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「あ、あの・・・入江君?」
出社しようと、玄関で靴を履いているオレに、琴子が声をかけてきた。
オレは、返事の代わりに琴子に顔を向けた。
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「き、昨日は、あ、ありがと・・・」
琴子は、オレの目を見ず、俯いたまま言った。

長いスカートの裾から覗いた琴子の左足には、白いガーゼが当てられていた。


「痛むか?」
オレは、何か言わなければいけないような気がして、なんとか言葉を絞り出した。


「う、ううん。大丈夫!」
琴子は、照れくさそうな顔で答えた。


「今度からは、後ろにももう少し気を使えよ・・・振り向きざまにカップ麺落とすなん

て信じられないぜ」
オレは、自分がそっと琴子に近づいたことなどおくびにも出さずに、いつもの調子

で嫌味を言った。


「う、うん。そうだね、気をつけるよ。出かけるところ邪魔してごめんね・・・じゃ、いっ

てらっしゃい・・・」
琴子は、哀しげな笑顔をオレに向け、無理やりにきびすを返して家の中へ消えて

行った。


―えっ?


オレは、いつもと違う琴子の反応に、少し呆気にとられてその背中を見送っていた。
いつもの琴子なら、オレの言ったことにすぐに食ってかかって来るのに・・・


オレは、なんとなく釈然としない気持ちで、会社へと向かった。
仕事をしていても、ひとりになると、今朝の琴子の哀しげな笑顔が時折オレの目の

前をちらつき、昨夜の出来事が、何度も蘇ってきた。


昨夜、風呂を出たオレが、何か飲もうとキッチンへ行くと、琴子が鼻歌まじりにカップ

麺が出来上がるのを待っていた。その後姿を見つけたとたん、オレはほっと安堵す

ると同時に、無性に腹が立ってきた。
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―あの時、オレは、いったい何に腹をたてていたんだろう?


琴子の帰りが遅かったことにだろうか?
思ったよりも、琴子が楽しげにしていたからだろうか?
それとも、琴子のことを考えて一日悶々と過ごした自分にだろうか?

いずれにしても、オレは一矢報いてやろうと、足音を忍ばせて琴子の背後に立った。


―それが、あんなことになるなんて・・・


オレが真後ろから声をかけるのと、琴子が熱湯の入ったカップ麺を持ち上げるのが

同時だった。
オレの声に驚いた琴子が、カップ麺を自分の足の上に落とした・・・
熱がる琴子を咄嗟に抱き上げると、洗面所へ連れて行って足に水をかけ続けた。
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あの瞬間は、考えるより先に体が動いていた。


―そうさ、あれが琴子じゃなくても、オレは誰にだって同じ事をする・・・はずだ。


オレは持っていたペンをデスクに置くと、自分の両手を目の高さまで持ち上げて、

手のひらをじっと見つめた。


―じゃあ、この両手に残る感覚はなんだ?・・・


「どうして慌てたんだ」と冷やかし気味に聞いたオレに、ムキになっていいわけを

する琴子の言葉を信じたいと思った。
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琴子の足に水をかけながら、鏡に写るオレをずっと見つめている琴子の視線を感

じていた。
琴子が、まだオレを好きなんだということが感じられて、オレはなんだかほっとして

いた。


―ほっとしただって?


オレは、自分の考えに呆れて自嘲気味に笑った。


―あいつの気持ちを十分に知りながら、オレがしたことは何なんだ?



その瞬間だった・・・不意にデスクの電話が鳴りだした。
オレは、内線ボタンを押して電話に出た。
「もしもし?・・・」


「直樹さんですか?・・・大泉会長からお電話です」

交換の言葉に、心臓が一気に高鳴るのを感じた。


「わかりました」
オレは、気持ちを切り替えるために一度大きく深呼吸すると、点滅する外線ボタンを

押して受話器を耳にあてた。


「はい、直樹です」


「おお、直樹くんか?今度の契約のことでいくつか確認しておきたいことがあってな」

資金援助の契約について、会長直々に連絡をとることなどありえない・・・

結局、契約の話は建前で沙穂子さんとのことを聞くつもりで電話をしてきたのは、

あきらかだった。


思ったとおり、会長は話の最後に付け加えた・・・

「昨日の日曜日は、君も休みだったそうじゃないか・・・沙穂子が寂しそうにしておっ

たぞ。たまには君からも誘ってやってくれ・・・」


オレは、頭から冷水を浴びせかけられたような気持ちになった。
自分の置かれている立場を、いやが上にも思い出していた。


「これは、申し訳ありません・・・昨日は、弟を連れてもうすぐ退院する父の様子を見

に行っていたものですから・・・沙穂子さんには、これから連絡を入れます。ご心配

をおかけしました」
オレは、やっとそれだけの言葉を言うと、早々に電話を切った。


ひと息吐き出すと、額に汗をかいていた。
受話器から手を離すと、オレはもう一度両手を持ち上げて、その手をギュッと握り

しめた。


―オレは沙穂子さんを選んだんだ・・・もうこの腕に琴子を抱くことはない。


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オレは、拳に額を押し当てて、指の隙間をこぼれ落ちていく、琴子の残像を成すす

べもなく見つめていた。


それでも・・・
医者になりたいと言ったオレの目の前で、崩れるように倒れたオヤジの姿が・・・
会社が倒産の危機にあることを知って、不安を訴えた社員の言葉が・・・
オレの脳裏から消えることはない。


オレは、しばらく考えてから上着のポケットに手を入れ携帯電話を取り出すと、アドレ

スブックから「大泉沙穂子」を選んでボタンを押した。


ほどなく彼女の弾んだ声が受話器の向こうから聞こえてきた。


「沙穂子さんですか?直樹です。実は、明後日父が退院することが決まったんです。

それで、すぐにでもあなたを父に紹介したいので、よかったら父の退院祝いの席に

いらっしゃいませんか?」



もちろん・・・


彼女が、オレの誘いを断わるはずもなかった。


                                         END





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