明日に向かってGo→!!

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歌の深さや楽しさをみんなに知ってほしいという思いから
静岡県静岡市駿河区でボイストレーニング教室
POP MUSIC COZY STUDIO
http://cozystudio.web.fc2.com/を開講しました。

歌の事、思った事、日々の出来事を心のままに書いていきます(^-^)

Amebaでブログを始めよう!

お誕生日にメッセージやプレゼントありがとうございました✨
コロナ禍になってからこういうやり取りもより濃厚に感じます!

起きた瞬間に、「ママ今日お誕生日?おめでとう!」と言ってくれた娘。
保育園にお迎えに行くと、
園庭の隅からハッピーバースデーを歌いながらこちらに来て♪ピンクの花びらがたっくさん詰まった袋をプレゼントしてくれました✨

キュン💕

園庭の自由時間にせっせっとこれを集めていたのかと想像すると堪らない!
プレゼントってお金をかけなくても、気持ちがあったらこんな風にちゃんと想い伝えられるんだね!

そして、プレゼントって
おめでとうって言う瞬間以上にあなたの事を考えていた時間があったんだよ!っていうのが目に見えるようで嬉しいんだなぁと改めて思いました!

日々の色々な子育ての悩みも疲れも
一旦チャラだな笑

メッセージも嬉しかったなぁ!
みんなが元気でいてくれているのがわかって嬉しい。
大きな温かいものを娘やお友達、生徒さんみんなから頂きました!

ありがとう✨

親はどんな風に私を育ててくれたのだろう。

小さい頃を思い出したり母に聞いたりもする。


子供を育てるってその子の人生を預かってる状態

?子供の人生だし、自分とは違うのだから押し付けたくはない。でも育てていく上で自分の価値観がベースになる。

小さい頃は人生の基盤作り!だと思うとすごく責任を感じる。

だから出来るだけ正しくあろうとしたり、

自分の理想に近づけようと様々な事をするけど、

毎日悩むし、今向かっている道が本当に進むべき道なのか迷ったりする時もある。

だって自分が完璧じゃないから。

完璧な子に育てたいとも思ってはいないけど、

自分が出来ていない事程子供に求めてしまうものなのかも。自分との闘い、自分と葛藤をしているのにも近いかも。


多分子育ての正解なんて一生分からないと思う。


でも最近思った事がある。

毎日家事をして、育児をして、悩んで、どうしたらより良くなるか携帯で調べてみたりして。

そうしている内にこんなに子供達の事を想っていてこんなにお世話しているのだから、こちらの愛情が伝わっているんじゃないかと思ってしまっていたなって。

子供からしたらそんなの別問題なんだろうなって。


出来るだけ表現しているつもりだったけど、

きっと誰に対しても、言葉で伝えないと分からない事ってたくさんあると思う。

それが子供なら尚更、汲み取ってよ〜なんて無茶な話だしね!


自分の中で、たくさん考えて想っているのは自分が勝手にしている事。

その結果、勝手に期待を膨らめたり、思うようにいかずに悩んだりするのは、全て自分が自分に振り回されてるだけのように感じてきた笑


そして自分に振り回されてる母に振り回される子供達はたまらないよな笑


とりあえず、大切な人への愛情はちゃんと伝えよう!と改めて思った(^^)


少し前に、私に

「あんたとは一生の付き合いだと思ってるから!」って言ってくれた友達がいて、あまりに真っ直ぐ伝えてくれるからキュン!てしてすごく嬉しかった。


私も同じ事を思っていたけど、思ってるって事と伝えることってこんなに違うんだなって言われた時に気が付いた。


難しい顔しながら携帯に答えを求めるよりも、

今目の前にいる子供達に笑顔をみせるだけで

きっとみんな幸せだ✨



先日は子供2人の検尿の提出があり尿を取った。

こんな書き出しで失礼します笑


保育園では0歳児から尿検査がある。

長女の初めての検尿の時は、忘れやしないか、ちゃんと取れるのかドキドキしてあまり寝られなかった。小心者なもので。


まだオムツの頃の検尿は大変。

オムツの上にラップや脱脂綿を敷いてそれを手絞りで取るけど、見事にオムツに吸収されていて少ししか取れなかったりして。

私のを入れたいよ泣 と思う気持ちを留めながら何とか提出したものだ。


それから何回か尿検査を経験して、こちらの経験値も上がった。検尿です!と言われたドキドキ感も以前よりは少なくなった。


一度でも経験した事と未経験の差はとても大きい。想像と実体験はやはり別物だ。

経験すればする程上手になるし、失敗した事は余計に。記憶にも残りやすい。


慣れること。

家事や育児や仕事の作業的な慣れはいいのだが、

一方で、気持ち的な慣れは怖い。怖いという表現もあまりしっくりきていないのだけど。厄介?とも違うな。


例えば、子供が元気に産まれてきてくれた時、この子が健康で元気にいてくれさえすればいいと思う。でもそれがクリアされていくと、自分の中で違う要求があれこれと出てくる。


子供が言葉を喋り始める前、どんな声でどんな言葉を話すのだろうと期待に胸を膨らませていた。

実際に喋り始めると、朝から晩まで話し続ける子供に作業をしながら適当な返事をしたりする。


まだこの世に産まれて数年の子供達にとって、

一つ一つが大興奮だったり、大事件だったり、新鮮だったりするんだよな。

それが大きな喜怒哀楽泣で表現されている。


それこそ子供にとってたくさんの初体験や初めての気持ち。

それが小さな胸に余る程、日々たくさんあって夢中で訴えているんだよなぁ!


期待した時だけ盛り上がるなんてこっちの勝手だよね。


突然のコロナ禍になって、当たり前が当たり前じゃない事が増えて、そうして初めて気が付く気持ちや有り難みがある。

何でそうならないと気が付けないのだろう。そしてまたその気持ちにあっという間に慣れてしまったり忘れてしまったりする。


子供達の初めては、すっかり慣れてしまった日常に新鮮さを与えてくれるものなのかもしれないな。

そういう気持ちで寄り添えられたら、もっと子供達と同じ景色が見られるかもしれない。



突然ですが、みなさん石橋をどんな風に渡るタイプですか?

石橋を叩いて渡るということわざがあるけれど、

本来私はこのテーマの事も考えない位、石橋を叩いて渡るタイプではなく、作った誰かを信じて、恐怖や心配などを考える間もなく気が付いたら歩いてた!みたいなタイプです。

多分誰かと話しながら何となく1歩目を出しているみたいな。


一方私の3歳の娘は、言わば石橋を叩いて叩いてもう一回叩いてから誰かが安全に渡れたのを確認してからまだ少し警戒しながら渡るタイプ。

自分の子供ながらに、始めはこんな子供いるんだぁとビックリした笑


0歳児から色々な面でそんな一面が垣間見えた。

歩き始める時も、練習をコツコツと積みつつ、

場所を選びながら大事を取ってハイハイにしてみたり転ばない程度に練習して、よし行けるぞっ!と自分で納得してから歩き始め、歩けてからはほとんど転ばなかった。今はよく転ぶけど^_^


危ないよ!と言う前に、想像して避ける。

なに!その能力!


それまでの私は、子供は転んで痛い経験をして

転ぶと痛い!を覚える→転ばないように気をつけるものだと思っていたけど、なんで転んだ事がないのに転ぶと痛い、嫌だと知っているのだろうと不思議だった。

私は突撃突撃〜!痛いけど割とすぐ忘れる!みたいな勢いタイプだったと思うから、人って生まれた時からこんなに1人1人違うんだなぁと驚いた。


きっと娘も同じくらい私の事を驚いて見ているかもしれない笑

おっちょこちょいな私を娘が度々助けてくれる!

忘れ物なぁい?とか聞いてくれる笑


最近は...というと、

3歳過ぎまで指しゃぶりをしていた娘。

やめられそうもなかったので、可哀想だけど、指に専用のクリームを塗ることにした。

大人が舐めても苦ーいクリームで効果は高いというもの。


苦いと説明したけれど、意外にも自分から塗ってみる!と言って塗ってくれた。

そしてやっぱり寝る時、指しゃぶりをしたくなって、苦ーい!となったけど、その後も毎日寝る前に自分で「チュッチュの指塗らなきゃ!」と言って塗る。

そしてそのまま指しゃぶりを止める事が出来たし、しそうになって我慢している様子もない。


それから3ヶ月。

娘は今でも毎日寝る前に自分でクリームを塗っている。もう塗らなくてもいいんだよ!と言っても塗っている。きっと塗った方が安心するのだろう。

母ちゃんは3ヶ月も経つと続けたい事すら続いていないよ笑


そんな真逆な1面を持つ私達。

せっかちな私はすぐに早く早く!と良く言ってしまうけど、きっと娘は丁寧にやりたいしまだ時間もかかる。


今新しい保育園に入り頑張っている娘。

私が大丈夫大丈夫!と言っても、きっと娘からしたら大丈夫ではない。

そしてきっと私よりもたくさん考えて感じて疲れるんだろうなぁと思う。

2人でどうしようと怯えているのも違うと思うけど、不安な気持ちに寄り添えたらいいな。


私も自分の性格をそんなに簡単に変えられないけれど、石橋を渡る前に、娘の気持ちを想像してみよう。

そして違うもの同士助け合って楽しんでいこう(^^)


自分が自分で嫌になる時がある。

特に子育てをしていると、自分のいい所も悪い所も全部見たくなくても見えてきてしまう。

毎度毎度、顔見知りな欠点に出会っても

今まで積み重ねてきた月日は伊達ではなく、

そう簡単に太刀打ち出来るものでもない。


そんな時、ドラマを観る。歌を聴く。

the現実逃避 笑

すると、心を打つドラマや歌の主人公は

完璧ではない人ばかり。


というか完璧そうな人が見せる弱さとか脆さとか、そういう所にストーリーがあって、面白みがあるんだと思う。

歌も、一瞬の隙も与えない完璧に整った歌詞やメロディーだけで完結したら惹かれない。面白くないと感じてしまう。


人にも物事にも長所と短所があって、

短所は長所に変えてしまえればいいものだけど、

その短所のおかげで人生が彩られる事も、振り返るとあるような気さえする。

と私は逃げるのが得意だ 笑

開き直ってはいけないのだろうけど。


自分の弱さや弱点を知ってくれている人と話すのはなんて楽なんだと今日改めて思った。

それでも受け入れてもらえているのだという関係性があるから、何かを隠そうとする事もなく、

純粋に単純に楽しめる。

またそういう友達から見ると案外、自分にとっての弱点が長所に見えてたりする。


きっと自分の中にある"こうあるべき"自分や、

理想の自分と現実の自分との間で葛藤しながら生きている人も多いと思う。

正しさや理想を守ろうとする程苦しい。


でも短所にたまには悩む謙虚さは持ちつつも、

完璧な人間なんて面白く無いさと、受け入れてしまうのも悪く無いかなと思う。