カフカ『変身』ー思い出と雑感ー | crisの高校野球観戦記

カフカ『変身』ー思い出と雑感ー

「ある朝起きると私は毒虫になっていた」というショッキングな書き出しではじまるこの作品は私にとって忘れられないものです。私事で恐縮ですが、私は大学時代文学研究会に所属していました。部誌には主にエッセイや書評を書いていましたが、ある時この作品について書評を書いたところ先輩の一人から「こんな不親切な書評はない、お前はもっと文学を勉強し直せ」とこっぴどく叱られたのです。どういう事ですかと聞いてみると、私があらすじの紹介で主人公のクレーゴルが毒虫に「変身」したと書いたことが良くなかったらしいのです。その先輩によると主人公のクレーゴルは飢えと孤独で人間としては死んでしまい、その亡骸として毒虫としてのクレーゴルが存在しているというのです。そして「お前が字面だけを追って表面的に捉えてるからこんなおかしな書評になるんだぞ」と言われてしまいました。私はその言葉を多少いぶかしく思い、また憤慨もしましたが、取りあえずもう一度『変身』を読み直してみました。その時のショックは今でもとても言葉で言い表わすことができない程です。しがないセールスマンとして日々あくせくと働いていたクレーゴルは稼いだ給料も殆ど生活費に消え、孤独な毎日を送ったあげく人間として生きることができなくなり、見るもおぞましい毒虫の姿になってしまいます。毒虫に変わったクレーゴルはただの汚らしい虫として家族に嫌がられ、ついに「虫」として生きる権利も奪われて殺されるのです。最後の場面でクレーゴルが殺されたあと家族は何ごともなかったかのようにピクニックに出かけてしまった所を読んで私は恐ろしくなりました。人間の尊厳とはかくも簡単に踏みにじられるものなのか、と。それに、物語では家族のほのぼのとしたつながりはみじんもなく、ただ無感覚な日常が流れるように過ぎていくだけなのです。カフカはもしかすると核家族化や機械化が進み、人と人とのつながりや、人間の命の尊さが軽視され勝ちな現代社会の姿をその淡々とした筆勢で見据えていたのかも知れません。それはともかくとして私はこの作品を読んでからというもの作品の行間を読むことを心掛けるようにしました。私は今でも文学を勉強していますが、それができるのも『変身』を通じて文学の面白さを知ることができたおかげかなと思っています。