中に居てほっとする瞬間でした。
家の中の配置。
主だった家のつくりは一階に10部屋あり二階に5部屋あります。
一階の外周にぐるりと一周する長い廊下があります。
スタートはおばあちゃんに挨拶した北側に位置する縁側あたりです。
そこから右に折れ一気に南側まで延びて行きます。
そのどん詰まりにトイレとお風呂があるのです。
見た感じかなり“じめ”ってしていて薄気味悪い印象です。
壁をはさんで内側に台所があります。
トイレは最近洋式に変わったそうで、それでも男子用トイレが分かれて置いてあるのです。
おばあちゃんにもう使わないのだからトイレのリフォームのとき、取り除いてしまって広くバリアフリーにすればと母もアドバイスしたそうです。
でもおばあちゃんたちは、かたくなに昔からあった物だからと拒んでいました。
そればかりでは有りません。
女性しか居ないにもかかわらず男性用の箸だの靴べらなど生活用品が置かれているのです。
埃がかぶっているわけでもなく、どことなく使っているのかと思われるような感じすらありしました。
一階の内側には10部屋がありますが、一番中央の部屋がこの家の中で最も大きく12畳の広さです。
ふすまを取り払えば西側と東側に続く隣部屋、4畳と6畳がさらにつながり、縦に長い22畳もの大広間にな早代わりです。
年に数回くらいはこの大広間で宴会をするそうですが最近ではそれも段々減ってきてしまったそうです。
確実なのはお正月だけのようです。
北の縁側から、すぐ手前の部屋、大広間につながるそれらの部屋は計4部屋あります。
そこは人がもっとも通りやすい部屋ですし、生活の導線のためにも客間としてよく使われていました。
一番明るい部屋とみんなは呼んでいました。
それでも西側の角の部屋は6畳で隅を土壁でさえぎっているため落ち着きもあり、寝泊りさせるには都合のいい部屋となっていました。
宴会で疲れた人はよくここで横になっていたのを覚えています。
まだ私はこの部屋にとまったことがないのですが、親戚のお姉さんとお兄さんが言うには、ちょっと怖い経験をしたことがあるといって脅かしていました。
母屋の暗さと、この意味深な部屋のせいで好きではないと思ってしまったのかもしれません。
南側の残り3部屋あるうち、水周りの整った台所に一番近い南東の部屋をおばあちゃん、その隣を大おばが使っていました。
南西の一番角の部屋は物置として利用していると言っていました。
そして、その部屋に入ることの出来るのは廊下側からで隣の義妹さんの部屋からも行くことは出来ませんでした。
また他の部屋は全て引き戸、障子やふすまであったのに、この部屋だけは開閉式の扉だったのです。
おかしいとは思いましたけど、物置で大事なものを入れるのはそうした部屋でなければならないということを考えれば納得も出来ました。
ただ、時々変な気配を感じることもありました。
最初はおばあちゃんが片づけをしているのか、お母さんが荷物を整理しているのかくらいに思っていました。
今回体験するまでは・・・
私たち親子は泊まるときはいつも二階です。
見晴らしがいいのと、いい風が山から下りてくるのでクーラーより、扇風機ですごせるほどの居心地のよさ。
なんといっても4部屋が全てつながっていて下同様さえぎる敷居を全て取り除けば、大部屋になるのがとても気持ちよかった。
下の大広間も良いけどいろんな親類が来たりして結局子供たち同士では遊べなし。
でも二階なら母や父が下で盛り上がってるとき、みんなでいろんなことをして遊んべました。
多少どたどたやっても頑丈なつくりで気にならないものでしたから。
残りの部屋は母がよくこもって勉強していたという部屋でちょっとした秘密基地のようでした。
今では衣裳部屋のように扱われています。
私たちが泊まるときは、私たちの荷物置き場みたいなものです。
二人の老姉妹からの手厚い歓迎を受けて、私は離れの従兄弟に挨拶をしに駆け出しました。