琴子の部屋を出た時から嫌な予感がしていた。


オレが階段を降りる音を聞いて、オフクロがこそこそと何か言っているのが聞こえる。
案の定、ガウン姿のままのオレを頭からつま先まで一瞥したオフクロは、意味ありげに

にやりと笑ってキッチンへ消えた。


「おはよう」
先に朝食を食べていたオヤジと裕樹に声をかける。


「おお、直樹。おはよう」
オヤジは、なんとなく視線を外している。


「お、お兄ちゃん、おはよう・・・よく眠れた?」
裕樹は、顔を赤くして言葉に詰まっている。


―なんだよ!二人とも・・・


「はい、お兄ちゃん!コーヒーよ」
オフクロが差し出したコーヒーを受け取る。
一人ニヤニヤと何か言いたげだ。


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オレはそんなオフクロを無視して、目の前に積まれたサンドウィッチに手を伸ばした。
いつものように、英字新聞を広げながらコーヒーカップを口に運ぶと、ふと視線を感じて

顔を上げた。オヤジと裕樹が慌てて横を向き、オフクロだけが相変わらずニヤニヤした

ままオレをじっと見ていた。


「なんだよ、みんな揃って!!・・・何かいいたいことがあるんなら、はっきり言えよ」


「いや、別になんでもないよ・・・」
オヤジは口ごもって俯く。
裕樹は、あわてて持っていたサンドウィッチを口に詰め込んでむせている。


しかし、正面に座っているオフクロは違った・・・
「じゃあ聞くわ。お兄ちゃん?こ・と・こちゃんは?」


―”こ・と・こちゃん”って、なんだよまったく!


「まだ寝てるよ」
オレは素っ気なく答える。


「朝まで琴子ちゃんの部屋にいたんでしょ?」
冷かすようにオフクロが聞く。


「ああ、そうだよ」


「そう・・・そうなの・・・」
オフクロは、何を想像しているのか、胸に手をあてて大きなため息までついている。
その姿を見て、オレはオフクロとは違った意味でため息をついた。


正直に言って、オフクロの妄想に付き合っている暇などオレにはなかった。
オレが沙穂子さんを置き去りにしたことは、もう大泉会長の耳にも入っているだろう。

そして、それが何を意味するかも・・・
そうなれば、当然資金援助の話も消えるに違いない。
オレは、これからのことを考えてもうひとつため息をついた。
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「直樹、ちょっといいか?」
食事を終えたオヤジが、オレをリビングのソファに誘う。
オレはコーヒーカップを片手に、オヤジに従った。


「会社のこと?」
オレはソファに腰を下ろしながら、オヤジの目を見て単刀直入に聞いた。


「そうだよ・・・おそらく大泉グループからの資金援助の話はなくなるだろうと思ってな。」
オヤジの険しい表情に、責任の重さをあらためて感じた。


「オレの勝手で、また会社を危険にさらしてしまって悪いと思ってる。でも必ず・・・」
オレは、自分なりの決意をオヤジに話そうとした・・・しかし、その言葉をオヤジが遮った。


「違うよ、直樹。」
オヤジは、オレの顔を見るととても穏やかな表情で話し始めた。

「前にも言っただろう?お前の幸せを犠牲にしてまで会社を守る必要はないんだ。琴子ち

ゃんを選んだこと、本当に良かったと思っているよ。お前の思うようにやりなさい・・・私が

言いたいのはそれだけだ」
オヤジの言葉が胸にしみこんだ・・・背負っているものの重さは変わらなくても、自分の中

に力が湧き上がってくるようなそんな気がしていた。


「ありがとう・・・絶対に会社は潰さないよ。必ずオレがなんとかするから・・・」
オレは決意を込めてオヤジに言った。
もちろん具体的な考えがあるわけではない、オヤジに言った言葉はそのまま自分を奮い

立たせるための言葉でもあった。


「とにかく、オヤジは何も心配しないで体を直すことだけ考えてくれよ」
オレはオヤジの肩を軽く叩いて立ち上がった。


「ああそうさせてもらうよ・・・ありがとう」
オヤジがオレを見上げて言った。

すると、そんなオレ達のやりとりを、ダイニングから見ていたオフクロがたまりかねたように

オレをつかまえた。
「そうよ、お兄ちゃん。琴子ちゃんのためにもがんばってね・・・ママは、おばあちゃんになる

覚悟もできてるから」


―はあ??


満面の笑みをたたえて、オフクロがオレを見上げている。
オヤジと裕樹は、唖然とした顔でオレを見ている。


「オフクロ!!なに言ってんだ?・・・想像を膨らますのもいいかげんにしろよ。そんなこ

とあるわけないだろ!」
オレは呆れて天井を仰ぐと、目の前のオフクロを押しのけるようにして階段を上がった。


「なんだーそうなの?・・・」
階下からがっかりしたオフクロの声が聞こえて来た。


―まったく、なに考えてんだ!人の気も知らないで。



オレは二階へあがると、一旦自分の部屋へ入ろうとしたが、思い直して琴子の部屋の前

に立った。
静かにドアを開けて中に入る・・・琴子は、さっきオレが出て行った時と同じ姿で眠っていた。
琴子の寝顔を見下ろしながら、昨夜の琴子のぬくもりが蘇る。オレは手を伸ばして、そっと

琴子の頬に触れると、その額に短いKissをした。


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「うーん・・・」
琴子が声を出して寝返りをうった。


―危ない、危ない・・・これでこいつが目を覚ましたらオフクロよりもやっかいだ。


オレは、少しあせって琴子からはなれると、音を立てないように気をつけながら琴子の部

屋を後にした。
ココロの中を、何か温かなものが満たしているのがわかった。


スーツに着替えて、階下に下りるとオフクロが見送りに出てきた。
「琴子ちゃん、起きないわね・・・」
オフクロが、階段を見上げながらつぶやく。


「あいつが起きたらまたうるさいからいいよ」
オレは靴を履きながら答える。


「だって、お兄ちゃんとやっと結ばれたのに・・・」
まだオフクロのつぶやきは続く。


―”結ばれた”って・・・まだそんなこと言ってるのかよ。


オレは、うっとりとした顔のオフクロをひと睨みすると、カバンを持って玄関のドアに手を

かけた。


「あっ、待ってお兄ちゃん!」
オフクロが、オレを引き止めた。


「なんだよ、まだ冷かす気かよ!なにもないって言ってるだろ!」
オレが怒りながら振り返ると、「そうじゃないわよ」と言って、そこにはいつになく真剣なオフ

クロの顔があった。


「お兄ちゃん?・・・さっきパパも言ってたけど、お兄ちゃんの幸せが一番大切なのよ。だか

ら、たとえ何があっても誰もお兄ちゃんを責めたりしないわ。みんな本当にお兄ちゃんと琴

子ちゃんのこと喜んでいるのよ・・・それだけはわかってね」
オフクロは、背伸びをしてオレの頭を撫でると、「いってらっしゃい」と言って家の奥へ戻って

いった。



オレは玄関を出て、空を見上げた。
朝の陽の光が、オレの体を透って力を与えてくれているように思えた。
そして、オヤジとオフクロの言葉が、オレを支えてくれていた。

愛情なんて、くすぐったい言葉も信じられた。


もちろん、これからオレを待ち受けている強い逆風を思えば、身もすくむような気がするのは

確かだ。
でも、オレのココロの中で琴子が微笑んでいた・・・それは、どんなに強い風の中でも、そこだ

けは風も止み、温かな光が降り注ぐ・・・そんな陽だまりのような微笑み。


今のオレには、そんな琴子がいるから、きっとひるまずに進める。


―あいつにそんな力があるなんて知らなかったよ。


オレは、照れ隠しにそんな言葉をココロの中でつぶやく。
そして、まだカーテンの閉まっている琴子の部屋の窓を、ほんの一瞬見上げてから車に乗り

込んだ。

 

                                                 END





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