筆者多忙につき、しばらくお休みいたします。


今まで読んでくれた方、応援してくれた方、ありがとうございました。



いつかどこかで、また。 愛を込めて・・・

内田 静枝 長沢節 伝説のファッション・イラストレーター


私には絵心というものが全くない。

今まで生きてきて、上手く絵が描けた記憶なんてひとつもないのだ。

だから、さらさらと素敵な絵を描ける人はそれだけで尊敬する。


長沢節という人はファッションイラストレーションという分野での

日本における草分けの存在である。

大正六年会津若松に生まれ、池袋モンパルナスで戦時中を過ごし

水彩画家として将来を嘱望されていたにもかかわらず

戦争終結後、女性が和装から洋装へと大きく変化したとき

雑誌のファッションページでひっぱりだことなった。

その後はセツ・モードセミナ-という美術学校を作ったり

彼独特の美学をエッセイに綴ったり一風変わった映画評論をしたりと

一生を通じてその美学を磨き上げていった人である。


絵に詳しくない私がセツ先生のことを知ったのは

「大人の女が美しい」というエッセイだった。

25年も前の本だがその感覚は少しも古びてはおらず

むしろ私がそうなりたいと思っていてもなれない境地を

いともたやすく実践している人だった。


たとえば、部屋のインテリアについて。

セツ先生は、個室に鍵がついていて、大きなベッドが中央にあって

その横に剥き出しのトイレがあり、その反対にはキッチンがあれば

他には色も飾りも雰囲気も何もない方がいい、と言う。

隠す収納はいただけない、隠さなければならないのなら

最初から持っていない方がまし、という考え方。

実際、先生の住んでいた部屋は、写真で見ると

パリのアパルトマンかと思うくらいに格好良い。


セツ先生の描く人物は皆細くて筋張っている。

それも彼の美学のひとつで、セクシーということは

骨っぽさと中性的な要素が絶対不可欠だという。

「美」というものを毎日感じ、考えている人の

くるぶしがセクシー、という誉め言葉自体が

最高に色っぽいと思う。


先生がまだ生きてらしたら、私はきっと

どんな手を使ってでも一度は会いに行っていただろう。

生涯独身で(もちろんあえてそうしていたのだ)、

結婚しないから本当の愛と孤独がわかると言った人は

先に生きたお手本として、会ったこともないのだけれど

私のなかでは本当の「先生」なのである。 



Marvin Gaye Love Songs


さよなら という言葉は、なんて優しく響くのだろう。

もう二度と会えないかもしれない可能性を秘めた言葉に

こんなに優しい音を組み合わせた感性を

少し哀しく、でもその音に救われている私は

切ないとしか言えない気持ちで受け止める。


その人に触れることはもうないのかも知れない。

それでも、65億人が生きているこの世界で出会えたことは

私にとってとても幸運なことだった。


もしかしたら一週間後には

昨日と同じように笑顔を見つめられるのかもしれない。

それでも一度伝えられた覚悟は

もう二度と「昨日」の関係には戻さない。


一瞬一瞬の積み重ねを人生というのなら

さよなら の一瞬もきちんと受け止められる

もうそれ以上には ありがとうしか伝えられない

そんな濡れた心の状態もきちんと受け止めようと思う。




※春が別れの季節なのは知っていたけれど、秋もそうなことは知りませんでした。

もう二度と会えないかもしれないあの人へ。

きちんと別れが伝えられることは、とても幸運なことなのかもしれません。



Amy Holman Edelman The Little Black Dress


一着持っているとすごく便利なLittle Black Dress。

オフィスでもデートでも冠婚葬祭でもどこにだって着ていける。

もしかしたら今や女性の必須アイテムになっているのかもしれない。


そんな理由なのか、最近の結婚式では黒いドレスを見ることが多い。

若い女性は結婚式をより華やかにする使命も持っているのに

遠くから見たらカラスの群れのようにも見えてしまう。

ひとりひとりをじっくり見てみると、素材がすごく凝っていたり

高価そうなレースがあしらわれていたり、ラインがとても綺麗だったり

安物とは一線を画しているというのに、それが集まるとなぜか

安っぽく見えてしまうのはどうしてだろう。


友達の結婚式で、すごく目立っていた女の子がいた。

シンプルな黒のドレスに、長い髪を上のほうだけ逆毛を立てて

リーゼントっぽくして、首にはじゃらじゃらと何重にもフェイクパールを巻き

その一番下にはベロアの紐とクロスのペンダントが光っている。

ひじまでのホットピンクの手袋をして、黒い厚手のタイツをはき

靴もホットピンクのハイヒールで、コートはショート丈のフェイクファー。

こうして書いてみると、フェイクだらけだし

結婚式にどうかというところだけれど、彼女はとても格好良かったのだ。

私には絶対にできない組み合わせだけれど、その細身で長身の女の子には

その攻撃的とも言えるスタイルがものすごく似合っていた。


「誰にでも似合う」ということは「誰にも似合わない」ということだと思う。

自分だけが着こなせるスタイルをものにするには

Black Dressはとてもよい練習帳になるだろう。

それを上手く着こなせる人は、文句なく格好良い人だ。



Gene Opton, Nancie Hughes
Honey: A Connoisseur's Guide With Recipes


そのまま食べると甘すぎるくらいなのに

何かとあわせると威力を発揮する、万能食材のはちみつ。

Coolな女に甘いものは似合わないけど、

はちみつだけは例外にして欲しい。


トーストしたてのパンにたっぷりと乗せて口に入れるのは

まさに至福のとき。

苦めの紅茶にひと匙だけたらすのは

それだけで程よく疲れを癒してくれる。

カレーの隠し味に少しだけ入れるのは

スパイスの香りと辛さをひきたててくれる。

風邪でのどが痛いときにレモンをつけて食べるのは

悪いウィルスをやっつけてくれる。


きっと、クールでタフでスパイシーな女には

甘さを武器にできる、こんなHoneyが必要なのだろう。

甘い蜜を作るには、何百匹という蜂の仕事が必要なのだ。

G LOVE & SPECIAL SAUCE Best Of


いくら甘いものを食べても舌が甘くなることはないけれど

温かいものを飲むと、舌は温かくなる。


味わうという感覚は舌だけが持っている機能だから

そちらに集中してしまうけれど

舌もやっぱり感じる器官なのだ。


空腹で何も口のなかに入っていなければ

舌はそのものの温度になっている。

それは、その人が持つもともとの温度だから

この内臓と皮膚のあいのこみたいな器官が

それを伝えてくれて、嬉しい。


寒いときは温かいもので、愛しい人の舌を迎えてあげよう。

それよりも暖かいものが伝わることを願いながら。



Fantasy Band Kiss


くびったけ、骨抜き、めろめろ・・・誰かに夢中、という状態をあらわす言葉。

だらしのなさでいけば、くびったけ<骨抜き<めろめろ となるだろう。


私は誰かにめろめろになっている大人を見るのが大好きだ。

対象が自分の孫であろうとペットだろうと恋愛相手だろうと

情けなくだらしなく相手に溺れるというのは、一種の才能だと思う。


溺れるということは、相手を全て受け入れることだ。

くびったけぐらいでは、そうはいかない。

相手を喜んで受け入れ、自分の気持ちをさらけ出し、

そのうえで相手の判断に任せるということはとても怖い。

その恐怖をまったく感じさせないポジティヴまっしぐらのパワーは

見ているほうまで元気づけられる。


たぶん、めろめろな状態になるためには

形は違っても、相手も同じくらい自分のことを思っていると

そう感じていないとたどり着けないのだろう。

だからきっと負のパワーの何物も寄せ付けずに、

情けなくてもだらしなくても、信頼や愛情や絆みたいに

良いものだけを感じさせるのだ。


誰かや何かにめろめろになること。

それはクレイジーかも知れないけれど、一度は経験したい境地。

それはきっと大人だから手にすることのできる

甘い宝石のようなものだと思うのだ。


Gerard Uferas The Fabric of Dreams

人が人間として生きていくうえでとても大事なものであろう、プライド。

人はプライドの全くない人間の言うことは聞く気にはならないが

余計なプライドを積み重ねている人も多いなぁとも思う。


余計なプライドとは、見栄や意地という言葉に置きかえられる自尊心のこと。

そういう「プライド」はよく傷つくし、自分自身を窮屈にするものだと思う。

「プライドが傷つく」「プライドが許さない」と

自分以外に言ってしまう人の持つそれは

大半がこの余計なプライドのことを指しているのだろう。


本当に誇り高い人は、決して自分のプライドの出所は明かさない。

それは経験に裏打ちされた揺るぎない自信のもとに生まれた

誰からも侵されることのない自分だけの領域のことだから。

そしてそれは、誰もが持てる何でも治せる薬のようなものなのだ。


願わくば、自分自身が誰かのプライドになりたいと思う。

I'm proud of youという言葉は、人が人に捧げる最高の賛辞だ。


Penthouse Magazine
Between the Sheets: A Collection of Erotic Bedtime Stories


Between the Sheets ・・・シーツの隙間。

そこは多種多様な人間模様と感情がひしめき合う場所である。

そして私が大好きで一生手放さないであろう場所だ。


疲れきった重たい泥のような身体を受け止めてくれる場所。

止まらない涙を気の済むまで受け入れてくれる場所。

知り合ったばかりのいかした相手と欲望のすべてをさらけ出す場所。

優しく背中をなでてくれる誰かと安心して眠りにつく場所。


私にとってBetween the Sheetsは、明日への救済装置みたいなものだ。

それも、誰かと分け合ったり虜にしたりもできる汎用性の高い装置。


シーツの隙間は、使いよう。

いかした明日を創るために、有効に活用したいものだ。



36 Crazy Fists A Snow Capped Romance


恋はきっと、究極の人間関係なのだろう。

友情や尊敬や信頼や馴れ合いや、多種多様な欲望や感情が

その関係のなかには含まれている。


究極のエゴである「恋愛感情」というシロモノは

何でもありの閉じられた世界。

昨日は世界一幸せだったはずなのに

今日になれば奈落の底へ突き落とす。

それならば恋なんてしない方が良いのに

懲りずに誰かを求めてしまう厄介な感情だ。


恋に落ちるのが誰にも止められないように

恋によって傷つけられるのも、誰にも止められない。


そうやって ついてしまった傷はきっと

必死で誰かと関わろうとした勲章なのだ。

だから私はこの傷を、

自分の持っている他のどの部分よりも綺麗だと思う。

傷ついたことの無い人間に

他人の痛みを想像できるはずがないのだ。