中国大学図書館担当者招聘「訪 日 報 告 書」 | 東京リーシングと土地活用戦記

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中国大学図書館担当者招聘「訪 日 報 告 書」

大連医科大学図書館 副館長 朱長利



訪日での収穫-所見と感想


 2006年12月4日から11日のちょうど一週間。中国24大学図書館の館長による訪日団が日本を訪れた。

1.今回の訪問の主な目的
 日本科学協会、日本の図書館および日本の文化を理解する

2.訪問活動の主な経過
[1]日本財団と五つの図書館 : 武蔵工業大学図書館(私立)、芝浦工業大学図書館、成蹊大学図書館、国会図書館、琉球大学図書館
[2]五つの都市 : 東京、沖縄、大阪、京都、奈良
[3]参観したところ : 茶道の体験、皇居、日本皇居、浅草寺、首里城、琉球舞踊、美ら海水族館、金閣寺、東大寺、清水寺、唐招提寺、大阪城天守閣等


3.主な収穫
(1)簡単な日本紹介
 ガイドが日本はタマゴの上に建てられた国だと話していたので、帰国後に日本の資料を調べてみた。日本は太平洋プレート上に位置し、火山活動も頻繁で、人々の生活にかなりの不都合をもたらしている。しかし火山の分布する地区は景色が美しく、温泉資源も豊かなので、著名な観光地や療養地となる。この論法は中国人もよく言う短所を長所に変える弁証法だろう。日本の国土面積は377,887.25平方キロで、ロシアの約1/45、中国とアメリカの1/25で、四川省一つ分の大きさに相当するが、人口密度は四川省よりやはり大きい。狭い土地に人が多く、資源もない。しかも台風や津波、地震が頻繁に起きる。しかし、見る角度を変えると、こうした環境は日本人の深刻な危機意識、努力の精神を育んでもいる。東京や大阪の空中では、片やきらきらと輝く海、片や櫛の歯のように立ち並ぶ摩天楼が見え、海が計画的にブロック分けされているような感じだった。海を渡る橋!高速道路!高架橋が縦横に交錯している。ガイドによると、道沿いに見える壮観な建物の足元はもともと海だったところで、埋め立て造成したところだそうだ。また、都心部での建築は地下に向かって拡張しており、地下七階まで達するものもあるとか!今回見学した国会図書館は地下八階建てである。
(2)日本の空気、住居と交通
 知らない国に来てみて最初に感じたのは空気の質と都市建設についてだった。日本の空気の質はガイドの話によると「洗車は月に一度」だそうで、その一片が窺える。自分で見ても走っている車は全て清潔で、しかも7日間で1箇所しか洗車スタンドを見なかった。中国ではいたるところに洗車や修理の店があり、大違いだ。
 東京と大阪は現代化された都市で、高層ビルもあり、ビルの間には二層の高架橋があったりもした。大連や中国での大都市にあるような美しい大広場はなかった。緑化もあらゆる手を尽くしており、歩道には落葉樹が植えてあってとても自然に見えた。木々の間には落ち葉の袋が見かけられた。しかし7日間のうちで掃除の人を見かける機会がなかったので、いつ掃除されているのか分からなかった(もしかして毎月一度だけ?)。夜9時過ぎに帰っても、朝早く起きても、掃除している人を見かけなかった。
 京都と奈良は中国の西安に相当する街で、往時の都だったため、寺院が多く、建物も平屋が多い。ところどころ街中に農地が見える。
 三つ目に感じたことは道路の交通状況である。日本人は礼儀を重んじ、秩序を守ることは世界でも有名だが、道の往来もそのとおりである。日本では、道を行く人の全てが、特に自動車のドライバーが礼儀正しく、交通ルールをきちんと守り交通安全を守っているので、通行の効率もよく、社会の調和がよく現れている。大連と比較すると、日本の市街地には太い道などないと言える。立体交差もあまり見られず、都心部の幹線は対面四車線に過ぎず、多くは対面二車線である。東京は車が多く走っているが、基本的に渋滞はない。道路の通過率が極めて高く、事故率は低い。往来は盛んだが秩序だっている。これはドライバー全体の良好な運転習慣によりなされる交通効率のよさだ。
 まず、日本人の運転は落ち着いている。加速するために車線変更を繰り返す車が極めて少ない。(大連ではよく見られる現象である)。誰もが通常一車線走行を守っており、早いものと遅いものにそれぞれ決まった位置がある。実際のところ頻繁に車線変更しても違法ではないのだが、道路全体の流れるスピードを低下させてしまいやすい。正直に一車線を守るのは、主に日本のドライバーの自主規制によるものだ。日本の自動車学校では、教習生の卒業時に必ず署名する承諾書がある。その中の一文に流れを乱さず、個人の効率のために全体へ影響を及ぼさないという約束があるのだ。日本のドライバーはこれを承諾し、そうして実行している。
 次に、日本人は車の運転ルールを守る。明らかな交通法規を遵守するだけでなく、習俗の一般化したルールもドライバーの間で暗黙の了解となっており、争いを避け、無駄な譲り合いも避けて、全体の流れをスムーズにしている。たとえば、二台がまとまって走っていたり支線から幹線に入ろうと並んでいるとき、ドライバーは一台ずつ交互に合流する。また、右折車は順番待ちの列が長くなっても対向する直進車を先に通す。
 日本では、一車線の流れが遅くなっても道路全体の渋滞にはつながらない。東京の都区内では密閉された片側二車線の高速道路網があり、車の流量が大きい。道路の分岐はどこでも見られるが、ある方向に向かう車は1、2キロ手前で片側により列として緩やかに移動する。反対側の車線は滞りなく流れ、多くの車が道路の片側に偏って分岐点で渋滞し、二車線とも詰まるというようなことは絶対にない。効率のよい交通はまた、日本での運転が安心できるものだという理由にもよる。歩行者と自転車は勝手に道路を横切らず厳格に信号を守るので、道路の安全と交差点での通過率が極めて高いのだ。ドライバーは青信号を待つだけでよく、完全に安心して全速で通過できる。根本的に「転ばぬ先の杖」としての減速が要らないのだ。道路上に横断歩道が描かれているところには信号機がある。これは先進的な技術で車と歩行者の通行を保証しているのだろうか。車が狭い街道を飛ぶように走っている景色は、この国の効率をくまなく言い尽くしている。
 政府の統計によると、日本は全世界でも交通事故率が低い国の一つである。それでも、日本政府は国民に対し交通マナーに気をつけ、交通安全を重視するよう呼びかけている。日本の通りにある多くの派出所では札が掛けられており、前日の交通事故による全国の死亡者数と負傷者数が書かれているのを目にした。交通事故の多発地帯では一般に人目を引く看板が置いてあり、通る車や歩行者に警告している。
 日本の道路ではクラクションが少ない。ハイビームのフラッシュは相手に警告し道を空けさせるためのものではなく、「お先にどうぞ」の意味である。譲ってもらうと、ドライバーは「ハザードの点滅」で感謝を表したり、手を挙げたり頭を下げたりもしてお礼をする。秩序ある道路交通環境は、小さく言っても国民の礼儀正しさとルールを守るよい習慣が表れており、大きく言うと、平和で穏健な、ルールを遵守する一種の健全な社会心理や、社会全体の調和した雰囲気が表れている。また、日本の乗用車は基本的に小さくて排気量も少なく、価格も安い。特に京都、奈良、沖縄ではこうした車が多く、だいたい80%ぐらいではないだろうか。
(3)日本の清潔さ、静かさ、秩序のよさ、便利さ、周到さと細かさ
 どこでも路上は清潔で、訪れたレストラン、ホテル、図書館などの公共施設も清潔だった。山も水もきれいで、ホテル内の水道水は生水でも飲めるそうだったが、敢えて飲んではいない。道行く車も清潔で、みな新車のようだった。
 日本には失業者が少ない。東京の人口は1300万人で北京と同じぐらいだが、北京で見られるような混乱や無秩序ぶりは全くない。日本の商店は閉まるのが早く、訪日中の七日間にショッピングの時間が確保されていなかったので、誰もが夜の時間を利用していたが、夕食を終えると8時過ぎは過ぎており、店は閉まっていた。沖縄、京都、奈良では人が明らかに少なく、日中に道路を歩いても数人と目にすることがなく、夜まで死んだように静かだった。静かさのもう一つの原因は、車がクラクションを鳴らさないことである。また人々も大声で話したりはしない。聞いた所によると、日本での犯罪率は低く、拾ったお金をきちんと届けるようなことは普通にあるという。自身も目にしたのが、日本の路面店の一部はオープンになっていて監視している人もなく、店員も多くないのに、皆が品物を手にすると自分で店員を訪ねていることだ。これだけでも一つの説明になる。
 日本の自動販売機にはタバコ、飲み物にはコールドとホットが揃っており、品揃えが多いだけでなく、いたるところに備え付けてあり、便利である。飲料の価格は120円~250円と開きがあり、缶入りのコーヒー、茶飲料、ビール、タバコなどの価格は270円~330円である。
 日本在住の中国人ガイドの話では、日本と中国とを比べると、20年から30年の差が見られるが、見えないところでは50年かそれ以上の差があるのだそうだ。その見えない差というのは人々の観念と素養である。自室であるビデオを見たことがある。服のたたみ方で、ある日本人女性がTシャツなどのたたみ方を解説しているものだったが、シンプルですばやく、日本人の細かさと注意力を見て取ることができた。今回の訪問中、この一点がまず日本科学協会のしてくれた手配に表れていた。彼らの綿密さと気遣いは毎日毎時、表れていた。事実、それでこそこの訪問日程が完成したのだ。大学教員である我々も当然、時間はかなり遵守するほうである。
 キャンパス、図書館、空港、商店やホテルのいずれにも喫煙する人のための場所や部屋があるのに気づいた。また誰もがこうした規定を守っていたので、私たちの中の喫煙者もこの問題には特に注意した。大連理工大学図書館の劉館長はより身にしみただろう。喫煙も問題は個人の問題であるが、公共施設で専用の場所を設けて使用に供し、また喫煙室に喫煙は健康に有害だと貼り出しているのは、喫煙する人を尊重するだけでなく、注意も喚起しており、喫煙しない人もより尊重している。帰国後、当館では12人で瀋陽を訪問し、数大学の図書館を参観したが、どこにも喫煙室はなく、部屋の隅に吸殻が落ちていたりした。私たち自身も数人の学生が階段の踊場でこっそりとタバコを吸っているのを見かけた。これは危険だし、喫煙者を尊重していない。本学の新図書館では喫煙室のようなものを備えて細かく配慮できるだろうか?
 私たちの泊まったホテルではサニタリーの便座が全て保温機能つきだった。ホテル、空港、商店などのトイレはどこも清潔で紙やハンドソープなどが全てきちんと揃っていた。トイレはTOTOのユニット式で、基本設備が揃っており作りも精巧だった。便器には洗浄機能もあり、個室には例外なく2組の紙がセットしてあった。こうすることで紙を使い切ったときに管理人が気づかなくても利用者が困ることはない。ハンドドライヤーはU字型で、手を上から差し込むと水滴が下へ吹き飛ばされる。ホテルのトイレは小さく、場所によっては便器が斜めになっていたが、どこでも暖房便座と洗浄器がついており、操作ボタンが片側のパネルにまとめられていた。ホテル内の剃刀、ハンドソープ、シャンプー、入浴剤、シャワーキャップ、櫛、ドライヤー、冷蔵庫などは全てきちんと揃っており、ないものがなかったので、自分の持ってきたものは使う必要がなかった。どこのトイレも非常に清潔!これは中国ではそうはいかないことである。中国ではトイレから50メートル離れれば二箇所はトイレが設置されている。本学の図書館もそうなっているが、何故かはわからない。
 泊まった部屋は、入って中を一瞥すると、むしろ床にベッドが一つおいてあるだけの場所と言うほうが正しいが、基本的に空間は余っていなかった(2人では歩くこともできない)。まさに寸土寸金!テレビは17インチ液晶画面で、チャンネルには有料のものと無料のものがあった。有料のチャンネルは明らかにアダルトだったので実験はしていない。
 街に出るといたる所に無料宣伝資料が多くあり、精緻でもあったので、少なからずもらってきた。安いものは全てMADE IN CHINAだった。例えば百円ショップ、例えば安い服や靴の類である。こうした商品は中国で加工されているのだろうが中国では売られていない。中国人はここまで細かいものを作れるというのに、どうして中国の客に向かうと日本の客に向かうように真剣に丁寧にできないのだろうか?
 食べ物も精巧にできており、一食で食べる量は多くないが、十数枚の小皿や鉢が漆の盆に並ぶと盛りだくさんに見えて、またとてもきれいだ。この加工は比較的複雑なのだろう。
 日本の男性ホワイトカラーは普通スーツで、ワイシャツにネクタイを締めている。夏に屋外が40度にもなってもそうしている。炎天下でもこうした正装でいるため、労働者が街中で昏倒するようなことがあってもおかしくはない。私たちの団長やリーダーも、大学図書館の参観時にはスーツ、ワイシャツ、ネクタイを身につけるよう要求してきた。私はタクシーの運転手もスーツと革靴なのに気づいた。実際のところ誰も気にしているのではなく、これが日本人の職業習慣なのだろう。特に沖縄の琉球大学図書館を訪問したとき、当地の気温は25度前後あった。私たちは暑いのに正装の必要はないと言ったが、日本人はやはり正装だった。
 レストランでの食事で、食堂へ入るのに靴を乱雑に脱いでいたが、出るときには店員がきれいに並べてくれていたようで、そろってつま先が外を向いており、すぐ履けるようになっていた。東京のマンションには盗難防止ドアがなく、多くのドア はとても薄い木板やガラスであることに気づいた。たまに一階には防犯フェンスを見かけたが、二階以上で見かけることはなかった。私たちが泊まったホテルには「客室検査」がなく、帰るときはそのままでよく、室内にある札で費用を精算すればよいとのことだった。中国でホテルに泊まると、チェックアウト時の「客室検査」は省略できない。多くのホテルは物品損害賠償価格表すら持っており、非常に信用していないことが表れている。
 日本では道路両側の緑が野生の草花で、人工的にならした草地ではなかった。あるとき道路の中央分離帯を見たら、中国にもよくあるエノコログサだった。これは今提唱されている元の生態系の概念だろう。実際、その土地の植物が最も当地の土壌や機構に適応している。北京や大連では数年前に費用を投じて国外から草の種を輸入したが、それらは北方の乾燥した気候に適応せず、大量の水資源を投じて灌漑してやらねばならないものもあり、もともと水が不足気味の私たちにとって泣き面に蜂だった。北京がオリンピックの申請をしたときにいたっては長安街の枯れ草を緑色にそめたそうである。これも目に見えない距離ということか!東京の街の姿を見ていて感じたのは緑化率が極めて高いことである。裸土の見えている土地はほとんどなく、たまに片隅が少し空くと、木が植えられたり花の鉢が置かれたりしていた。当然、京都、奈良や沖縄はさらによく、一種の自然やロマンティックな景色が長寿の元だろうと思う。ガイドの話によると、東京などと比べストレスが少ないせいでもあるそうだ。
 日本の学生は学内だけで授業を受けない。学生を連れ出しての学習もよく見かけられる。景勝地には、祖先の努力を見に行き、企業には、どうやって発展したかを見に行く。考えてみれば、時代についていけるか、社会の需要に適応できるかを見ているのだ。これは日本人の公共道徳教育や思想教育、ないし徳育と呼ぶべきものである。日本人は徳育を重視し、多くの投資をしている。参観した各地で最も多く見かけたのは小中学生だった。特に沖縄で多かった。ガイドの話では、日本政府が小中学校に手当を支給するため、教師が児童を引率して訪れるのだそうだ。日本の学生の服装を見るのも面白かった。全国で統一された様式らしく、女子生徒は一律でスカートにハイソックスと革靴、男子生徒は帽子をかぶり、いずれも濃紺や深緑などの暗い色だった。
 日本の路上にはほとんどくずかごが見られなかった。ごみを分別するため、皆がごみを自宅に持ち帰るからだそうだ。それでくずかごは要らないのだという。しかし学校の中にはあった。これには私も感心した。街を歩いていて、捨てたいものがあってもすてる場所が見つからず、自分のバッグに入れてホテルに持ち帰るしかなかったからだ。
 ビュッフェで食事をするとき、人々は食べ終わると自分でテーブルを片付けていた。こぼれたものは紙ナプキンで拭き、食器を集めて置き場にもって行き、椅子を元の位置に戻していた。タバコを吸う人も灰を散らかしたり吸殻をポイ捨てしたりせず、街中で吸うときには携帯用灰皿(大連理工大学の劉副館長と楊館長は日本から数個ずつ買って帰っていた)を持っていた。
 日本の電車やバスの中では電話ができないそうだ。休んでいる人に影響を与える恐れがあるためだという。私たちはそういう車両に乗る機会がなく、専用車に乗っていた。全員が内輪だということもあってか、私たちのリーダーとガイドは電話をかけていた。
 早朝に散歩をしていると、日本が確かに「先を争う」お国柄だと目に見て分かる光景と出会った。ドアが開くと、戸口に詰め掛けた人の群れが殺到して出てくる。地下鉄だけでなく、エレベーターも、見本市会場の出入口も……。地下鉄の駅では、通行人がさながら徒競走の選手のようで、私たち中国からの訪問者はかなり「置いていかれ」てしまった。私たちが中国のぶらぶらと歩く速さに慣れてしまったせいかもしれない。最も不可思議だったのは、エスカレータに乗っている日本人が「一分一秒を争っている」ことで、誰もが左側に立っており、右側は前へ歩きたい人のために空けてあることだった。左側に寄っている人は自覚して一直線に並んでいる。日本人とは何をしてでも優れた秩序をつくるものなのか!夜の6~7時にホテルに着く日もあったが、明かりの消えていないビルがいくつか見えた。ガイドによるとこれは残業で、残業手当のついていないものだそうだ。
(4)日本人の礼節
 私が目にした日本人の礼節は主に私たちが乗っていたバスでのものだ。何度か車を乗り換えたが、運転手はみな礼儀正しかった。下車時には日本語でお気をつけてと声をかけ、乗車時は会釈をするなど。私たちがいった商店やホテルの店員は更に礼儀正しかった。会釈、お辞儀、いらっしゃいませ、またお越しくださいなど。最も典型的だったのは、空港で、車椅子に乗った人が空港の女性スタッフに何か話しかけると、そのスタッフが空港ロビーで膝をついてその話に耳を傾けたことである。
 ネットで見かけた文に、こういうものがあった。「人々は挨拶するたびに、会うたびに、双方の社会的関係を表現しなければならない。」というのがあった。ある日本人が他の日本人に対して「食べる」や「座る」と言う時、相手と自分との親密さや相手の年代に基づいて異なる語彙を使わなければならない。「あなた」という語も同義語がいくつかあり、場合によって異なる「あなた」を使う必要がある。動詞にもいくつか異なる語尾をつける。言い換えると、日本人はその他の太平洋民族と同様に、「敬語」を使い慣れており、話すときには適切なお辞儀もするということだ。
 こうした動作にはいずれも詳しいルールや慣例がある。誰にお辞儀をするべきか理解するだけでなく、その深さも理解しなければならない。ホストの場合、ゲストの方が目上とみなされるため、適度なお辞儀の深さでは失礼となってしまう。お辞儀の仕方は多く、膝をついて両手を伏せ、額が手の甲につくのを最高とし、簡単に肩を動かしたり頭を下げたりと続く。日本人はどういった場合にどういった礼をすべきか、小さい頃から学ばなければならない。日本の礼節とはつまりどういうものなのか?専門的な研究が必要なテーマかもしれないが、私の印象としては、顧客やゲストに対する礼儀などはその相手に好感を与え、私もいずれにせよ悪くは思わない。他の人も同じように感じているはずだと思う。この点も私たちが学ぶに値する。
 訪れた図書館でもそうだった。図書の貸出や返却の係には図書館の従業員でなく、業務のアウトソーシング先から派遣されてきている人もいた。日本人の仕事する態度はとてもよい。私たちの行ったレストラン、ホテル、図書館、商店では、決まって気を遣い親身だった。手伝いのできることは決して放置せず、手伝いのできないこともあらかじめ断って情報を提示する。こうあるべきなのだ。サービスの態度が非常によい。
(5)日本の食文化
 異なる国に来たのだと一番感じるものは食についてだろう。誰もが毎日直面することがらだからだ。国際肥満問題チームの最新統計によると、先進国のうち、フランス女性の肥満率は11%、米国では34%だが、日本ではたったの3%で最も低い。このほか、日本女性の平均寿命は85歳で、最高である。イタリアとフランスが84歳、スウェーデン、スイスとオーストラリアが83歳である。
 伝統的な日本食には魚、野菜、果物、米と大豆が含まれる。日本の伝統文化では「新鮮至上」を崇めているので、日本女性は魚や野菜、果物などを好んで多く買う。肉や菓子類、加工食品は余り買わない。ネットによると、日本では厨房が小さく食べ物の保存場所が少ないため、スーパーへ新鮮なものを買いに行く頻度が高いのだそうだ。反対に、米国では、何週間分もの食べ物を一度に買って冷蔵庫に入れておくのが好まれている。「腹八分目がよい」と言われており、これは余り食べ過ぎないようにということである。日本人はこの点で割とうまくやっている。日本人は一日平均2700Calを摂取するが、米国人の平均は 3700Calで、両者には1000Calの開きがある。
 食べ物に対する態度は中国でいう禅宗式で、最も新鮮な材料を選び、心を込めて料理する。食事をする時はがつがつ食べず、美味佳肴を嗜むと同時に、美しい献立の鑑賞も学ぶ必要がある。美しい外観は日本料理の命である。ネットでは日本人の長寿がいくつかの要素によるものだとあった。飲食や生活方式、緊密な社会と精神的な絆、発達した保健体系、他にも、遺伝や訓練によるものもあるという。西洋人と比べ、日本人はより散歩や自転車を好む。私たちが行ったところでも少なからぬ自転車が停めてあった。
 日本人がよく生で食べるのは魚だけではない。牛肉、馬肉、鶏肉やエビ、カニ、貝類、野菜などもあり、水さえも生で飲める。私たちの食事にも毎食こうしたものが含まれており、味もいろいろあった。しょっぱさはそのうちの一つでしかなく、しょっぱさを主としながら元の食材の味を感じられるものが多かった。生ものを何日食べてもお腹を壊すことはなかった。これは日本人が清潔好きで、特に食品衛生に気をつけていることを証明している。
 こうした気遣いは日本人の暮らしの随所に見られる。ネットで『環球時報』記者が書いていたのは、日本の大小スーパーで鮮魚を何度か買ったとき、日本のスーパーでは売られている魚が新鮮なだけでなく、スーパーが保冷用の氷を用意し、顧客の帰宅中に鮮度を保てるようにしているという。包装時に氷が要るか質問するスーパーもあり、氷箱を用意して自由に取れるようにしているところもある。日本では、鮮魚を買うときは一般に切り身なので、家に帰ってから洗わずに直接料理できる。洗う必要がある場合、店が包装上にラベルを貼り、洗ってから食べるように明記している。スーパーでは、よく「生ものですのでなるべく早くお召し上がりください」と書かれたラベルを目にする。刺身などの生ものは必ず当日中に食べるよう注意を促すものだ。
 飲み物には清酒という米を発酵させて作る醸造酒があり、日本で千年以上の歴史を持ち「日本酒」とも呼ばれている。アルコール度は低めで、約17~18 度。日本での洋酒は戦後、特に70年代以降に流行しだした。最も販売されているのはウイスキーである。よく氷や氷水を混ぜる。日本人が飲むビールにはキリン、アサヒ、サッポロの三大銘柄がある。中国の白酒のように度数の高い酒は少ないのか、見かけられなかった。私たちは何回か「飲み放題」、つまり量に制限なく各種の酒が注文できるところへ行き、それぞれ好きに飲んだ。
 芝浦工業大学での茶道体験はチョット難儀した。大学生がしていたのだが、彼らいわくこうしたことを好む若者は少なくなったという。
 参観の道中に買った飲み物には茶飲料もあったが、もともとの茶の味がするもので、砂糖などの添加物がなく、茶葉の原産地が中国というものもあった。朝に食べたヨーグルトもそのものの味がして、中国のように砂糖とかサッカリンのようなものはそれほど入っていなかった。
(6)日本の図書館
 五つの大学図書館を参観し、全体の印象としては静かで秩序があるという感じだった。当然、国会図書館の人は多かったが、後で訪れた瀋陽の開放式図書館のように学生だらけではなかった。キャンパス上のリソースが豊富で日本の学生が自習する場所も多いからかもしれない。
 参観した芝浦工業大学、武蔵工業大学、成蹊大学の図書館はいずれも資金が潤沢で、中国のものとは比べ物にならない。机や椅子がイタリアから輸入したものだったり、自分でデザインしたものであったり特長的だった。椅子の背もたれを倒すと机になったり、ソファーの背もたれも自分の机にできたりした。ほかにも軟らかい素材で背もたれができた椅子もあり、座り心地が快適だった。武蔵工業大学図書館では、全ての図書とディスクにチップが貼ってあるのを見かけた。とても先進的なもので、借りたい本を卓上の機械に近づけるだけで読者のデータを表示し、すぐ貸出手続が完了するのでとても速い。
 これらの図書館の共通点の一つに、正式職員が多くないというのがある。多くの業務がアウトソーシングされ、学生アルバイトが行っているものもあった。
 参観した図書館の集中書架や書架上の照明は多くが感知式で、エネルギー節約意識がよく表れていた。
 国会図書館の設立趣旨は、心理は私たちに自由をくれるという聖書の一節である。また、成蹊大学の学名の由来は『史記・李将軍列伝』の「桃李もの言わざれども下おのずから蹊を成す」が出典である。東西の文化からその精華を吸収して用い、自身を失うこともない。これは今日の日本のキーポイントであり秘訣なのだろう。
 七日間という時間は瞬く間に過ぎてしまい、本当にざっと見ただけで深く入ることはできなかった。この8日間、日本科学協会のスタッフには時間の按配を尽くしていただいた。私たちが日本を多角的に理解し把握できるよう願ってのことである。並大抵の苦労ではなかっただろう。特に最後、大阪についてから、京都と奈良を見に行きたいと言うと、日本科学協会のスタッフはリクエストを聞き入れてくれた。おかげで私たちは日本の現代と過去を深く理解することができた。
 再び日本に行くこともないかもしれない。私の見聞きして書いた感想は誇大だったり卑小だったりするかもしれないが、この七日間の印象は永遠に記憶に残り、絶えず反省を促す材料となるだろう。他山の石という言葉がある。中国は発展しつつある国であり、経済の面だけでなく、文化や教育そして国民の素養により多くそれが表れている。私たちの道のりは長い。
 隣国を友とし、隣国と善くするのは中国の重要な国策である。日本は中国の隣人であり、流れを同じくしている。浮雲に目を遮られることなく、中日友好が永遠に名声を残すと信じている!
「THE JAPAN SCIENCE SOCIETY」


 とても細かく、おどろきの視点で日本を、短い視察で観察されているのがよく解ります。いま、海外の旅行者が増えていますが、日本人も余裕をもって友好を開けて行けるといいですね。



 大連医科大学は、遼寧省が設立した総合性医科大学です(日本の公立大学に相当)。キャンパスは自然環境に恵まれた大連市星海公園の北側に位置しています。大連医科大学の前身は、1947 年設置された関東医学院で、その後、大連大学医学院、大連医学院を経て1994年1月に現在の大連医科大学の名称となりました。2003年現在、15の学院と五つの系・部が設けられ、教職員4,000人(教授230人、助教授500人)、在学者1.2万人(博士課程と修士課程在学者1,700人、外国人留学生80人)となっています。

 大連医科大学は、現在、学部の本科コースでは20の専攻、大学院では、修士課程は29の専攻、博士課程は四つの専攻を開設しており、大学院の規模も急速に拡大しつつあります

 大学図書館は、所蔵冊数40万冊、他に1,500種類の内外の雑誌が閲覧できます。また、関連施設として、ネット閲覧室、映像ライブラリー、文献検索網、医学データ館が設けられています。大連医科大学には、四つの附属病院が設置され、病床数は総計3,500を数えています。このほか、基礎医学研究所、臨床薬理研究所、医学微生態研究所、遺伝子工程研究所、実験動物センター、日中CRC臨床病理センターなど27の附属研究施設が設置されています。