今年で四回目になる神戸アコースティックフェスティバル。いくつかライブハウスに加え、おしゃれなカフェや旧小学校の講堂(現・北野工房)など、日常的に利用される施設でアーティストがパフォーマンスを行うサーキットイベント。移動の際の寄り道も楽しい、ジャストサイズで気の利いた街並みの、まさに神戸ならではのイベント。毎年この時期だけれども、今年は遅かった桜の残る街の中で行われた。今年一番の陽気、デニムのシャツの上にはなにも羽織らず、寒がりの自分が、腕まくりさえして家を出た。
時間を間違え少し遅れ気味の出発で、まずは 南壽あさ子が歌うスポルテリアに到着。案の定、すでに建物から人がはみ出して、通りで耳を傾けている人たちがいる。スポルテリアの普段はスポーツカフェバー。床面積もそれなりなので、ある程度名の知られている人なら既に一杯になってしまっているだろうというのは折り込み済み。でも、一度彼女の歌声を生で聞いてみたかった。
どこにも尖ったところの無い、優しいけど細くは無い歌声が通りの外まで流れてきた。ささくれだった胸の内をなめらかにして、腹まで落ちてくる。ここまで優しい歌声は、これまで聴いたことが無い。ラジオで曲は聴いていたものの、その癒やしの力は生で聴く方があらたか。三曲ほど聴いたが、最後にお目当てのフローラも聴けた。こんな声で歌う人はどんな人なのだろう、知りたい。次に行きたい会場もあったのだが、サインもしてもらえるCD販売の列に並ぶことにした。
多少ジリジリしながら15分ほど、彼女の前に立つと、折れそうなほど細く、大勢の前で歌うにしては、人を前にどこかぎこちない様子の女性が立っていた。はっとした。あの優しい声は、自分自身を傷つけないために極度に完成されたものなのかもしれない。遠くの誰かにも届くような声を出し続ければ、喉を枯らしたり、その人の体の内側だって傷つくだろう。もちろんプロの歌手なら負担をかけない発声を習得していくのだろうけど、ここまでか弱き人ならなおさら細心。だからこそ極めたやさしい声。そのやさしい声で、世界がやさしくあるようにと祈っている―。
二軒目はロックでギターなREIちゃんの予定だったが、開始時刻を大幅にオーバーして、もう入れないだろうなと思いつつ会場に向かう。案の定、人が表にまで溢れている。music live cafeなるSTUDIO KIKIは、防音もしっかりしていて、外まで音は流れてこない。あきらめて次の予定、あいみょんの待つVaritへ向かう。ライブの始まる15分ほど前に会場入りできた。しかし、最大で400人入るという触れ込みの会場は既に二階にも人が一杯で、ステージを観るのが難しいほどになっている。Varitが既に温まってた?春からアコフェスを主催しているKISSーFMに番組も持っているし、神戸での知名度は去年に比べてもぐっと上がったのかもしれない。
今回のフェスでは、強い言葉を聞きたいと思ってアーティストをピックアップしていた。あいみょん、アコフェスの出演者に目を通すまでは知らなかったけどヒグチアイ、それから金木和也あたりに目星をつけた。中でもあいみょんは最右翼。声にパンチがあるし、歌詞はちょっとどぎついくらいで時に敬遠したくなるほど。でも、何かそういうむきだしの強い言葉に対する渇きがあった。
生で聴けば、ダイレクトに体の奥まで響く強い声。でも刺したり脅したりする凶器では無かった。確かに怒気を孕んでいる。しかしその怒りの底には、哀しみが流れているようだ。見捨てられたもの、誤解されるもの、忘れ去られてゆくものの哀しみが、声と言葉の底にある。人一倍強い感受性、どうしようも無く掬い取ってしまう彼女は、崖っぷちにいながら上手く言葉を発することのできない人の代わりに、強い声で、強い体で代弁している。
さて、ヒグチアイが次の時間割、会場はレンタルスペースであるARTRIUM。今回一番小さな会場で、開始時間になったら一杯では入れなくなってるだろう…とVarit立ち去りかけたのだけれども、彼女のトークに少し引き留められてしまった。バリバリの大阪弁で、ラジオよりも一層こなれた感じは、人が前にいるほどに舌が回るのかもしれない。話を受ける相方、標準語のちょっとおたおたする感じが対照的で、会場はクスクス笑いが止まらない。楽しいねぇ。22歳のトークとも思えない、きっと学校やら家族やら、デビューする前からずっとこの調子でトークしてる10年選手。ちょっと名残惜しいけど…と、会場を出て我に返れば、次行かなくても良かったんじゃ無いかと少し後悔。都合の合うのがあれば、ワンマンとか、ライブに参加しようと決める。間違いなく楽しませてもらえる。
結局ARTRIUMに着いた時には、既に長蛇の列ができていて、少し並んで待っていたが、時間になっても会場には入れないとわかる。あれもこれもと欲張って中途半端なことをしてしまった。
その後、手頃なカフェに入って昼食を済ませてから、VARITへ。神戸のご当地アーティスト、ワタナベフラワー。人もそれほど多くないんじゃ無いか?笑わせてもらいながらビールでもゆっくり飲もうかと目論んだが、けっこうな人だかり。あいみょんよりは少ない?いやでも、賑やかだね。いつものトークで湧かせながら、いつもの歌を歌ってる。思ったよりは窮屈だけれども、ビールと定番をゆったりと味わう。やっぱこんなのもいい。
ビールを終えて会場を出ると、東急ハンズへ向かった。ここはチケットを持たない人でも観られるオープン会場で、主に神戸、KISS-FMにゆかりの深いアーティスト達が参加している。当初は、北野工房のSOFFetに行く予定だったのだけど、ワタナベフラワーを聴いていたら、岬ちゃんにも会いたくなってしまった。彼女はKISS-FMの看板DJ(サウンドクルー)の一人であり、なおかつアカシアオルケスタのヴォーカルである。リスナー(Kissner)からは岬ちゃんと呼ばれて親しまれている。ここ一年、聴く機会はぐっと減ってしまったのだけど、それまで職場のラジオで八年間聴き続けてきた馴染みの人である。トークも歌も安定感があって、お客さんとアーティストとの距離がとても近い。会場は親近感、一体感があってとてもいい雰囲気。あれ?声、前より滑らかになってない?残念ながら、天井が高く他のフロアとも繫がるオープンな会場で、少し遅れてやってくる反響もあるから声の芯が通らない。次回は、もう少し音の管理された会場で、きちっと聴きたい。オルケスタは他のメンバーの演奏も確かで、じっくり腰を据えても聴き応えがある。
その後、再びVARITに戻ってビッケブランカを覗いた後に、STUDIO KIKIに向かった。実は少し疲れたので、座れる場所に行きたかったというのがその理由。立ち仕事をしていた時は、一日中立っていてもなんてことはなかったが、一年以上のブランクでそういうわけにもいかなくなった。ビールが入って腰に疲れがたまっている。いいくぼさおり。アーティストの名前に馴染みはないし、曲も知らないし、恐らく座れると踏んだ。思った通りスタート15分前に、選べるほどに席は空いていた。それでもアーティスト登場時には、ガラガラということはなく、ほどよく席が埋まって少しほっとする。ピアノの弾き語りは、ショートカットの元気な感じ。張りのあるトーク、ノリのいい曲で、客に声を出させて湧かせてしまえとスタート。アウェイなのに頑張るなぁ。言われるがままに声を出しながらも、あいみょんからワタナベフラワー、岬ちゃんと関西をホームとする人たちを渡ってきた後だけに、少し空回りしている印象は否めない。その路線、今回他にも宇宙まおとかD.W.ニコルズとかの芸達者達が裏でやってるから、厳しいのでは…などと冷静に分析。しかし、二曲目三曲目と、何だか様子が違う。引きよせられて離れがたくなっていることに気づく。何だろうこれ?ピアノだ。ピアノがすごいんだ。何がすごいって、演奏は本当に上手いのだけど、にもかかわらずすごいでしょ!と主張しすぎないところがすごい。通る声で伸びがあって押し出しも効いているのだけれど、やっぱりそれだけで飛び出すことが無い。ぴったりと、楽器とひとつになって溶け合ってる。こんなピアノの弾き語りって、もしかしたらこれまで聴いたことが無いかもしれない。
辺りを見回せば、いつの間にか立ち見がぐるっと囲んでいる会場全体がそんな雰囲気。きっと同じように感じている。縛られているわけでは無い、これといったショックもフックもあるわけじゃ無いけど、動けない、離れられないでいるその感じ。心地い音の調和、いつか自分がそれと一つになっている。詞だってアイガクライネとかの狙い打ちもあるけど、全般にわりと自然で、ひとつひとつの言葉は止まらず、感じ入るということも無く流れていく。なのにでも、最後の曲では、涙がこらえきれなかった。映画ではしょっちゅう泣いてしまうけれども、音楽を聴いて泣くのはSuperBeaverの愛するを聴いて以来。前触れも無く突然やってくるから、ほんま困るよね、こういうの。そんな後ろ姿も、若い女性なら絵になるかもしれないが、おっさんだとみっともないだけ。
最後の曲が入ったCDを買ってサインしてもらう。三枚目風のジャケット写真と異なり、目の前で観たらとても素敵な美人さんだった。握手をする。目がこちらを追う。演奏と同じく、全身が止まるところ無くひとつになって流れていて、漲っている。それにしても、毎年アコフェスでは、こういう予期しない出会いがある。
そのままSTUDIO KIKIでリリィ、さよならを聴き、脚に力が戻った後はVaritに戻ってSpecial Favorite Musicに参加した。その後、金木和也に後ろ髪引かれつつも、ラストのSalleyに備えて早めにnomadikaに向かう。ここでいろんな人の曲を聴いていれば、名前は知られていなくても、とてもいい歌を歌う人たちがいることがわかる。じゃあメジャーデビューしてそれなりに売れている人は、どこが違うのだろうと気になったのだ。Salleyは、何年か前、メジャーデビュー曲の「赤い靴」がラジオや有線で流れていた。確かに一度聴くと耳から離れないメロディーや声があって、それが、実際ライブではどれほどの力で響くのだろうかってところを知りたくなったのだ。
nomadikaはイタリアンのお店。ちょとした結婚式もできそうなくらい、今回のフェスでは、北野工房、varitに次いで広い会場。でも、知名度のあるアーティストが入れば一杯になる。そう見込んで前のwacciの時にたどり着けば、人は外まで溢れかえっている。次のSalleyまで居座るつもりかなと思ったのだが、出番が終わると、大半は会場を出て行く。残ったのは会場の前半に100席ほど並べられた椅子に余裕で座れるくらいの人数だ。次まで30分ほどあるとはいうが、思ったより少ない。音合わせで、ギターの上口くんがまず顔を出す。あれ、彼って確か…。その後、ヴォーカルのうららが顔を見せる。あ、やっぱりそうだ。お昼にVaritの前の通りを渡っていた二人だ。その時は、男性はsalleyの片割れみたいだなと思っていたが、女性の方が小柄だったので、やっぱ違うかもと思い直していたのだった。
二人の写った写真は何枚か目にしていたが全身が映ったものは無く、ヴォーカルは、スラッと背の高いキレイめの女性を思い描いていた。実際は、小柄で愛嬌を感じさせるかわいらしい人である。いずれにせよ見栄えのする、華のある容姿であることは間違いない。
時間になった。会場は、意外にも後方に空きがある。トークは、標準語で思っていたより大人しめ。ゲスト出演していたラジオで、突っ込み厳しい大阪のお姉さんなイメージだったが、それも一年以上も前の話。東京中心で仕事をしているからなのか。もしかしたらずいぶんと直されたのかもわからない。当たり障り無く心地よいとは思うけど、ちょっと構えていたから肩すかし。歌が始まる。声にはやはり特徴があって、一度聴いたら耳に残る。沖縄民謡にも似た独特の節回し、喉の使い方の上手い、技巧の勝った人なのかという予想は良い意味で裏切られた。体の奥底から声を出し、指先や目線まで使って曲の世界を表現しようと努めている。地元関西のライブでは泣いてしまうことも多いというエピソードを聴いても、気持ちを込めて、魂のあるのがわかる。ギターはさすが、多分技巧は相当なものなのだろうけど間違えない。彼女にぴったり寄り添って、前に出ず控えめにリードしている。安定感のある堂々としたパフォーマンスだけれども、決して自信に満ち溢れているわけでも無いことは、トークを聞いていて感じてしまった。特に矢面に立ってるうららの方に弱気を感じる。いや、形をなしてそれが見えているわけでは無いから勘違いかもしれないけど、実はトークのうわずっている上口君が、裏ではしっかり支えている、なんていう逆転を想像してみたりする。
足を運んでみないと、わからないことがある。音を堪能するだけで無く、数々の思惑を上回ってくるサプライズに出会うのが、アコフェスの醍醐味。今日も無数の発見があった。
華のある人たち、特別な力を持った人たちが、それぞれのやり方で世界に働きかけている。それでも思うほどに響かなくて、迷子になることもありそうだ。悩みつつ自らが描く理想を追い求める中で、また新しい何かが生まれてくる。…そこからすぐに、世界は広い、そして美しい、と短絡的に飛躍する。辛くて苦しいことばかりといつもあきらめていた暗闇に灯りがともる。帰途に就く。寒くも暑くも無い春の夜。