ゆるされざるもの

須磨の海と空・365日

お知らせ


<テーマ>


1.ゆるされざるもの・・・日記のようなもの。定点撮影、須磨の海と空の写真。


2.映画・・・映画のレビューです。



 Webサイト:Shunji Takahashi Photo Gallery


テーマ:
参院選、自民の大勝。世間を冷静に眺めてみれば、この結果は予想できる。そしてこの結果を受ければ、この国はますます弱いものをいじめる方向へと舵を切っていくのだろうという暗い予測しかない。弱い者がさらに弱い者を攻撃するという、広がった格差が格差がもたらす必然的な継起は、しかし海に浮かぶ箱船的な潔癖主義の国家において、起点となった強者をも脅かす。ついに崖っぷちまで追い込まれた最後の人々は、海の向こうへと憎悪をたぎらせる。
 大企業や行政の傘下にいる人たちがアベノミクスの恩恵を受けて、自民に投票することは頷けるところであろう。彼らには、自らの生活が向上している実感がある。中小企業や非正規雇用の社員、年金生活者、あるいは沖縄や福島に住む人々がアベノミクスでわりを食っている現実を知りつつも、いや、そのような他者の苦しい現状を見ればこそ、強く意識するかは別としてそこには陥りたくない、それらを切り捨ててでも自らは浮かび上がりたいという人情も影を落とすだろう。余裕のなさの裏側で、正義は勘定から外される。しかし人口比からして、もちろん彼らが大多数というわけでは無い。この自民支持という投票行動は、わりを食っている人たちからの投票を考えなければ、究明できない。 一番の原因としてちまたで語られるのは「他の党よりはまし」という理由である。今では、民主党政権が散々だったという評価が定着している。確かにあの時期、民主党は失策と無残な内部分裂を露呈した。あのしくじりがあったからこそ、他の党には投票できないという機序は理解できる。しかし私は例の三年間を、彼らだけの責任にすることは到底できない。自民政権ではできなかったであろう政策も行われた。なにより事業仕分けによって官僚の厚顔、浅ましさなどが浮き彫りになった点が鮮烈だ。その官僚達は新しい政権を盛り立てようとしただろうか。彼らが、公僕として国のために身を切る覚悟をもって事に当たっていれば、加えてもし彼らが本当に「優秀」なのならば、必ずや違った展開があっただろう。いくらかはましな方向に進んでいたはずだ。しかしそうはならなかった。彼らの自己保身、元の政権に戻そうという意思が、国を犠牲にしたのではないかと怪しんでいる。いや、彼らのことをそれほど「優秀」な人たちなのだと、買いかぶりすぎているのかもしれないが。とにかく無能であるにせよ、手前勝手であるにせよ、そのような官僚と蜜月関係を結ぶ政党が、現在がっちりと政権を押さえているという現状である。 ただしこのことは、今回の自民支持、そこに繫がる日本の現況を解き明かす手がかりとして表面的なものに過ぎない。主柱となるのは、ここから分け入った内にある。
 中小企業にしろ、非正規社員にしろ、辿ってゆけば結局は大企業や官とのつながりがある。自らを追い詰めてくる相手を、しかし真正面から反抗すれば、刃は自らに返ってくる(しかし沖縄や福島の人々は自民を拒絶した)。上が不調に苦しめば、しわ寄せは必ずそれ以上の苛烈さを持って下に降りて来る。それは、増えた利益が上からしたたり落ちるよりも百倍確実である。 グローバルエコノミーの激しい競争の中で、現在は手加減なしの「合理的」な経営が許されている、どころか推奨すらされている。倫理や人情が人を守らなくなった以上は、法律がそれにブレーキをかけるよりほかないのだが、その法律は逆に、アクセルの役割を果たすようになっている。現状、景気回復の為、あるいは国を強くするために、大企業を守り、富裕層を優遇する、一方底辺では個々人の権利が奪われ、弱体化させるような政策が続けられている。個々人や少数からなる共同体は、そのようにどんどんと権利を失い裸になってゆくことで、ますます自らを圧迫する「お上」に頼らざるを得ない現況が出来(しゅったい)しているのである。しかしそのことは意識下に抑圧されている。そしてその不都合な真実を目を背けることで、ますます従順になっているのである。経済さえ持ち直せば、すべては変わる。そう信じて耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、日本国が席巻する日、バブルとまでとは言わずとも、それに近い繁栄・・・というかむしろあれは狂乱だが・・・の到来を望んでいる。 経済的な繁栄よりも優先すべきは、むしろ貧しくとも誇りを持って生きられる、人々がお互いを信じ、思い遣ることのできる穏やかな社会であろうと思われるが、それは現実には実現不可能なのだろうか。現状、金と誇りがほとんどイコールで結ばれていて、貧しくとも矜恃を保つというのは難しい。合法的に認められている範囲であれば、どんな風にコストダウンしても罪の意識すら感じることの無い非常さが勝ち組になる必須条件、それが現代のビジネスである。上層では、大きな金のために己を殺す人々がいる。しかしそれは底辺において、わずかな金の為に己を殺すことを強いることとも連動している。人々の気持ちは荒んだものになり、金さえあればという気持ちにもさせている。このことは一点、消費者として払う側に回ったときに尊大になる現象、クレーマーなどの増加ともつながりがあるだろう。 追い詰められている人々は、もちろん内なる攻撃性を高めている。ベクトルは上から下。大企業のますます厳しくなる業務が、中小企業への締め付けに、それが今度非正規社員の締め付けに。オアシスはただ、家族や友人同士のつながりや、職場いえば現場レベルのような小規模な形でのみ出現しうる。もちろんそこですらいつでも潤いを失って干上がってしまう可能性に晒されているわけだが、さらに深刻なのはオアシスを失って、常に砂漠にいる人々である。浮き草のようにさまよう乾ききった単独者。中でも最下層で追い詰められた内の一部が、テロのような事件を起こして憎しみを世に解き放つ。 もっとも日本は求心力のある宗教もなければ銃器の所持も認められていないので、アメリカのような大量虐殺に結びつくことはあまりない。また攻撃性は外よりも内側に向かい、自殺という形をとることのほうが多いだろう。
 しかしもちろん、上でも下でも、このように身内を攻撃することは、回り回って自らを滅ぼすことに無意識的にでも気づいている。必然攻撃性は、外へ向かう。韓国、中国へと。あるいは同族として認めなくとも差し障りが無いと思われる国内の少数者、在日朝鮮人などへの圧迫・差別といった形を取って。2000年代半ば以降、逆に彼の国らが政権主導でナショナリズムを煽り、反日を先導したことは、政権にとって利用価値のあるものだったのである。しかし民主政権は、それらに対して控えめの抗議、時には譲歩する姿勢を示すことで、下手を打った。抜け目なく手段を選ばない一党独裁の大陸に揺さぶりのきっかけを与え、劣等感を抱えた半島の嗜虐心にも火をつけた。しかしなによりもそれが、そのような行き場の無い怒りを内在させた国内の個々人にどういう影響を与えるのかということに無頓着であった。 中韓の反日運動に対抗するかのように燃え上がったヘイトは、それまで右翼と呼ばれる人たちに限られなかった。生活の抑圧状況において、一般の、一見良識ある人々が、実は内側に偏見に基づく激しい怒りや憎しみを内在させていることも少なくないのだろう。彼らはそれを実生活上で顕わにすることが今のところ「はしたなく」差し障りのあることと考えられているから、あるいは直接の反撃を恐れているから、普段は表に出さない。匿名で特定のされないネット上でのみ、憎しみを爆発させた。その人達は半ば嘲笑気味にネトウヨと呼ばれるようになった。
 もちろん、ネット限定の右翼を含んだ右翼全体であっても、まだまだ少数派であろう。しかしそれを超えて、嫌悪の裾野は広い。いわゆる一般の人たちにも行き渡っているのである。「どの国が嫌い」というような調査(このようなステレオタイプを前提とする「おおざっぱ」に「感情」を問う意見調査を行うということ自体、メディアが調査対象を低く見積もっている証左であろう)をメディアが行えば、中国・韓国について過半数が嫌いという結果が得られる現状である。ちなみに中国に関しては、政権主導の反日運動が一段落し、観光客の増加と「爆買い」により潤っている現実もあってか、警戒心は抱きつつもいくらか好感度は持ち直している感触がある。しかし韓国に対してはまだまだ苛烈である。ネットで検索してみると、ぞっとするような書き込みが見られる。他者に対するあのようなこき下ろしや中傷が、かえって自らの誇りを傷つけることに、彼らは気づいていない様子だ。誇りある人々達があのような発言はしないだろうことは、冷静に振り返ればわかることだろう。・・・いや、今は右左に関わりなく、名士と呼ばれる人達、あるいは知識人でさえ、理性というより感情に基づいたと思われるようなあざといこき下ろしを辞さない。誇りや品格といった言葉を使って彼らに襟を正すことを望むのは、難しいことなのかもしれない。  統計結果を見れば、いや、身近にいる素朴な人たちを見ていても、それらの国を嫌う人の数が、一時ずいぶんと増えたと身近に実感したことがある。竹島の問題からはじまり、韓国で行われているという反日教育の実態、外交の場における朴槿恵大統領の不躾な態度など、それらの報道に日々接すれば、嫌悪感が高まるのは当然と言える。それらの国に断固とした姿勢を示すことで安倍政権は、それ以前との政権との違いをも見せつけ、怒りと憎しみを内に秘めた国民の人気を得ることに成功したのである。

 格差を広げるような政治・経済的な構造が、排外主義へとつながる仕組みには、もっと目を向けて良いだろう。その機運を政治的に利用しようとする政権によって、海外への挑発行為が増え、それに呼応するかのように対抗運動が高まれば、ますます差別的な風潮は強まる。隣国の政権の挑発に対しては、もちろん断固とした姿勢を示し、あらゆる手を尽くすことが求められる。しかし彼らと同じようにすること、いかに国民の人気が得られようとも、こちらからの挑発は、止める手立ての無い螺旋的発展をもたらす。そのような差別主義を最も上手く利用したのがナチスである。ナチスは、国内におけるユダヤ人差別とシンクロしていたことが追い風となった。政策によってユダヤ人らを虐げることが、国内で圧倒的な支持を得ることに繫がった。しかし、その必然的な帰結として、600万人の虐殺という人類史上最大の犯罪を犯した上で、破滅の道を辿ることとなった。 日本とて、大戦中の政治は酷いものだったのである。もちろん朝鮮人に対する差別はあったにせよ、ドイツほど政治的に利用できる十分な数の差別対象はいなかった。しかしその代わりに日本では、国政に同調しない者達に対し「非国民」とする烙印を押し、差別・虐待する流れを助長した。結果、国民は一つにまとまった。そうして批評を失い、硬直的になった政策が、その後日本を壊滅的な敗戦へと導いた。このことは、今後同じことを起こさないために記憶にとどめる必要がある。
 しかしそれを自虐史観と決めつけ、当時の開戦は欧米列強の悪行に対抗するため、植民地化された東南アジアを解放するための仕方の無い行為だったのだと、当時の政権に肩入れするかのような修正を試みるような動きがある。 これは一部の過激な動きではなく、政治的にも、特定秘密保護法が施行されるなど、それを可能にしうる足場を備えつつある。実際歴史教科書など、今のところ歪曲と言えるほどでも無いが、それの下準備を整えるかのような細かい修正が加えられている。例えばそのことに対する批評的な文面が削られて、事実の列挙だけにとどめるような改訂である。欧米の目があれば、そう簡単に大規模な改訂には踏み切れないだろうが、過去の過失をなんとか切り離したいとする気配は濃厚である。しばらく前、イギリス政府が独立組織に調査を命じ、その委員会が湾岸戦争へと舵を切った前政権の非を裁断する調査結果を発表した。かの国でもやはりEU離れなど排外の気配はあるが、しかし一方でそれらと切り離されて別の立場からの判断が行われる。果たして今の日本で、我が身を振り返って、内側から非難や反省が行われるようなことが可能だろうか。 教科書の歴史修正といった官のレベルでは無く、民のレベルでも怪しげな気配がある。NHKが政府の御用メディアになりつつある状況は、キャスターの交代、番組の変遷などを眺めていると、どうやら当たらずとも遠からずといったところだ。国内大手メディアがこぞって批評精神を失えば、外国の新聞に目を通すことのできるような一部の人のみが客観的視点を保てるという状況になってしまう。もっと俗にわかりやすいのはTVメディアにおいて日本を賛美するバラエティー番組が乱発されている現状である。好評を博しているのは、反面、日本人が自身の自信を失っていることにも由来するのだろう。自尊心をくすぐって、確かに観ていれば良い気分にもなる。しかしもちろん、やりすぎれば恥ずかしい。飽きっぽい国民性だから、逆の方向に針が振れることも十分に考えられるわけだが、今の状況は少々異様である。個々人の心理状態として、もうこれ以上非難されることには耐えられないような状況にあって、それが、このような褒めちぎり番組を後押ししているのかもしれない。乾ききった大地に身をさらす日常の中で、批評を受け入れ、改めてゆくだけの余裕が無くなっている可能性については検討してみるべきであろう。 もともと同調圧力の強い国柄である。ぎりぎりと締め付けられ抑圧状態にある国民が、いったんお墨付きとなるような既成事実を得れば、雪崩を打って一つの方向へ向かうことは大いにあり得る。そのときには、誇り高き日本人を旗印に掲げつつ、実際には人間としての誇りを失った存在が誕生することになる。批評や反省を捨て去ってしまえば、そのように先の大戦と似たようなルートを進んだときに、歯止めが無くなることになる。
 ただ実際には、身近には雪解けの気配もいくらか感じられる。まず最初に起こったのは反動である。反日運動に敵対心を覚えつつも、ヘイトスピーチやあまりにも差別的な書き込みに生理的な嫌悪感を覚えて、そのような危険な団体から距離を置きたいという思いが広がった。危機感を覚えた一部は反ヘイト運動を行うことともなり、政治的にも、反ヘイト対策の法案が検討されることになった。それに加えて、ごく最近になるが、経済の一時的な持ち直しが、寛容な精神を取り戻すのに役に立っているようだ。もちろん一般的、一律に語られることの多い「景気回復」は、地方によって、あるいはその「身分」によってもだいぶ異なる(有効求人倍率は一倍を上回ったというけれども、地方別の「正社員」のみの有効求人倍率を調べてみれば、もっと本質的なことがわかるだろう)。またごく一部だけれども根本的な変化もある。海外の人が身近になったことから偏見から解放される例である。政治的にはともかく、個々人はまた別の話である。 身近で、普段から偏見が強く、差別感情も強く持っているだろうなと思われた人が、意外にも中国人を擁護するような発言を行ったことがあった。詳しく聞いていると、以前彼女には中国人の同僚がいた。日本人とは違う感性だが、逆にそれ故に頼もしく感じるところもあったようだ。来日する中国人の数が増え、個人と個人との交流が増えれば、偏見を和らげる方向に繫がるという例である。反日的な行為がなりを潜めれば、このような個々人の交流における雪解けは進むだろう。
 もちろん、その針がまた逆に振れることもある。差別的な言動を与えられ続ければ、被差別者が棘を出すのは当然の理。その棘に刺された者がさらに偏見を強めるという悪循環である。異なる国民性がプラスに働かず、マイナスに働くこともありうるだろう。 ただし一部でもっと恐ろしい懸念がある。ネットや小規模の集団の限られた空間の中で、差別が純粋培養されることについてである。偏見が当然のものとして流通する空間に属する者達は、世界の多くが自分たちと同調していると思い込む傾向がある。最近街中で「おまえ朝鮮人だろ!」と当然のように罵ったり、捨て台詞を吐く者を目にする機会が重なった。公衆の面前。今のところ、そのような発言をする人こそ卑劣漢で、彼らこそが嫌悪されることの方が一般的だが、もちろん彼らはそのことにまったく気づいていない。そのような発言が最も相手を侮蔑する言葉であり、周囲も同調してくれると信じきっているような態度である。このような勢力がじわじわと拡大を続ける要素は、今の日本には揃っている。 格差がもたらす抑圧の内に孤立する者にとっては、ネットの中で不満を他に帰する排外的なコミュニティーのみがオアシスとなる。そこでは「どうやら安倍首相も、自分たちと意を同じくしているようだ」との共通認識。そして「その政権を、多くの人々が支持しているじゃないか」・・・実際にはそれは消極的な支持であり、反面でその強権的な姿勢に怖さを覚えているという側面すらあるのだが、その都合の悪い部分は潜っている人の目には見えない。どっぷり浸かりきってしまえば、彼らにとって、それこそが世界なのである。
 砂漠をさまよう人たちがますます増え、彼らがそこにしかオアシスを見つけられないとすれば、いつしかそのオアシスは他の小さなオアシスを圧倒するほどに成長する可能性がある。


AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:
 昨日、AKBの総選挙があった。普段彼女たちに注目しているわけでは無いが、この日ばかりは気をそそられる。順位の行く末も気になるが、どんなスピーチがなされるのか、そこに関心の中心がある。同じような人は少なくないようで、AKBなんてほとんど興味の無い人が、翌日職場でスピーチ内容を話題として取り上げていたこともあった。
 今年は、気持ちの余裕もあまりなくて、あらかじめ観る予定にはしていなかったのだが、食事の時間と重なってチャンネルを合わせた。10位から見始めたが、印象に残ったのは二人。8位の島崎遥香が去年までとは違った雰囲気で、成長したのだなと思わされた。ぶつかる子ほど、多くを学ぶ。折れたり、退場させられたりしなければだが。7位の須田亜香里の深い内容には、今回一番心打たれた。幸せそうな笑顔がまぶたの裏に焼き付いた。

 彼女たちのスピーチももちろん印象深かったが、しかしそれが吹っ飛んでしまうほどの強いスピーチに出会った。テキサスの高校で、卒業生が行ったものだ。CNNのサイトに載った記事。彼の地では話題になっているようだが、日本のサイトでは、取り上げられているのを見かけなかったので、ここで紹介することにした。日本では、若い人がスピーチするのを目にする機会は、それこそAKB総選挙くらいしか無いが、アメリカではわりと日常的なことのようである。高校や大学の卒業式でも、選ばれた卒業生代表が数人壇上に立ち、それぞれスピーチを広げるという習慣があるようだ。しかし彼女のスピーチはその中でも、異例のものだったようだ。

記事はこちら。いつまであるかわからないのでお早めに。
http://edition.cnn.com/2016/06/10/us/texas-undocumented-valedictorian-trnd/

臨場感を味わいたい方はビデオでどうぞ。記事からもリンクがあるが、こちらだと彼女のスピーチだけが見られる。それと、コメントから賛否両論あることもわかる。
https://www.youtube.com/watch?v=WsC5fHwo7lQ

 彼女はスピーチで、自身がan undocumented immigrantであることを打ち明けた。英語を直訳すると、証明書類を持たない移民(彼女の場合メキシコからの)ということである。私の知識は拙い。スピーチだってちゃんとは聞き取れていないし、そもそもundocument immigrantとillegal immigrant(違法移民)がどう違うのか、それともどの程度に同じなのかよくわかっていない。しかし、それが公に認められた存在ではないことは確実だ。それを、堂々と同級生や来賓の前で、あるいはビデオを通して全米に宣言した。
 アメリカにはあからさまな差別がある。ドナルド・トランプが「メキシコとの国境に壁を作る」、しかも「メキシコに金を出させる」と選挙戦で突拍子も無いことを宣言し、しかしそんな発言をする彼が、共和党員の強力な支持を受け、大統領選における党の代表候補者となる国である。とりわけ保守の勢力の強いテキサスで、恐らくこれまでにも様々な差別を肌に受けてきただろう。公にするなら今しか無いと覚悟した、その切迫した感じは、映像からでも伝わってくる。
 もちろん全体的にすばらしい内容だったが、個人的には、学校が安息の場所(haven)になったという、その表現に打たれた。自分にも似たような経験がある。それが重なったのだ。インターネットが無くても、洗濯機が無くても(朝から晩まで働くシングルマザーの家庭で妹の面倒を看るなど、家では家事を相当手伝っていたようだ)自分自身のベッドを持って無くても(ベッドルームは家族三人で一つだったらしい。日本では珍しくないが)、学校では勉強することができた、図書館に感謝しているという彼女とはまた違う理由ではあるものの。私の場合、偏見に足を引っ張られること無く人々と自由に交流できたのが、35歳で入った大学だった。日本には、アメリカと同じようにはっきりわかる人種的(例えば朝鮮人に対する)差別もあるが、それとは違った、もっと目に見えにくい隠微な形の差別がある。大学で私は羽根をもらった。2年で170以上の単位を取った(編入学における認定分の50単位あまりを除いて)。だけでなく、深夜のアルバイトをしながら、拙いものだが写真で3回も個展を開いた。年齢的に色眼鏡で見られることも少なくなかったにせよ、それは比較的穏やかなもので、毎日のように新しい知人ができた(悲しいことに少なくない若い学生達が、その特権に気づかず享受せず、灰色の日常を送っていたようだが)。夢を見ているように素晴らしい期間だった。いや、それはもしかしたら彼女と同じ形なのかもしれない。ある種の記号によって分類され、偏見にさらされる者にとって、学校が安息の地となることは。そしてだからこそ、その場で他の者とは異なる羽ばたきをすることができる。もちろん彼女が卒業生代表[valedictorian]になったということは、トップクラスの成績を収めたことをも意味しているのである。
 このところ、先の見えない状況、いろいろと行き詰まっていた。しかし、子供のような年齢の彼女のスピーチに、勇気をもらった。
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

6:37 f8・1/2 60 0℃

0℃以下は、先月末の寒波以来。冬が最後に力を振り絞った。そんなに頑張らなくてもいいのに。光の春は、もう既に来ている。
太陽の上に柱が立った。今回400日あまりの撮影を通して、一番くっきり出た太陽柱かもしれない。
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:

6:40 f8 8 4℃

昨日と2℃しか違わないとは思えない寒さ。風がそれほどあるわけでも内。体調が悪いわけでもなさそうだ。それらとは違う寒さの素のようなものがあるのかもしれない。
いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。