湖北に行って来ました 。
片道2時間ちょい電車に乗ってました
駅前にある秀吉・三成出会いの像
長浜市石田町生まれの三成が、観音寺で修行をしていたある日のこと。
当時長浜城主だった秀吉が鷹狩りの途中に立寄ったところ、最初は大きい茶碗にぬるいお茶をなみなみと、次は前より少し熱くして半分ほどのお茶を、最後には小さな茶碗に熱くした少しのお茶を差しだしました。
この三成の心配りに感心した秀吉は、やがて三成を召抱えることとなりました。これが有名な「三献の茶」の逸話です。
当時長浜城主だった秀吉が鷹狩りの途中に立寄ったところ、最初は大きい茶碗にぬるいお茶をなみなみと、次は前より少し熱くして半分ほどのお茶を、最後には小さな茶碗に熱くした少しのお茶を差しだしました。
この三成の心配りに感心した秀吉は、やがて三成を召抱えることとなりました。これが有名な「三献の茶」の逸話です。
最初に目にしたのは加藤清正の像です。
加藤清正は豊臣秀吉の家臣で、賤ヶ岳七本槍の一人として知られる名将。
本殿 : 祭神は事代主大神・豊国大明神(豊臣秀吉)
徳川幕府の時代は恵比寿宮としていましたが秀吉の神霊を祭っていました。
出世稲荷神社
境内のひょうたん池のすぐそばに「虎石」と呼ばれる大きな石が、木々に囲まれるようにしてひっそりとある。
秀吉の忠臣であった加藤清正が寄進した庭石である。
それから庭石は夜毎に「いのう、いのう(帰ろう)」と泣き叫んだという。
そこですでに廃されていた長浜城内の敷地に戻し、時を経て、秀吉が祀られた豊国神社へと移された。
加藤清正は、秀吉と同郷の尾張出身で、幼名を夜叉丸(やしゃまる)、9歳の頃から秀吉に仕え、終生豊臣家に献身した武将である。
元服してから加藤虎之助清正を名乗った。
「虎石」は「虎之助」にちなんで名づけられたといわれている。
清正は「虎退治」の逸話も有名です。
秀吉の朝鮮征伐で出兵した清正は、現地で猛虎の群れと遭遇し、可愛がっていた部下の一人を食い殺されてしまった。
清正は敵を討つべく虎の群れを退治。さらに当時精力剤としても知られていた虎を、秀吉の土産にと日本に持ち帰った。とも伝わる。
御朱印