オレは、琴子を待っていた・・・
―お前に言わなければならないことがあるんだ・・・だから早く来い。
オレの決心がほどけてしまう前に・・・
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オヤジの誕生祝をするからと、家に呼ばれた時から、なんとなく予感はあった。
ちょうど、学長に頼んで医学部への編入を決めたばかりということもあったし、その
ことを何も知らないオヤジへの罪の意識みたいなものもあったんだろう・・・
いつもオレに選ばせるような振りをしながら、答えをひとつしか用意していないオヤ
ジに、積もり積もった怒りが爆発した。
まるで真綿で締め付けるように、痛みも感じずにいつしかオヤジの思い通りにされ
てしまいそうな人生はごめんだった。
それでも、”家族の情”とか”長男の責任”なんて言葉が、オレの行く手を遮っていた。
結局オレは、医学部に編入すると決めても、どこかに迷いを残していた自分への
苛立ちを、オヤジやオフクロに叩きつけてしまったんだ。
本当は、もっと他にもやり方があったはずなのに、コントロールできなくなった感情
は、最悪な形でオヤジやオフクロの夢を壊してしまった・・・
ココロにもない言葉を吐きつづけながら、オレはこの迷いに決着をつけるときが来た
ことを悟っていた。
あんなにも自分の感情をぶちまけたことは無かった。
あんなに怒るオフクロも見たことが無かった。
激しい憤りと、後悔・・・
両極にある感情が、ココロの中で渦を巻いていた。
あの時、オフクロの平手が、オレの頬を打たなかったら、オレはもっと酷い言葉を
家を飛び出して、やみくもに歩きながら、打たれた頬よりも、大切な人たちを傷つけ
てしまった痛みでココロが悲鳴をあげていた。
行き場のない思いが、オレを家から遠くへ遠くへと駆り立てていた。
しかし、線路に架かる陸橋の中央でオレは先へ進めなくなった。
遠くから、微かに琴子がオレを呼ぶ声が聞こえたような気がした。
―琴子を傷つけた。
たぶん、オヤジの夢を砕いたことよりも、オフクロに生まれて初めて叩かれたこと
よりも、オレのココロは琴子を傷つけたことに打ちのめされていた。
<人を好きになったことがある?・・・愛が何かわかる?>
オフクロの言葉が、頭の中をかすめる・・・
―わからない。
オレには、まだわからない。
琴子に対して、他の女には感じない特別な思いがあることは確かだった。
ただ、それが好きという気持ちなのか、愛するという感情なのか、自分の将来につい
てさえ迷いの中にいたオレには考えている余裕なんてなかったんだ。
きっと今、琴子は泣いている。
そして、必死でオレを追いかけてくる。
不思議と、オレはそれを確信していた。
「入江君?・・・」
後ろから、琴子の声が聞こえた時、オレは琴子にわからないように安堵のため息を
ついた。
「自分の将来だもん、誰だって自分の仕事や・・・恋愛相手を決められたくない・・・」
琴子は、最後までオレの気持ちと行動を否定しなかった。それでも、”恋愛相手を”と
いう言葉を発するまでの、ほんの少しのためらいが、琴子がオレの言葉にとても傷つ
いていることを実感させた。
―どうして、お前ってそうなんだ?
オレはいつも琴子を傷つけてばかりいるのに、琴子はいつもオレのことを無条件に
受け入れてしまう。
そして、オレはいつもそんな琴子に、ココロが揺れるのを感じていた。
本当は、琴子に謝らなければならないのに・・・オレは謝り方を知らない。
琴子を傷つけたことを、どうやって詫びたらいいのかがわからなかった。
―だからお前にだけ教えるよ・・・オレの夢。
医者になりたいと言ったオレに、琴子は、嬉しそうな笑顔を見せた。
頬の痛みと一緒に、ココロの痛みも薄らいで行くような気がした。
でも、琴子は気づいているのだろうか・・・
この夢をオレに与えたのは、琴子自身なのだということを。
―お前が望んだオレの未来が、いつしかオレの夢になっていたということを・・・
END
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