古代カルタゴの中心だったビュルサの丘 | マーヴェリックの海外旅行写真集!ガイドブックでは知ることの出来ない裏テク情報満載!

クレジットカード日記

今日の朝食はこちら。これが、今回のチュニジア旅行最後の朝食です。


クレジットカード日記

ホテルのバルコニーから。今日も天気が良さそうです。思えば、今回の旅行中、一度も雨が降るどころか、雲ひとつない晴天続きで、結構日焼けしました。午後には日本へ帰国ですが、残りの観光を楽しみます。


クレジットカード日記

世界遺産のカルタゴ遺跡にやってきました。


クレジットカード日記

ローマが、まだ発展途上だった時代に、すでに大国として名の知られていたカルタゴ。2800年前には、町が建設されていたというから驚きです。海上貿易や農業で栄えたカルタゴですが、次第に勢力を広げるローマとの戦いは避けることができずに、第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争、第三次ポエニ戦争とローマとの戦いが続き、最後はカルタゴは負けてしまいます。


クレジットカード日記

その際、ローマの軍人のスキピオの指示により、カルタゴが再び復活することのないように、市民は虐殺、徹底的に町が破壊されました。当時貴重であった塩まで地面にまかれ、作物も出来ないようにされたほどです。


クレジットカード日記

誰も住まなくなったカルタゴも、その後、ローマの都市計画に沿った植民地として開発。カルタゴのビュルサの丘の遺跡には、ローマに滅ぼされたフェニキア人の町の上に、ローマの建物が建てられました。


クレジットカード日記

そのため、下層部にはカルタゴの遺跡、上層部にはローマの遺跡と、階層により遺跡の種類が異なるのが特徴。