ベルヴェデーレ宮殿 世界の写真から Vol.10 | マーヴェリックの海外旅行写真集!ガイドブックでは知ることの出来ない裏テク情報満載!

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オーストリアの首都であるウィーンにあるバロック建築のベルヴェデーレ宮殿。バロック建築は、建物だけでなく、彫刻や絵画を含めた芸術を取り入れ空間が構成されるため、内部の複雑な作りが、他の建築様式とは際立った特徴となっています。

この建物は、1714年から1716年にかけて下宮、1720年から1723年に上宮が建設されました。バロック様式が誕生したのが1590年頃なので、ちょっと時代遅れですね・・・・

ちなみに、このベルヴェデーレ宮殿は、夏の離宮として建てられました。

オーストリアといえば、ハプスブルク家。ベルヴェデーレ宮殿は、ハプスブルク家に仕えていたプリンツ・オイゲンという人物が、当時の有名な建築家であるヨハンに建築を依頼し完成。

プリンツ・オイゲンは、もともとフランス貴族。当時フランスとオーストリアは、何度も戦争を繰り返していた宿敵。まさに犬猿の仲ですが、どうしてフランス貴族のプリンツ・オイゲンが、フランスを捨て宿敵オーストリアに渡ったのか?

それは、太陽王とも呼ばれるフランスのルイ14世の軍隊で、プリンツ・オイゲンは、まったくの役立たずだったため、彼はフランスを捨てオーストリアに渡ります。そこで、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世に仕えて、オーストリア軍の将校となりました。その後、プリンツ・オイゲンは、母国フランスとの戦いに生涯を費やします。

もし、ルイ14世がプリンツ・オイゲンを受け入れていたら・・・・・・
もし、プリンツ・オイゲンが、ハプスブルク家にも受け入れられなかったら・・・・・・


ベルヴェデーレ宮殿は、この世に誕生していなかったかもしれません。


母国フランスを捨て、宿敵オーストリアに渡り、生涯を出身国フランスとの戦争に費やしたプリンツ・オイゲン。彼の死後、この宮殿はハプスブルク家のマリア・テレジアに売却されました。


マリア・テレジアと言えば、あのマリー・アントワネットの母親。これ以上、フランスとの戦争をするのは避けたいマリア・テレジアは、娘のマリー・アントワネットを、フランスのルイ16世と文字通り政略結婚させる道を選びます。


この辺りの話は、ヴェルサイユのバラを見ると、メチャクチャ詳しくなります。マーヴェリックの一番好きな時代が、ブルボン王朝の栄華と滅亡、ルイ14世からルイ16世あたりのフランス革命の時代。ヴェルサイユ宮殿にハマり、外国から分厚い写真集も個人輸入しました。


この時代は、書き始めると止まらなくなるし、今回はベルヴェデーレ宮殿の記事なので、また別の機会に書きます♪


ちなみに


現在のベルヴェデーレ宮殿ですが、オーストリアで2番目に大きい絵画館として運営されているため、一般人でも中に入ることができます。


ここで展示されている超有名な作品といえば、やはりコレ♪


クリムトの接吻


ベルヴェデーレ宮殿の絵画館にやってきて、この絵を見なかったら、何しに来たのあなた?ってくらいに有名な絵です。


絵に興味のない人でも、知っているような絵画しか採用しないような、iPhoneケースの芸術シリーズにも、モナリザ、ひまわり等と並び採用されている絵画です。



↑これ♪


この絵画を描いたクリムトの作風は、見ての通り赤裸々で官能的なテーマ(裸体、妊婦など)が多い。彼の黄金期の時代の作品には、文字通り金箔が多様されているのが特徴です。


出身国フランスを捨て、宿敵オーストリアに渡り、生涯をフランスとの戦いに費やしたプリンツ・オイゲンの依頼で、夏の離宮として建てられたベルヴェデーレ宮殿。完成から300年ほど経過した現在は、絵画館として一般開放され、世界中から観光客がやってきます。


そして、お目当ては、おそらく皆同じ!クリムトが描いた接吻を見るため。


現在は、絵画館として運営されていますので、絵画鑑賞を目的に訪れるのも、もちろん楽しいですが、ベルヴェデーレ宮殿そのものにも目を向けると、何倍も楽しめること間違いなし!


ぜひ、プリンツ・オイゲンの事も覚えてベルヴェデーレ宮殿に足を運びましょう♪



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