バラク・オバマ上院議員 コロラド州デンバーでの約8万人を前に演説  | 東京リーシングと土地活用戦記

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2008年8月30日(土)

米民主党の大統領候補指名を受けて、バラク・オバマ上院議員は29日夜、コロラド州デンバーで約8万人を前に受諾演説をした。以下、オバマ氏公式サイトに掲載されたその全文を翻訳します。(gooニュース 加藤祐子)

ディーン委員長、親友のディック・ダービン、そしてこの偉大な国の国民のみなさん。大いなる感謝と共に、身の引き締まる思いで、みなさんが私をアメリカ合衆国の大統領候補に指名してくださったことをお受けします。

私と共にこの旅路を歩んでくれた、歴史的な候補のみなさんに感謝したい。中でも特に、いちばん長く旅を共にしてくれた人、働くアメリカ人を守る戦士、そして私やみなさんの娘たちの憧れの人、ヒラリー・ロダム・クリントンに感謝したい。あるいはビル・クリントン大統領に。彼ならではの説得力で変化が必要だとゆうべ力説してくれたクリントン大統領にも感謝したい。さらには、公の奉仕の精神そのものを体現するテッド・ケネディに。そして次の米副大統領となるジョー・バイデンに。みなさんに感謝したい。当代最高の政治家のひとりと、この旅路を最後まで歩けることに、とても感謝している。未だにアムトラックの電車で毎晩帰宅するジョー・バイデンは、各国の指導者とも車掌とも同じように気兼ねなくいられる、そういう人です。

私の最愛の人、次のファーストレディとなるミシェル・オバマと、娘たちマリアとサーシャ。君たちのことが大好きでたまらない。心から愛しているし、誇りに思っているよ。

4年前、私はみなさんの前に立ち、自分の物語を語りました。ケニア出身の青年とカンザス出身の若い女性が知り合い、短い間ではあったけれども共に暮らしたこと。2人とも裕福でも有名でもなかったけれども、アメリカでなら、自分たちの息子は自分たちの夢を追いかけてくれると共に信じていたこと。

その希望が、その約束があるからこそ、この国は昔からほかに類のない、特別なところだったのです。自分の身を捧げて一生懸命働けば、誰もが自分ひとりひとりの夢を追求できるし、同時に大きなアメリカという家族として団結できると。そしてこの国では、次の世代が必ず、自分たちの夢を受け継いでくれると。

だからこそ、私は今夜ここに立っているのです。なぜなら232年もの間、その約束が脅かされようとするたびに、普通の人たちが立ち上がり、学生や兵士や農家や教師、看護師や用務員といった普通の人たちが、約束を守るために勇気をふりしぼってきたからです。

私たちは今そういう決定的な節目にさしかかっています。この国は戦時下にあり、経済は混乱し、アメリカの約束がいま再び損なわれようとしています。

今日この夜、前よりも多くのアメリカ人が職を失い、前よりも多くの人が前よりも少ない賃金のため前よりもたくさん働いています。前よりも多くの人が家を失い、さらにたくさんの人が、自分たちの家の価値があっという間に目減りするのを目の当たりにしている。前よりも多くのみなさんは、車を持っていても運転するだけの金がない。クレジットカードの請求を払えない。学費などとても払えないという状況にある。

この困難な状態は、全部がぜんぶ政府のせいというわけではない。しかしこの困難な状況に政府が反応しないのはワシントン破綻のせいであって、ジョージ・W・ブッシュの失政のせいです。

アメリカよ、過去8年間のこの国の状態が、私たちにふさわしいものであるはずがない。私たちはもっとよい国で暮らす資格があるはずです。

この国はもっといい国のはずです。オハイオ州で一生まじめに働いてきた女性が退職を目前にして、今ここで大病をしたら老後は悲惨なものになってしまうなど、そんなスレスレの状態でいなくてはならないなど、そんな国のままでいいはずがない。

あるいはインディアナ州のある男性の場合。20年も使い慣れてきた機材が梱包され、中国に送られていくのをなすすべもなく見ていた彼は、家族に失業したと伝えなくてはならず、どうしようもなく情けない思いをした。その体験を私たちに語るとき、声をつまらせて言葉を失った。働く人がそんな思いをしなくてはならない、そんな国でいいわけがない。

帰還兵が路上で眠るしかなく、あちこちで家族が貧困に陥るのに何もしない。あるいは大都市がみんなの目の前で水没していくのに、手をこまねいてばかりいる。そんな政府よりも、私たちははるかに思いやりが深い国民のはずです。

この夜わたしはアメリカの国民に言う。民主党員に、共和党員に、無党派層に、この偉大な国のすべての人に。もうたくさんだ! 今この瞬間、この選挙は、アメリカの約束を21世紀にも残すための、大きなチャンスなのです。

なぜなら来週、ジョージ・ブッシュとディック・チェイニーの政権を2期にもわたって送り出した同じ政党が、ミネソタに集まり「3期目もよろしく」と国民に頼み込む予定だからです。

一方で私たちがここに集まったのは、次の4年間が過去8年と同じになるなど耐え難いほど、この国を愛しているから。11月4日には私たちは立ち上がって、「8年で、もうたくさんだ」と言わなくてはなりません。

とはいえ誤解のないよう。共和党の候補、ジョン・マケインは、この国の軍服を身にまとい、勇敢で優れた業績を残した。私たちはそのことを彼に感謝するし、尊敬している。そして来週になれば言葉を尽くして大勢が、いかにジョン・マケインが反逆児かを語るでしょう。かれはこれまでさんざん、党の方針に逆らってきた。だからこそジョン・マケインは変化を実現できるのだと。

しかし彼の経歴は反対のことを示している。ジョン・マケインは90%もの頻度で、ジョージ・ブッシュの政策を支持すると投票してきたのです。マケイン上院議員は「判断力」についてよく話すが、ブッシュ政策の9割が正しいと思ってきた人の判断力はいかがなものか。みなさんがどう思うか分からないが、「変化の可能性は10%」というのは、私には到底受け入れられない。

実際のところ、みなさんの生活を変えてくれるあらゆる政策課題について、医療保険や教育や経済について、マケイン議員はまったくもって「自由な一匹狼」などではなかったのです。政権の下でアメリカ経済は「大いに進歩した」など、そんなことをマケイン議員は言う。経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)はしっかりしていると言う。マケイン議員の主要顧問で、経済政策をまとめた担当者にいたっては、アメリカ国民が抱えている不安感について、「心理的な景気後退」に過ぎないと一蹴したのです。この人物いわく、私たちは「愚痴っぽい国民」になってしまったのだそうです。

「愚痴っぽい国民」? あなたたちは愚痴を言っているだけだと、その同じことをミシガンの自動車工場で工員たちに言ってみたらどうか。自分の仕事に誇りをもつ彼らは、工場が閉鎖されると知ってもなお、自分たちが作るブレーキを必要としている人たちがいると分かっているから、毎日出勤して、前と同じように真面目に働き続けたのです。

「愚痴を言っているだけだ」と、その同じことを軍人の家族に言ってみたらどうか。愛する家族がイラクに3度目、4度目、5度目と出兵していくのを見つめつつ、黙って重荷を背負っている家族に。この人たちは愚痴っぽい国民などではない。みんな一生懸命働き、国や社会に貢献し、文句も言わず歩き続ける人たちだ。私が知っているアメリカ人とは、そういう人たちです。

アメリカ人の日々の暮らしで何が起きているのか、マケイン上院議員が気にもしていないと、そういうことだとは思っていません。ただ、知らないだけなのだと思う。でなければいったいどうしたら、中流とは年収500万ドル未満の人だなどと言えるでしょう。でなければいったいどうやって、大企業や石油会社にばかり何千億ドル分もの減税措置を提案するのに、1億人以上ものアメリカ人の税金は1セントたりとも減らそうとしないなどという態度がとれるでしょう。でなければどうやって、国民の負担を増やすような医療保険を提案したり、国民の大学の学費負担を全く軽減しない教育改革を提案したり、社会保障を民営化してみなさんの年金生活を危険にさらすような真似ができるでしょうか。

ジョン・マケインは国民のことを気にしてないわけではない。ジョン・マケインは国民のことが分かっていないのです

マケイン議員は20年以上も、すでに否定された古臭い共和党哲学にこだわってきた。それはつまり、富めるものにもっともっと与えることで豊かさが少しでもほかのみんなに染みわたるよう期待するという哲学です。ワシントンではこれを「持てる者の社会」と呼ぶ。しかしその本当の意味は、みんな自分の身は自分で守るしかないという社会のことです。失業した? 残念でした。自分で何とかしろ、と。医療保険がない? 市場がなんとかしてくれるよ。貧困の中で生まれた? 藁にすがってでも這い上がれ。すがるべき藁すらなかったとしても。自分のことは自分で何とかするしかないのだ、と。

しかしもうさすがに、共和党は自分たちの過ちを認めなければならない。そして今こそ私たちは、アメリカを変化させなくてはならない。だからこそ私は、アメリカ合衆国の大統領に立候補したのです。

要するに私たち民主党は、この国における進歩とはいったい何かについて、共和党とはかなり違う物差しを持っている。

私たちが進歩というのは、どれだけたくさんの人が住宅ローンを払えるだけの仕事を見つけられるかどうか。毎月毎月少しずつでも貯金すればいずれ、自分の娘が大学の卒業証書を手に出来るかどうか。私たちが進歩と呼ぶのは、ビル・クリントンが大統領だったときに創出した2300万もの雇用機会のこと。クリントン時代のようにアメリカの平均世帯年収が7500ドルも増えたこと。ブッシュ時代のように2000ドルも減ることを、私たちは進歩とは呼ばない

経済が強いかどうかの指標となるのは、億万長者が何人いるかではありません。フォーチュン500に名を連ねる企業がどれだけ収益を上げているかでもない。経済の力を計る指標は、誰かがいいアイディアを思いついたら、駆けに出て新しいビジネスを始められるかどうかです。あるいは、チップを頼りに生計を立てているウェイトレスが、病気の子供の面倒を見るために1日休んでも首にならないかどうか。勤労の尊厳を尊重する経済かどうかです。

経済力を計る指標となる基本的な条件とは、この国を偉大なものにした基本的な約束をかなえているかどうかだ。この国を偉大なものにした、基本的な約束をかなえる。ただそのためにだけ、私は今夜ここに立っているのです。

なぜなら、イラクやアフガニスタンから帰ってくる若い帰還兵の顔に、私は自分の祖父を見るからです。祖父は真珠湾の後に志願し、パットン将軍の部隊で行軍しました。そして政府は祖父の行為に感謝して帰還兵奨学金を支給し、おかげで祖父は大学に行くことができた。

夜勤に出かける前に3時間しか眠れない若い学生の顔を見て、私は自分の母を思います。母は大学に行きながらひとりで私と妹を育ててくれた。食事の配給券に頼ったこともあるけれども、それでも学生ローンや奨学金に助けてもらいながら私と妹を、国内でも最高峰の学校に行かせてくれた。

働いていた工場が閉鎖してしまったという話を聞くと、私はシカゴの貧しいサウスサイドの住民を思い出す。地元の製鉄所が閉鎖してしまってから20年間、戦い続けた人たち。私と一緒に戦ってくれた人たちを思い出します。

そして起業したくてもいかに難しいか女性が語るのを聴くたびに、自分の祖母のことを思い出す。祖母は秘書として仕事をしはじめて、何年も女性だからというだけで昇進させてもらえなかったものの、それでもがんばって中間管理職になった。努力する、勤勉に働くことの大切さを教えてくれたのは、祖母でした。祖母は車の買い替えも自分の洋服も後回しにして、私を優先してくれた。祖母は自分の全てを私に注ぎ込んでくれた。祖母はもう遠くへ移動することができないが、いまこれを見てくれているはずです。今日この夜は、祖母の夜でもあるのです。

「セレブの生活」がどういうものか、ジョン・マケインはどう考えているか知らないが、私のこれまでの生活は説明したとおりです。私のヒーローというのは、この人たちです。この人たちの物語がわたしの人生を形作ってくれたのです。そしてこの人たちのために、この人たちの代理人として、私はこの選挙に勝って、アメリカ大統領としてこの国の約束を守り続けるつもりです。

アメリカの約束とは何なのか。

私たちはひとりひとり全員、自分の人生を思うように作り上げていくことができる。その一方で、お互いを尊重し尊敬し合う義務がある。それがアメリカの約束です。

市場はやる気と変革と成長を作り出すべきだが、企業はアメリカに雇用を生み出し、アメリカの労働者を守り、ルールに従うという責任にもとづいて行動しなくてはならない。それがアメリカの約束です。

政府が何から何まで問題を解決することはできないが、政府は私たちが自分だけではできないことをやるべきだ。国民を守り、全ての子供にまともな教育を与えるべきだ。水の清潔と安全を確保し、子供のおもちゃの安全性も確保すべきだ。新しい学校や新しい道路、科学と技術に投資すべきだ。それがアメリカの約束です。

この国の政府は私たちを痛め付けるのではなく、私たちのために働くべきです。私たちを傷つけるのでなく、私たちを助けるべきです。政府は、最初から富と影響力に恵まれている者に機会を保証するのではなく、働く意欲のある全てのアメリカ人に機会を与えるべきです。

それがアメリカの約束です。自分の責任は自分でとるのだという一方で、私たちはみんな一緒にひとつの国民として栄えたり衰退したりするのだと。兄弟を守る、姉妹を守るという、その基本的な信念のことだ。

その約束を守らなくてはならない。そういう変化がいままさに必要だ。なので、私が大統領になった場合の変化とはどういうものになるのか、具体的に正確に挙げていきたい。

変化とは、労働者や中小企業を助ける税法のことだ。税法案をまとめたロビイストの利益になる税改革のことではない。

ジョン・マケインと違って私は、生産拠点を国外に移転する企業への法人税免税を撤廃し、アメリカ国内にいい雇用機会を作り出す企業の法人税を減免します。

将来の高収入・ハイテク雇用を作り出す中小企業や新規企業に対するキャピタルゲイン税を撤廃します。

そして私は、いいですかよく聞いて、勤労世帯の95%に対して減税をします。今のような景気の状態では、中流世帯に増税するなどあってはならないから。

そしてこの国の経済と安全保障と、この惑星の未来のために、私は大統領としてはっきりとした目標を立てます。10年以内に、中東産石油への依存をついになくします。絶対にそうするのです。

ワシントンはもう30年間も、アメリカは石油中毒だと言い続けて来た。そしてちなみにその26年の間、ジョン・マケインはずっとワシントンにいた。その間ジョン・マケインは、自動車の低燃費化に反対し、再生可能エネルギーへの投資に反対し、再生可能燃料に反対してきた。そしていまこの国は、マケイン上院議員が就任した時と比べて3倍もの石油を輸入しているのです。

今こそこの中毒を断ち切るときです。そして石油採掘拠点の拡大はその場しのぎにすぎず、長期的な解決にはなり得ないと理解しなくてはならない。

大統領として私は、国内の天然ガス資源を開発し、石炭のクリーンな利用技術(クリーン・コール・テクノロジー)に投資し、原子力発電を安全に利用する方法を開発する。低燃費車を米国内で製造できるよう自動車メーカーを支援し、米国民がこうした低燃費車を購入しやすくする。再生可能で低価格の新エネルギー(風力・太陽光・バイオ燃料など)のため、次の10年の間に1500億ドルを投資する。この投資を通じて、新規産業が立ち上がり、外国にアウトソースできない500万もの新規雇用が創出されるでしょう。

アメリカよ、今は小さな計画をたてる時ではありません。

今こそ国としての道義的な義務を果たし、すべての子どもに一流の教育を与えるときです。なぜなら二流の教育では世界経済で競争できないから。みなさん、ミシェルも私も、教育を受ける機会を与えられたからこそ、今ここにいるのです。その機会が全ての子供に与えられないような、そんなアメリカに満足するつもりはない。私は幼年教育に投資し、新しい教師を次々と採用し、給料を増やしてもっと支援する。その代わりに教師としてもっと高い水準を要求し、自分の仕事に責任をもつよう求める。そして全ての若いアメリカ人に対して,約束を守ります。地域や国に奉仕したすべての若いアメリカ人が、大学教育を受けられるようにするのです。

今こそ国民への約束を守り、全ての国民に安く使いやすい医療保険をついに提供するときです。私の計画では、すでに医療保険に入っている人の保険料は下がり、入っていない人は連邦議員と同様の医療保険提供する。私は末期がんで死んでいく自分の母が病床にいながら、治療内容について保険会社と言い合うのを見ていた。なので私は必ず、病気に苦しんで誰よりも治療を必要としている人を、保険会社が差別できないようにします。






今こそ、働く家庭に、有休の病気休暇や、今よりもいい育児介護休暇制度を与えるべき時です。病気の子供や病気の親の面倒を見るか、仕事を続けるか、そんな選択をアメリカ人がしなくてはならないなど、そんなことはあってはならないから。

今こそ企業倒産の関係法を修正し、CEOの巨額ボーナスよりもまず真先に、みなさんの退職金・年金資金が守られるようにする。そして将来世代のために社会保障制度を守るべき時です。

そして今こそ約束を守って同一賃金法を実現し、男だろうと女だろうと同じだけ働いたら同じ賃金を得られるようにする時です。私は自分の娘たちと、みなさんの息子たちが、全く同じ機会を得られるようにしたいからです。

さて、挙げてきたいろいろな計画には、お金がかかります。そこでどうやって財源を確保するか、10セント単位に至るまできっちり計画したのです。まず企業に与えられている様々な抜け穴や減免措置を撤廃し、米国の成長を助けないタックスヘイブンも廃止する。と同時に、連邦政府予算を一行ずつしらみつぶしにして、無駄で無用な政府事業を排除します。また必要な政府事業をもっと改革してもっと安くなるようにします。なぜなら20世紀の官僚制度で21世紀の挑戦に応えることはできないからです。

そして民主党の皆さん、アメリカの約束を実現するには、財源だけ確保すればいいというものではない。そのことを受け入れなくてはなりません。約束を実現するには、ジョン・ケネディが私たちの「知性と倫理の力」と呼んだものを改めて呼び覚ます必要があります。確かに、エネルギー自給自足の実現は政府が主導しなくてはならない。けれども家庭や会社のエネルギー効率を改善するためには、私たちひとりひとりが努力しなくてはならない。確かに、犯罪や絶望に落ち込む若者たちに成功へのはしごをもっと差し伸べる必要があるが、政府事業よりも親の方が大事です。政府はテレビを消して回って子どもに、宿題をやらせることはできない。父親ひとりひとりが、もっと責任をもって、子どもたちを愛情をもって導かなくてはならない。

個人としての責任と、お互いへの責任。それが、アメリカという約束の真髄なのです。

次世代への約束を守らなくてならないのと同様に、アメリカの約束を外国でも守らなくてはなりません。次の全軍の最高司令官として、最もふさわしい気質と判断力の持ち主は誰か、ジョン・マケインが討論したいというのなら、いつでも討論する準備はできている。

マケイン議員は9/11の直後からイラクに目を転じていたが、私は立ち上がってこの戦争に反対した。直面する真の脅威から、注意が削がれてしまうだけだと分かっていたからだ。ジョン・マケインはアフガニスタンは「何とかなる」と言った。しかし私は、9/11に実際に私たちを攻撃したテロリストとの戦いを終わらせるため、物資と資金と兵を増強すべきだと主張した。そしてオサマ・ビンラディンと取り巻きを視認したら、その場で除外しなくてはならないと言明した。皆さん、ジョン・マケインはさかんに、ビンラディンを地獄の門まで追いかけて行くと繰り返しているが、実際にはビンラディンが住む洞窟にも行く気がないのだ。

私がこれまで示して来たイラクからの撤兵計画は今や、イラク政府から支持され、ブッシュ政権にも支持されるようになった。しかもわれわれが財政赤字にまみれているのに、イラクは今や790億ドルもの財政黒字を享受している。にもかかわらずジョン・マケインはただひとり頑固なまでに、誤った戦争を終わらせないと固執しているのだ。

必要なのは、そういう判断力ではない。そんな判断力では、アメリカを守れない。この国は、過去の理念にしがみつくだけでなく、未来の脅威にも立ち向かえる、そういう大統領を必要としているのです。

イラク駐留では、80カ国で活動するテロ・ネットワークとは戦えない。ワシントンにいながら強硬な発言を繰り出すだけでは、イスラエルを守りイランを抑止することはできない。古くからの同盟関係を悪化させたままで、真の意味でグルジアを支えることはできない。ジョン・マケインがジョージ・ブッシュの真似をして、強そうな演説とひどい戦略を重ねていきたいなら、それは彼の選択だ。しかしアメリカが必要な変化は、そんなものではない。

私たちはルーズベルトの政党、ケネディの政党なのです。だから民主党にはアメリカを守れないなどと、そんな言い分には聞く耳を持たない。民主党は国民を守らないなどと、そんなことは言われたくない。ブッシュ・マケインの外交政策は、共和党か民主党かを問わずアメリカ人が何世代にもわたって築き上げてきた伝統を損ねてきた。それに対していま私たちは、アメリカの伝統を復活させようとしているのです。

全軍の最高司令官として、私はこの国を守るために決して躊躇などしない。しかし私が米軍を危険な敵地に派遣するのは、目的が明確な場合だけだ。戦闘で必要な機材を必ず提供し、帰国した兵には必ずふさわしいケアと手当を提供すると、揺るぎなく誓っていなければ、決して米兵を派遣したりしない。

私はイラクでの戦争を責任ある形で終結させ、アフガニスタンにおけるアルカイダやタリバンとの戦いを終わらせる。将来の紛争に対応できるよう米軍を再建する。しかし同時に私は、イランの核兵器保有を食い止めるための、ロシアの侵略を食い止めるための、昔ながらのタフで直接的な外交を復活させる。テロと核拡散、飢餓や民族虐殺、気候変動と伝染病といった、21世紀の脅威を打ち砕くため、新たな協力関係を築いていく。そして私はこの国の倫理性、道義的な拠り所を復活させる。自由という理想のために立つあらゆる人々、平和な生活を望むあらゆる人々、よりよい未来を希求するあらゆる人々にとって、アメリカは最後の拠り所、最後の希望であると、アメリカをそういう存在に復活させるのです。

私はこうした政策を追及します。そしてこれから、これらの政策についてジョン・マケインと討論するのを楽しみにしています。

ただしマケイン議員には、政治目的をかなえるために特定の立場をとったりしてほしくない。たとえ相手の政策に賛成できなくても、相手の人格や愛国心を攻撃する必要はないのです。アメリカの政治においてこの点は変えなくてはならない。

党派対立のルールブックに沿ってこの選挙戦を戦っている余裕はない。今のこの時代、事態はあまりにも深刻で、問われているものはあまりにも重大だからです。なので、愛国心に政党は関係ないと、ここで同意しておきましょう。私はこの国を愛している。皆さんもそうだ。そしてジョン・マケインもこの国を愛しているのです。戦場でこの国のために戦う兵士たちは、男でも女でも、民主党支持者かもしれないし共和党支持者かもしれないし、無党派かもしれない。それでも兵士たちは共に戦い、共に血を流し、同じ誇らしい旗の下で共に死んでいった者たちもいる。兵士たちが我が身を捧げたのは、赤いアメリカでもなければ青いアメリカでもない。彼らはアメリカ合衆国に実を捧げたのです。

なのでジョン・マケイン、お知らせがあります。私たちはみんな、この国を第一に考えているのですよ。

アメリカよ、私たちに与えられた仕事は決して楽なものではない。直面する挑戦に立ち向かうには、難しい選択をしなくてはならない。共和党だけでなく民主党も、古くすりきれた過去の発想や政治を捨て去らなくてはならない。過去8年間で失われたものの中には、給料削減や貿易赤字の拡大など数字だけでは測れないものがある。8年間で失われてしまったのは、みんなで一緒に抱く、共通の目的意識です。私たちはそれを復活させなくてはならない。



中絶については意見がいろいろあっても、望まない妊娠の数を減らすべきだと、その点については合意できるはずだ。を持つというのが実際にどういうことか。オハイオ農村部のハンターと、クリーブランドの都会でギャング暴力に苦しむ市民では、立場がまるで違うだろう。だからといって、憲法修正第2条の権利を守りつつ、AK47が犯罪者の手に渡らないようにするのが無理なわけはない。同性結婚についても様々な意見があるのは知っています。けれども、ゲイやレズビアンの友人たちは愛する人の病室に入れてもらうべきだし、差別されずに生活する権利があると、それくらいはみんな賛成できるはずです。皆さん、移民の扱いについては感情的になりがちですが、母親を幼い子供から引き離して一体誰が得するというのでしょう。あるいは不法移民を雇ってアメリカ人の給料を下げたところで、誰が得するのでしょう。けれどもこうしたこともまた、アメリカの約束の一部なのです。ともに努力し一致団結して分裂を乗り越えるよう、互いに力と思いやりを見出すことも、民主主義の約束なのです。

こういう信念を、お気楽な楽観主義だと一蹴する人たちがいるのは分かっています。公の生活には今よりもっと大きなものがある、もっと確かでもっと正直なものがある、なくてはならないという私たちの信念は、ただ単に増税と伝統的価値観の放棄を押し通すために私たちが持ち出す、トロイの木馬に過ぎないと。そういう人たちがいるのは、もう織り込み済みです。なぜなら、自分に新鮮なアイディアがないのなら、有権者を怖がらせるために古くさい手法を駆使するしかないからです。もしも自分に実績がないなら、自分の対抗馬を悪く言うというのが、古くさい戦い方だからです。大きな大事な選挙を、小さなつまらないレベルの争いにしてしまえばいいのです。

そして今まではそれで勝てたわけです。政府に対してそもそも国民が抱えているシニシズムに、うまく合致するから。ワシントンがうまく機能しないとき、どんな約束も空っぽに思える。何度も何度も希望が打ち砕かれてきたのだから、もう希望するのをやめて手元にあるものだけで良しとした方がいいと。そういう考え方で、通用してきたのです。

わかりますよ。自分が大統領という役職にピッタリふさわしい人間でないことは、よく分かります。大統領にふさわしいとされてきた典型的な経歴はないし、ずっとワシントンで働いて来たわけでもない。

けれども私はいまこうやって今夜、みなさんの前に立っている。なぜならアメリカのあちこちで今、なにかがうごめいているから。何もかも否定して冷笑しようという連中には理解できないでしょうが、この選挙の主役は私ではない。私だったことは一度もない。この選挙の主役はみなさんです。この選挙は、みなさんの選挙なのです。

18カ月の長きにわたり、皆さんはひとりひとり立ち上がって、古い政治に「もうたくさんだ」と告げた。この選挙において何より危険なのは、古臭い見慣れた登場人物が仕切る、古臭いいつも通りの政治を選んでしまうこと。いつもと同じものを選んだのに、何かが変わるかもしれないと期待してしまうことです。

歴史の教訓を、みなさんは身をもって体現してくれました。今この時のような、国の将来を決定するような大事なときには、変化はワシントンからはやってこない。変化が、ワシントンへ向かうのだと。アメリカの国民が強く求めるからこそ、変化は実現する。アメリカの国民が立ち上がり、新しいアイディアや新しいリーダーシップを求めるから、新時代のための新しい政治を要求するから。だからこそ変化は実現する。

アメリカよ、今はそういう大事な時なのです。

大変な困難な待ち受けていることでしょう。けれども私たちに必要は変化はやってくると、私は信じています。その一端を目にしたから。その一端を私自身が生きてきたから。イリノイ州で、その一端をみたからです。前よりも多くの子供が医療保険を受けられるようになり、前よりも多くの家庭が生活保護を脱して働けるようになった。ワシントンでもその一端を見ました。私たちは政党の壁を越えて、政府の情報公開を促進し、ロビイストの説明責任をより重く問うことに成功しました。政党の壁を越えて、帰還兵や退役軍人の待遇を改善し、テロリストに核兵器が渡らないよう対策を強化した。

この選挙戦中にも、変化の一端をかいま見ています。生まれて初めて投票する若者たちの姿に。そしていつまでも心の若い人たちが、長い空白を経て再び政治に参加しようと思い立った姿に。自分が民主党候補を支持するなど思っても見なかった共和党員の姿に。

変化の一端は、仲間が失業しないよう自分の働く時間数を犠牲にする労働者の姿にも、垣間見えます。時間を減らして収入を減らすよゆうなどないのに、彼らは仲間のためにそうするのです。あるいは腕や脚を失っても尚、再志願する兵士の姿にも。あるいはハリケーンと洪水に街が襲われたとき、見知らぬ他人を自分の家に迎え入れる善き隣人の姿にも、わたしは変化の一端を見るのです。

みなさん、私たちのこの国は、ほかのどの国よりも裕福な国です。けれどもこの国の豊かさは、そういうことではありません。この国は地上最強の軍隊を持っているが、アメリカの強さとはそういうことではないのです。この国の大学やこの国の文化は、世界中の憧れです。けれども世界中がいつまでもアメリカにやってくるのは、それが理由ではないのです。

そうではなく、この国が豊かで強く世界中の憧れを集めているのは、アメリカのスピリット、アメリカの約束ゆえなのです。道がおぼろでもひたすら前進し続ける、その原動力。違いにもかかわらずみんなが団結できる、その原動力。見えるものに執心するのではなく見えないものを追い求める、まだ見ぬより良い世界、曲がり角の向こうを追い求める、アメリカのスピリットなのです。

その約束こそが、私たちの最大の財産です。わたしが毎晩、娘たちにお休みを言うとき、そして皆さんが子供たちにお休みを言うとき、子供たちに毎晩繰り返す約束です。その約束のために、移民は海を渡り、開拓者は西を目指した。その約束ゆえに労働者はストを決行し、女性は投票権を求めたのです。

そして45年前の今日この日、その約束のために国のあちこちから大勢が集り、ワシントンへと向かったのです。その約束のために人々は一緒になってリンカーン記念館の前に立ち、ジョージア出身の若い牧師が自分の夢について語るのを聞いたのです。演説のテーマはほかにもいろいろあり得た。怒りと分裂の言葉が響いてもおかしくはなかった。あまりにもたくさんの夢が打ち砕かれてきた不満と、恐怖に屈してしまうよう、呼びかけてもおかしくはなかった。

けれどもあの場で人々が聞いたのは、あらゆる信条と人種の、あらゆる立場の人々が聞いた言葉は、アメリカにおいて私たちみんなの運命は解きようがないほど深く結びついているのだと、そういう言葉でした。みんなが一緒になれば、みんなの夢も1つになれるのだと。「ひとりでは歩けない」と牧師は叫んだ。「みんなで歩いていく今、 誓わなくてはならない。私たちは常に、前へ前へ行進するのだと。決して後ろを振り向かないのだと」

アメリカよ、私たちは後ろを振り向くわけにはいかない。やるべきことがこんなにたくさんあるのですから。こんなにも多くの子供たちに教育を与えて、こんなにも多くの帰還兵を助けなくてはならないのですから。経済を直し、都市を修復し、農村を救わなくてはならないのですから。こんなにたくさんの家庭を守り、こんなに大勢の生活を立て直さなくてはならないのですから。

アメリカよ、後ろを振り向いてなどいられません。私たちはひとりで歩く訳にもいかない。今このとき、この選挙では、私たちは改めて、未来に向かって行進すると誓約しなくてはなりません。その約束を守りましょう。そのアメリカの約束を。そして聖書にもあるように、揺らぐことなく、告白した希望をかたく抱き続けましょう。

みなさんありがとう。神の祝福がありますように。そして神がアメリカ合衆国を祝福されますように。


 もうすぐ、全世界が注目する、アメリカ大統領選挙です。どうなるでしょうか!!!




バラック・オバマ(Wikipedia)
Barack Hussein Obama, Jr.
生年月日 1961年8月4日(47歳)
出生地 ハワイ州ホノルル
出身校 ハーバード大学
所属政党 民主党
アメリカ合衆国上院議員
選挙区 イリノイ州選挙区
当選回数 1回
就任日 2004年1月3日
イリノイ州上院議員
当選回数 2回
バラック・フセイン・オバマ・ジュニア(Barack Hussein Obama, Jr.[1], 1961年8月4日 - )はアメリカ合衆国の政治家。現在イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員である。政党は民主党。現在、唯一のアフリカ系アメリカ人の上院議員であり、選挙により選ばれたアメリカ史上3人目のアフリカ系上院議員である。ただし母親は白人であるため、混血とも分類される[2]。
生い立ち
ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニア生まれのイスラム教徒であり、母親はアメリカカンザス州出身のスウェーデン(白人)系労働者一家の生まれである。イスラム教の戒律では(少なくとも建前の上では)ムスリムの子はムスリムであらねばならないとされているが、本人は現在キリスト教徒(プロテスタント)である。これについてオバマは自伝で「父はムスリム(イスラム教徒)だったが殆ど無宗教に近かった」と説明している。実際には、ハワイにおいて白人である母親と母親の両親によって育てられたという出自である[3]。6歳から10歳まで、母親と、再婚相手のインドネシア人の義父とともに、インドネシアに在住していた経験もある。
コロンビア大学を卒業後にシカゴに渡りNPOに勤務した後、ハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系として史上初の「Harvard Law Review」の編集長を務めた。
イリノイ州議会議員
卒業後シカゴに戻り、有権者登録活動(voter registration drive)に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。またシカゴ大学ロースクール講師(lecturer)として合衆国憲法を講じていた。人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して、1997年にイリノイ州議会上院議員に選出され2004年まで務めた
2004年には、対立候補を得票率70%対27%の大差で破りイリノイ州選出の合衆国上院議員に初当選した。2004年のアメリカ大統領選挙では、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した民主党大会で「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」。「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」との基調スピーチを行い、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた。