例えばこんな世界。



PCを開けば、私はいない。


ブログ上には「クレヨン」がいて。


私はそれを演じる。


私はRPGゲームのように「クレヨン」を演じる。


そこでの「クレヨン」は私でない。


だから私はいないんだ。


私を知る人も誰もいない。


何でも言える。


好きなことは何でも言って、


責任はいらない。


だって悪いのは私じゃない。


何かあったら「クレヨン」が責任をとるんだ。


誰かに意見を批判されても大丈夫。


だって批判されているのは「クレヨン」だよ。


私は否定されてない。


だから何でも言っていいんだ。


だから何でも言えるんだ。




まず、私がクレヨンだから「クレヨン」としてみただけで、他の名前

でも全然構わない、ということを補足させてください。


上にあげた世界は極端すぎるのかもしれませんし、匿名によって皆が

皆、批判を恐れないようになる、という確信もありません。
しかし、もしこんな世界があったなら、全ての人が平等に意見(ホン

ネ)を言えるのではないのでしょうか。


確かに欠点はいっぱいあります。今まで挙げた意見を含みますが
・皆が好き勝手発言すると意見をまとめるのが困難
・場をわざと荒らしたり、暴言を吐く人の存在
・自分の言いたいコトだけ言って、他の人の意見に耳を傾けない人の存在

こんな感じでしょうか。


それでも、この「自分を知らないから何でも書けるという環境」が、

「匿名アンケートに似ている」と感じませんか。

ほら、うちの大学でもやってる、授業アンケートとか。
似てませんか??


アンケートの最後の大体は多数決であって、ガバナンスとは言えない

けれど、アンケートによって改善されることもありますよね。


匿名のアンケートのような形で皆ホンネを言うけど、他の人がどんな

ことを言ってるか知れて、それについて意見できる。


なんとなく、共治っぽくないでしょうか。

というのもクレヨンは皆が言いたいコトを言える、というのが共治の

条件の一つであると考えているからです。


こういう匿名の形は「何かについて語り合う」場合では上記の欠点が

見えてきますが、「誰かに物事を訴える(意見を言う)」場合には割

と有効なのでは、と考えるクレヨンです。


批判なんて・・批判なんて恐くない!!


批判という名の別視点からの見解、待ってます。